棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

20章


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二十章
    それから数ヶ月が経過した。その間に、室内が恋しい季節から屋外で何時間でも過ごせる季節に時は移ろい、私達の毛並みも少しずつ夏仕様に変わってきた。
   外に出ることを熱望していたレイと、そこに恋愛願望も加わっていたカーティスは、キョウヘイの愛犬モカの教えを忠実に守り、最近では、商店街のアーケードを我が物顔で闊歩し、裏の公園にも行けるようになったみたい。レイは、現段階で既に十分満足してるようだけど、カーティスは
(この辺りの野良には、ちっとも好みのタイプがいない)
とこぼしてた。
   そんなある日、ほぼ日課となった単独散歩から帰ってきたレイが、珍しく神妙な顔をしていた。
(レイ、どうしたの?折角外に出られるようになったのに、そんな浮かない顔して)
(え…、そうか?)
レイは、平静を装いつつも、何だか目が泳いでる。そう言えば、最近ちょっと痩せたみたいだし、よくよく考えたら、ここの所、ずっと物思いに沈んでるような日が多かった。
   …そっか、私、ピンときちゃった。
(レイ、あなた…)
真正面からじっと見つめる私の視線にたじろいで
(なっ、なんだよ、ケイト…)
と、レイは3歩後ずさった。
(さては、恋をしてるわね)
   私からの指摘が図星だったと見えて、レイは激しく動揺して、その場で自分の尻尾をおいかけてグルグル回り始めた。普段ドッシリ構えた親分肌のレイがこんなにも挙動不審になるのが可笑しくて、私は笑いを抑えるのに必死だった。
(えっ?ウソ?どこでそんな娘見つけたんだよ?一人でぬけがけなんてズルいぞ)
カーティスがすかさず食いついた。
(飲食店のゴミ箱漁ってる連中は下品なアバズレしかいないし、公園にたむろしてるのはババアばっかだし…)
(いや、違うんだ)
(じゃあ、どこにいたんだよ?あっ、分かった。さては駅前の花屋のミケだな。だけどあの娘はまだ子どもだぜ)
(だから、そうじゃなくて…)
カーティスは、レイに反論の隙を与えない。
(じゃあ、どこの猫なんだよ)
カーティスは、レイに詰め寄った。
(一体、どこにそんな魅力的な雌猫がいるって言うんだよ)
カーティスの妙な気迫に押されて、レイはおずおずと口を開いた。
(その…、だから、…つまり…)
(何なんだよ、もったいぶりやがって、この色男。どこの雌猫か、ハッキリ言えよ)
(だから、違うんだ)
(何が違うんだよ)
(だから、…雌猫じゃないんだ)
(は?じゃあ、雄猫なのか?)
(だから…)
しばらく口ごもって、レイは言った。
(人間なんだ)
(へっ?)
それっきりカーティスは黙った。
  人間に恋をした、キジトラ猫のレイ。大きくて筋肉質で、横広がりの大きな顔がいかにも雄らしい、人間で言うと渋めのナイスミドルって感じの彼だけど、そうは言っても猫は猫。いくら人間に恋をしたところで、どうなるものでもなく…。
(その人はうちのお客さんなの?)
私の真面目な質問に
(いいや)
と、ため息混じりにレイは答えた。
(え?じゃあ、外で出会った人?)
(そうだ)
遠い目をしてレイが語りだした。
(彼女と初めて出会ったのは、3カ月前、俺とカーティスが、ようやく外に出られるようになったばかりの頃だった。ある日、商店街のパン屋の前を一人で歩いていた彼女と、俺はたまたま目が合ったんだ。彼女は俺に「トム」って呼びかけた。俺は元々野良だったし、彼女とは勿論初対面だったよ。多分、前に俺によく似たトムって猫を飼ってたんだろう。だけど、確かに俺も彼女とはどこかで会った事があるような気がしたんだ。俺は彼女に擦り寄った。『お帰り、トム。ずっと探してたのよ』と彼女は言った」
レイが再度深いため息をついて、次の言葉を発するまでの間、私は窓の外の雨粒を眺めていた。
(だけど、そう言ったきり、彼女はパン屋の中に入って行ってしまった。何だか待ちぼうけを食わされたような気分で俺がパン屋の前で座って彼女を待っていると、買い物を済ませて店から出てきた彼女が、もう一度俺に話しかけてきた。『折角再会できたけど、今はあなたを家に連れては帰れない』って、彼女はとても悲しそうに言った。『家には今は犬がいるし、それに、私は先の予定が分からないから』とも。『だけど私、最近できたここのパン屋さんが気に入ってて、殆ど毎日パンを買いに来るから、またトムに会えるかしら?』と彼女は独り言のようにそう言った。それから毎日、俺は彼女に会うために、その場所に行ってたんだ)
(へー、じゃあ、他猫の空似ってわけね)
(ああ。だけど、彼女、すぐに俺がトムじゃないって分かったみたいだ。『よく考えてみたら、トムがいなくなってからもう20年以上経ってるんだもの』って。彼女はそれ以来、俺のことをトムとは呼ばなくなった。いつも夕方、彼女はパン屋にやって来て、俺を見つけて5分間ほど撫でたり話しかけたりしてくれた。お互い、何となく懐かしいような感覚で、少なくとも、俺はかなり幸せだった。まだ肌寒い頃から、そんな関係が続いてたのに、この長雨に入ってから、彼女は現れなくなっちまった。もう何日になるだろう?俺のことを、彼女はもう忘れちまったのか?いや、それより、彼女の身に何かあったのかと思うと心配で、胸が張り裂けそうだ)
   レイは、そこまで一気に話し終わると、さっきと同じようにまた深いため息についた。
   これはかなり重傷だわ。私も、ショウ君がいつも通り窓辺に現れないと、どうしたんだろうってとっても心配になるけど、レイの落ち込み方は私のそれを遥かに超えている。
(彼女、元々色白だったけど、温かくなって日が長くなるにつれて、逆に益々顔が白くなってきたんだ。最初は少しふっくらしてた頬も日に日にほっそりしてきて。段々、影が薄くなって、いつか消えてしまいそうにはかなげで。…一体、今、どこでどうしているんだろう…)
  レイが心底心配そうなので、何だか聞いてる私まで心配になってきちゃった。レイの話を聞いていて、私の中で、その女の人とカオルのイメージが少しだけダブった。きっと、その人も、それ程若くはないけど、そんなに年をとってもいない気がした。もし今、カオルが何かの病気でどんどんやつれていったら、さすがの私も少しは心配するだろうな。でも、今のレイのようには私はならない自信がある。そう、レイのこの状態は、まさに恋煩いというものだもの。
   私は少し引いた感じで、だけどやや同情的にしばらくレイを眺めていた。彼は、グッタリと疲れたように体を床に横たえて、半日くらいそのままだった。だけど、夕方近くになって、いきなりガバッと起き上がった。
(彼女の匂いがする)
(えっ?こんな所で?)
(今、ほんの少しだが、薄らと感じた)
常連のお客さんが出て行く時に開けたドアから入ってきた空気を吸ってレイはそう言った。
(この近くに居るのか。今なら見つけ出せるかも!)
そう言って、今にも閉まろうとするドアの隙間をぬってレイは外に飛び出そうとした。
(ダメよ、レイ!ドアに挟まっちゃう!)
私の声と、レイの
「ニャア~」
と言う声とはほぼ同時だった。
   そして、そのすぐ後に
「あなたここのコだったのね」
という聞いたことのない人の声がして、ドアは、外側に開かれた。
   その人は、本当に色白だった。だけど、レイから聞いたほどには儚げではなく、ゆったりとした大きめのレモン色のティーシャツとジーンズと白いスニーカーを身につけていた。
「ニャ~ン」
   レイは、今まで私達の前では出したことのない可愛らしい声を出してその人に擦り寄った。
「よしよーし。元気そうで良かったわ。パン屋さんに、あなたがここのお店の猫ちゃんだって聞いて会いに来たのよ」
そう言って、レイの思い人はカウンターの近くの、二人がけのテーブル席に座った。レイは彼女の足に体を擦り続けた。
「ニャ~ン  ニャ~ン」
人間用の声を出してレイは彼女に愛を語り続ける。
「いらっしゃいませ」
水とおしぼりをママが彼女に運んだ。
「驚いたわ。この子がこんな可愛い声を出すのを私は初めて聞きました」
ママは彼女にそう話しかけた。
「そうなんですか?私にはいつもこんな感じなんですよ」
初対面から打ち解けた雰囲気で彼女はそう言うと、さっきレイが私達に話したのとほぼ同じレイとの馴れ初めを、ママに話した。

「そうなんだ。あなた、レイ君って言うんだ」
   アイスカフェオレを飲みながら、彼女はレイを膝の上に乗せて撫でていた。喉を撫でられて目を細めるレイは最高に幸せそう。しばらく彼にとっての至福の時が流れた。
   どれくらいそうしていただろう?彼女は不意に窓の外に目をやって、
「そろそろ帰らなくちゃ。レイ君、またね」
とレイを優しく床に下ろした後、席を立とうとした。でも、何だか上手く立ち上がれずに、フラフラとその場にへたり込んでしまった。
「大丈夫ですか?」
ママが素早く助け起こすと
「ええ、大丈夫…。ごめんなさい、もう少しだけ、座ってて良いですか?」
と、彼女は薄らと額に汗をかきながらうつむいてテーブルに伏せった。
ママが運んだ水を飲んで、少し落ち着いたところで、彼女は
「以前治療していた病気が再発してしまって…。化学療法の副作用で時々こうなるんです。…でも、もう大丈夫」
と、無理に笑顔を作ってそう言った。
「実は、3週間ほど入院していて、一昨日退院したばかりなんです。ここ数カ月、この猫ちゃんに商店街で毎日会ってて、随分元気を貰ってたから、また会いたくなって」
と足下で心配そうに見守るレイをみながら彼女は言った。
「パン屋さんにこのお店のこと教えて貰って来たんです。…また会いに来ても良いですか?」
「ええ、もちろん」
「こんな風にご心配おかけしたら申し訳ないですが…」
「いいえ、私達は大丈夫です。…この時間帯は比較的空いてますし。それに…」
ママはちょっと間を置いて言った。
「猫の持つ癒しの力に、私も恩恵を受けた者の一人です。それに、その子もあなたのお力になりたいと思っているんじゃないかしら」
ママはレイを見ながら言った。レイは、人間には分からないやり方で、大きく頷いた。
 
   彼女の後ろ姿を見送った後、レイは私とエリックにこう言った。
(お願いだ。俺を、ヒーリング猫に育ててくれ)
   こうして、レイと私達の訓練の日々が始まった。

 


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