棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

21章


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21章
(先ずは、相手のその日のコンディションを観察することから…)
   私とレイを店の隅に呼んで、早速エリックがレクチャーを始めた。
(一口にヒーリングと言っても、その人の状態によって、また、猫の性質によっても、やり方は様々だ。マスターやママの場合は心の傷を癒やすメンタルヒーリングだけと、マドンナの場合、体の病気が対象となるしね)
   レイは、彼女をそう呼ぶことにしたらしいので、私とエリックもそれに従った。
(観察結果と実態は必ずしも一致するわけじゃない。傷が浅そうでも、中に入ってみたら案外深かったということも多いから。だけど、一応心構えってものがあるじゃない?)
(質問)
早速レイが質問した。
(心の傷の場合、『中に入って…』というのはいくらか想像できるけど、体の病気を治すには、どう『入り込めば』良いんだ?)
(うーん、良い質問だね。…実は、僕もメンタルヒーリングしかやったことないから具体的なことはよく分からないんだけど、要はイメージする事が大切なんだ)
(イメージ?)
レイは首を傾げている。
(ヒーリングは大抵、僕達の夢の中で行われる。できるだけ相手に近い場所で、出来れば膝の上がベストなんだけど、この時のポイントは、なるべく相手に呼吸の速さを合わせること。そうして、自分の身体感覚を忘れてその人の事だけを考えるんだ。そのまま半醒半睡状態になれば、上手くいけば相手の中に入れたことになる)
(ふーん)
レイと私は同じように感心しながら聞いていた。私もそんな感じにはなるけど、意識してなってたわけじゃないからちょっと驚き。エリックはいつこの方法を身に付けたんだろう?先住のヒーリング猫に習ったのかしら?
(後は、それぞれの個性に合わせてやり方は変わってくると思うんだよね。それも全部イメージ力にかかってる)
(さっきからよく出てくるそのイメージってやつ、もう少し分かりやすく教えてくれないか?)
レイがちょっと言いにくそうにそう言った。彼は、今までそういうの考えたこともなかったみたい。
(えーっと、そうだなぁ。…例えば、目の前で何かの映像を見るような気持ちで…。例えば、マドンナの体の中にいる悪い病気の元とレイが戦って相手をやっつける、とかそんなシーンはどうかな?)
(なるほど、それなら想像しやすいな)
(でも、その前にママとマスターの心の中で、マリエちゃんと遊ぶことから慣らしていくといいよ)
(それなら私も、少しはコツを教えてあげられるわ)
    私の場合、ほとんど何にも考えてないけど…。それから、虎に変身する方法なら、私も少しは教えてあげられるかも…。
   そんなこんなで、一週間が過ぎた頃には、レイは何とかヒーリング猫としての基本をマスターできたようだった。
(マリエちゃん、昨日初めて俺の名前を呼んでくれたよ)
レイは嬉しそうに、マスターの心の中のマリエちゃんの様子を私達に報告した。
(マリエちゃんと一緒に遊ぶことがマスターのメンタルヒーリングになってるなら良いけど。でも、マドンナの病気の元を相手に、俺はどこまで戦えるだろうか?)
   レイは、少し不安そうに言った。
(先ずはレイのできる範囲のことを精一杯やってみると良いと思うよ。これって、正解はどこにもないと思うから )
  エリックは、おっとりとした口調で、だけどキッパリとそう言った。
(レイの思いが届けば、きっとマドンナの病気は良くなっていくと思うわ)
   何の根拠も確証もないけど、私はそう言った。今は、少しでもレイを勇気づけることが先決。化学療法で治療中の病気が、猫のヒーリングパワーでどうにかなるものなのか、そんなこと誰にも分からない。だけど、レイはそのことを切実に望んでいた。何よりも強く、そして一途に。
   そうして、あの日から丁度十日後に、マドンナは再び店にやって来た。
(レイ君、来たよー)
マドンナは明るくそう言って、前と同じ窓際の二人がけの席に座って、前と同じアイスカフェオレを注文した。彼女は、十日前よりもまた少し痩せているように私には見えた。レイは、最初は彼女の足下でしばらく甘えてから、さりげなくマドンナの膝の上で丸まった。そして目を閉じて彼女の呼吸に集中した。レイは、イメージの力を駆使してマドンナの体の中に入っているようだった。
   マドンナは、レイの背中を撫でながら飲み物を飲んでいた。そして、彼女も少し疲れたように、壁に寄りかかってウトウトとまどろみ始めた。
   マドンナの体の中でどんなことが起こっているのか。外で見ている私達にはどうすることもできなかった。
(私達もレイに加勢する事は出来ないのかしら?)
ヤキモキしながら、私はエリックに尋ねてみた。
(僕達のスキルでは、それはちょっと難しいんじゃないかな?下手をするとレイの足手まといになるかもしれないし)
(確かにそうよね)
そう答えたエリックの返答に、ちょっとガッカリしたけど、でも、内心ほんの少し安心してしまった私もいた。正直、病気の人の体の中で病魔と闘うのは命がけの仕事。私も、そしてきっとエリックも、ホントは少し怖いの。
(レイ、大丈夫かな…)
   30分近く経過してエリックがそう言った時、エレイとマドンナは、ほぼ同時に目を覚ました。
「レイ君抱っこしてたら、何だか眠くなっちゃった」
目覚めたレイの頭を撫でながら、マドンナはそう言った。レイはマドンナを見上げて、思いの丈を込めて、一言
「ニャオ」
と鳴いた。
   マドンナは、すっかり氷の溶けたアイスカフェオレをストローで飲み干すと、ゆっくりと席を立った。
「ありがとうございました」
  会計を済ませて立ち去る彼女は、ママとマスターに
「ごちそうさまでした」
と言った後
「レイ君、また来るねー」
と言って店を出て行った。
(お疲れさま。レイ、中はどうだった?)
(敵は大勢いた?)
私とエリックは、眠りから醒めてまだぼんやりとした表情のレイに駆け寄って、次々にそう尋ねた。
(ああ、それなんだが…)
   私達、息をのんで次の言葉を待ったけど、レイはちょっと首を傾げながらしばらく考えてこう言った。
(敵は…、敵は、どこにもいなかった。あったのは、彼女の深い悲しみと不安だけだった)
(えっ?)
私とエリックは、ちょっと拍子抜けしてしまった。エリックはどうか分からないけど、少なくとも私は、マドンナの体の中で、虎になったレイが悪い奴らと戦ってるとばっかり思ってたから。
   レイは、ゆっくり話し始めた。
(彼女の思いが川になって、荒ぶる大きな濁流になった。彼女はその川の中で一人溺れていた。俺はケイトに教わったやり方で大きな虎になって、濁流に飛び込んで彼女を背負って何とか岸に彼女を運んだ。だけど、そのまま自分は濁流に飲み込まれてしまった。そこで目が醒めたんだ)
   レイはそこまで言って、深いため息をついた。
(俺が夢の中で溺れたのはまあ良いとして、辛いのは、俺は彼女の病魔とはまだ直接対決できないというもどかしさと、彼女の心の中があんなにも荒涼とした淋しい景色なんだということだ)
   私もエリックも返す言葉が見つからなかった。
   それから、ほぼ一週間に一度、マドンナは店にやって来て、同じ席に座ってアイスカフェオレを注文し、前と同じようにレイを膝に乗せたまましばらくまどろんで行った。彼女の体調の事は、ママもマスターもさりげなく気にしていた。それを間接的に耳にしたキョウヘイが、ある日の夕方、大きなビニール袋を下げてやって来た。
「あのさぁ、家の片付けをしてたらこんなのが出てきたんだけど、良かったらここに置かせてもらえないかな?うちにあっても邪魔になるだけだから」
   それは、赤い折りたたみ式のリクライニングチェアだった。
「仕事帰りにこの店でゴロゴロ出来たら気持ち良いかな?と思ってさ。勿論、お客さんにも使ってもらっていいし、使わない時はコンパクトに折りたためるから、そんなに邪魔にはならないだろ?」
   なかなかセンスの良いデザインのそのリクライニングチェアは、マスターのお眼鏡にもかなったようだった。だけど、人間は騙せても猫の目は騙せないわよ。このリクライニングチェア、まだ新品だわ。座面の匂いがまだ真新しいもの。マドンナが壁にもたれてまどろむ姿が何となく窮屈そうって話を、ママ達がこの前してたところだけど、それをキョウヘイは黙って聞いていたっけ。いかにも買って来ましたって風にしないところ、…この男、見た目はチャラいけど、結構やるじゃない?
   次にマドンナが来店した時、マスターは店の一番奥にそのリクライニングチェアを設置した。そして、飲み物を運ぶついでにマドンナにその席をさり気なく勧めた。
「これ、私の甥が持って来て、勝手に置いて行ったんですがね。しまっておくのも邪魔だし、折角だから皆さんに使っていただこうと思いまして。良かったら、後でこちらにどうぞ」 
   マドンナは、始め少し遠慮していたから、レイがその椅子に彼女を誘導した。ママが用意した涼しげな綿素材の膝掛けも、荷物置きの籠の中にセットしてあった。
「わぁ、家以外でこんな快適な場所を用意されたら、ホントに根っこが生えてしまいそう」
笑いながらマドンナはその椅子に深く体を沈めて、いつものようにまどろみ始めた。
   そう言えば、彼女の来店中は、他のお客さんがほとんど入って来なかった。…もしかして、これはカーティスの仕業?
   人も猫も、皆、さり気なくマドンナの体調を気遣っていた。
   勿論、レイは誰よりも。
   皆が、マドンナの回復を願っていた。静かな祈りのような空気に店内は包まれたまま、不意に窓の外に目をやると、ゆっくりと夏が近づいていた。

  
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