棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

4章

 

4章

   ショウ君の話によると、私達の住んでいる所は坂の多い町で、車一台がやっと通れるくらいの入り組んだ路地が、あちこちに張り巡らされているらしいの。私の家とショウ君の家の間にある道は通称「棗坂」。古くからの呼び名で、最寄りの駅にもその名前が付いているらしいわ。地名の由来には諸説あるらしいけど、一説によると、昔この坂の頂上に高名な茶道家が住んでいて、ある時その茶道家が誤って棗というお茶を入れる器を道に落として、それが坂の一番下まで転がっていったという逸話からきているそうよ。その真偽はともかく、この辺りには文化や芸術を愛する人が昔から多い土地柄なのだとショウ君は言ってたわ。私のように自由な猫の暮らし方に比較的寛容なのも、その影響じゃないかしら?  何となく、ゆったりとした雰囲気の人が多いように感じるもの。
    この坂道は、道幅の狭さと傾斜のキツさがドライバー泣かせなんだそうだけど、私達猫にとっては天国なの。だって、車は時速15キロで走るのが精一杯だから、健康な大人の猫ならまずひかれることはないもの。
   それに、この約30度の斜面を、うちの裏庭から長澤さんの庭に向かって一気に駆け上るのはかなり爽快よ。その時の私の様子を、カオルは「灰色の疾風」と呼ぶわ。
   カオルは大雑把に灰色と言うけど、私の毛色、正確にはサバトラシロと言うそうよ。薄いグレーと黒の虎模様で、お腹と顔と足の一部が白いの。私の場合、額にMの模様が入っていて、右肩から腕にかけてのトラと白の模様のコントラストが半袖の服を着てるみたいでオシャレなんですって。それと、個人的に気に入っているのは目元の隈取り。これはクレオパトララインというらしいんだけど、このラインが、私の金色の瞳をより大きく際立たせるんだと思うわ。
   そんな私を、翌朝カオルはショルダーバッグ型のキャリーケースに入れて、猫カフェ「マリエ」に連れて行った。私達の家は駅から比較的近いらしく、そこから電車に乗ってカオルは仕事に行くんですって。
   マリエのマスターとママ…つまりサクラの叔父さん夫婦は、私のこと一目で気に入ったみたい。
「ま~、こんな可愛い子が迷い込んで来たなんて、カオルさん、あなたホントにラッキーだわ。私達、基本的に猫はどの子も可愛いんだけど、それでもやっぱり好みや相性もあってね」
   人の良さそうな、ほんのり石鹸の匂いのするママは、早速私を抱き上げて、嬉しそうに撫でながら言った。
「猫の保護活動をやってると、可愛い子はすぐに貰い手が見つかるんだけど、見た目や性格がそうでもない子は、どうしても残っていくんだよね」
少し重めの整髪料の匂いのするマスターは、店の奥をチラッと見ながら、申し訳なさそうに言った。
(じゃあ、ここは売れ残り猫のたまり場ってわけね)
「ここにいる他の子達も基本的には大人しいし、皆、よく寝る子達ばかりだから、ケイトちゃんとトラブルになることはまずないと思うわ。この子もこの通り大人しいし。でも、あま、動物同士のことは、人間には思いもよらないこともあるから、絶対大丈夫とは言えないけどね」
(それ以前に、私がここを気に入るかどうか、それが問題ね)
   カオルとサクラの叔父夫妻は、お互い何度も頭を下げ合って解散した。カオルは
「ケイト、良い子にしてるのよ」
と、ちょっと心配そうに私の顔をのぞき込んだ後、腕時計に目をやって、慌てて店から走り出て行った。
「ケイトちゃん、今日からここがあなたの昼間のお家よ。このお店の中のどこでもあなたの好きな場所で過ごしてね。他の子達は、まだ奥の部屋のケージの中で寝てるから、また後で紹介するわね」
と、ママは私の頭を撫でながら言った。

    マリエのオープンは10時。それまでにマスターとママは、お店の猫達に食べ物を与えたりトイレの処理をしたり、あと、店の掃除もしてた。
   そうそう、あの私の嫌いなカサカサで地面を擦ることを、掃除と言うのね。最近、ショウ君から教えてもらって知ったわ。因みに私、相変わらずほうきは嫌いだけど、掃除機というのは結構好き。普通はゴミを吸い込む物らしいけど、カオルは吸い込み口を直接私の背中に当てて抜け毛を取ってくれるの。普通の猫は掃除機がかなり嫌いらしくて、そんな私の様子を見てサクラは驚いてたけど、あの刺激、私には悪くないわ。私、相当きれい好きで、勿論自分でもグルーミングは欠かさないけど、掃除機で抜け毛を取ってもらえたら余計な手間が省けるし、あの吸い込まれる感じが結構気持ちいいし。同じ理由で、ソファーのゴミを取るコロコロも好き。カオルはあれで私の体をあちこちマッサージしてくれるの。抜け毛がくっついて剥がす時パリパリと音がするのが、ちょっと痛気持ちいいの。これにも、サクラはビックリしてた。
    とにかく、人間は綺麗好きなのね。あちこちほうきで掃いたり掃除機をかけたり、濡れた布で色々な所を拭いたり。でもね、私から見ると、それはかえって汚してるなって、思うこともあるけど。今、ママがテーブルを拭いてる布はちょっと変な匂いがしてるから、それだと汚れが広がるだけでかえって逆効果。まあ、今言っても通じないだろうから、そのうち教えてはあげようっと。
   掃除が終わると、店の奥の部屋から猫達がゾロゾロ出てきたわ。総勢七匹。中途半端な白黒、鼻だけ白い長毛の黒、サビコによく似たブチ、左後ろ足に黒いソックス模様のほぼ白、やけに太った茶トラ、すごく毛の短い細身の灰色、遠目には黒かもしれないと思うくらい濃い色のキジトラ。この7匹の猫達は、皆、私のこと遠目にチラッと見てきたから
(皆さん、おはようございます。今日からここで昼間だけお世話になります、ケイトです。よろしくお願いします)
と挨拶してみたけど、誰からも返事は返って来なかった。まあ、最初はそんなもんね。
   猫は基本的に単独行動が好きだから、むやみに友達は作ろうとしないものなの。私もここに居るのは昼間だけだし、人間の相手してる方が気分転換になるし、ここでの猫関係はそんなに重視してないから、別に皆と仲良くなれなくても平気。でも、ここの猫達のこの覇気の無さったらないわ。多分、朝食も済んで落ち着いてるせいもあるんだろうけど、みーんなマッタリして、それぞれ各自の定位置らしき所に横になってグッタリしてるの。猫って大体そんなもんだって人間は思ってるんだろうけど、ここの猫達は、猫同士の会話もほとんど無いの。きっと、新入りの私を警戒しているせいもあるんでしょうね。
    10時になって店がオープンすると、早速お客がやってきた。ベルの音と共にドアが開いて
「おはよう。今日は寒いわねぇ」とやって来たのは、ママよりももう少し年上で、以前一緒に暮らしていたおばあさんよりは若い女の人。
「あら、この子、新入りさん?えっ、あら、やだ、あなた、えっ?いきなり抱っこさせてくれるの?え?どうしたの?あらあら、まあまあ、ま~、かわいいわねぇ~」
    サトウさんというその女の人の足元にいつものようにスリスリして、膝の上に乗ってあげたら、サトウさんは、すぐにメロメロになった。
「ママ、この子、どうしたの?ここの猫ちゃん達は皆ツンデレちゃんばっかりで、なかなか触らせてもくれないのに、この子はいきなり初対面から抱っこさせてくれたわよ」
サトウさんは、興奮気味にママにこう言った。
(それは、あなたが相当猫好きな匂いがしたからよ。それに、ここでうまくやっていくのが、私が寒い昼間を室内で快適に過ごすには必須条件なのよ)
   ママは、私の事情をサトウさんに説明した。
「そう、残念ね。こんな人懐っこい子なら、皆、連れて帰りたくなるだろうけど。でも、こうしてすぐに触らせてくれる子がいると、店は流行るわね」
   店とカオルとの約束で、私はここでは基本に食事は貰わないことになっているけど、ここのシステムは、お客さんからスティックタイプのジェル状のオヤツを、1日3本まではもらってもいいという決まりらしく、早速サトウさんはママからオヤツを買って、私に食べさせてくれた。
   多分、他の猫達も皆そう思ってるだろうけど、ホント、このオヤツ最高。これ考えた人、私、天才だと思うわ。私はシンプルなカツオ味が特に好き。カツオってどんな魚か見たことないけど。
    サトウさんからオヤツをもらい終わると、また別のお客さんが来て、カウンターに座った。今度は白髪頭の男の人。この人はマスターやショウ君のパパやナガサワさんのご主人よりも年上そう。
   サトウさんがオヤツをくれて私の喉をゴロゴロして、その後しばらく膝の上で丸まってそろそろ満足してくれた頃を見計らって、私はそっとサトウさんの膝から降りて、今度は、白髪のおじさんの足元に行っておじさんを呼んでみた。
(初めまして。私はケイト。よろしくね)
「おやおや、この子、自分から挨拶に来てくれたよ。人懐っこいね。おお、よしよし。綺麗な子だねぇ~。名前、何て言うの?ケイトちゃん?抱っこさせてもらってもいいの?」
ノザワさんというこのおじさんも、私を膝に乗せてご満悦。ノザワさんもすぐにオヤツを買って私にプレゼントしようとしたけど、さっきサトウさんからもらったばかりだからダメってママに止められちゃった。つまーんなーい。
「ケイトちゃん、ごめんね。またチャンスがあったらオヤツあげるからね」
ノザワさんは残念そうに私の頭を撫でた。基本的にこの店に来るお客さんは猫が大好きでたまらない人達ばかりみたいだ。その後も何人かのお客が来て、さっきの二人と同じようなやり取りをしていたら、お昼近くになった。そこで一旦、大半の猫達は奥の部屋に戻されて休憩を取る。灰色と黒の猫だけが店内に残され、他の猫達はバックヤードに撤収された。始めてなので万が一のことを考えて、私はカオルの持ってきたキャリーケースの中に入れられ、他の猫達はそのまま室内に残された。
    バックヤードでも、猫達は皆無言で、何となく気まずい雰囲気だから、もう一度、私の方から皆に話しかけてみた。
(私、新人なのに昼間しか居ないですけど、これから毎日頑張って働きますので、皆さんよろしくお願いしますね)
(頑張って、働く?)
(はっ?あんた、何言ってるの?)
      私の発した言葉に、バックヤードの5匹の猫達は、一斉にザワつき始めた。


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