棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

28章


人気ブログランキング

       ↑

クリックしていただけると

励みになります (^^)

 

28章
「あの二人、どうしちゃったのかしら?」
ジャニスが心配そうに私の顔を見た。
「ちょっと、俺たちも様子を見に行こう」
カーティスも私を見てそう言った。 「そうね。だったら、急がないと…」
私達がママの後を追って裏口に回り込もうとすると、後ろからレイのか細い声がした。
「俺も…、俺も行っても良いか…?こんな体じゃ、かえって足手まといになるかもしれないけど…」
   すっかり痩せた体を起こして、レイは私達に言った。マドンナのヒーリングに力を使い果たして、彼は最近、殆ど横になったままで、目も相当悪くなっている。マドンナの事が心配なレイの気持ちはよく分かるわ。だけど、今は…。
   こういう時の決断は、私には無理。私はカーティスに視線を向けた。彼は、黙ってしばらく考えてから
「いいよ。来なよ。もし変な野良野郎が因縁付けて来たら、俺が何とかするからさ」
と毅然とした顔でそう言った。
「すまんな、相棒」
レイがヨロヨロと歩き出した。
「俺だって、外に出始めの頃は、何度もヤクザ者に絡まれてビビってたんだ。俺、ここに来るまでの野良歴、割と浅いからさ。でも、そのたんびに助けてもらってたんだからさ、こんな時ぐらい恩返しさせてくれよ、な、兄貴」
   話は決まった。捜索隊は私とレイとカーティスとジャニス。
「こっちは任せて」
そう言って、エリックが私達に大きく頷いた。
   オルガとルチアーノは、ピアノの鍵盤の上を歩き回って不思議な雰囲気の音を出したりして、余興さながら、お客さんの視線を一点に引きつけていた。
   サリナも、いつもの定位置から床の上に降りてきた。
   私達が一匹ずつ、こっそり厨房の奥に入って行くと、ママは既に外に出た後で、裏口の扉はキッチリと閉まっていた。ああ…、どうしよう?
  だけど、…そう。こういう時、一番話が分かるのは…。

「何よ?ケイトちゃん。こっちに何があるって言うの?」
   私はサクラを裏口のドア付近に誘導した。ドアの前にはジャニスとカーティスとレイが横一列に並んで、皆で一斉にサクラを凝視した。
「なっ、何?あんた達。どうしたの、こんな所で?」
サクラは私達のただならぬ雰囲気に、おののきながらそう言った。
「しかも、皆で並んで、そんな深刻な顔して…。一体、私に何が言いたいわけ?」
   そうよね。占い師と言っても、サクラは所詮普通の人間。私達猫の気持ちが分かるわけないか…。
   その時、レイが一歩進み出て、サクラの前でキッチリ座って、深々と頭を下げてこう言った。
(サクラ姐さん。俺達、どうしても、この演奏会を成功させたいんだ。ほんの少しの間だけ、俺達を信じて、外に出しちゃあくれないか?)
   サクラは、じっとレイを見た。そしてしばらく考えてから
「あなたもイズミさん達のことが心配なのよね?」
と呟いてから
「すぐ帰って来るのよ」
と言って、裏口のドアを開けた。

「二手に分かれよう。こっちは俺一人で大丈夫。ジャニスはレイの前に、ケイトは後ろに付いて。何かあったら、直ぐに大きな声で知らせるんだぜ」
「分かったわ」
カーティスの指示で、公園の前の道を東西に別れて探索は開始された。
「外って、こんな風なのね」
店から外に出るのが初めてのジャニスは、キョロキョロしながら、興奮気味にそう言った。
「マドンナの匂いがあちこちに残ってる。ナカムラ君も一緒だな」
唯一衰えていないレイの嗅覚を頼りに、私達は二人を探した。
   私達三匹が少し奥まった細い路地の前に差し掛かった時、額に大きな傷のある一匹の黒白の雄猫に遭遇した。
(お?タマナシシジイが女子達に囲まれて、随分良いご身分じゃねぇか…)
(なに?コイツ、ムカつく)
(相手にするな)
怯えながらも苛立つジャニスをレイは制して、私達はそいつに目を合わせないように下を向いたまま、そそくさとその場を通り過ぎようとしたが、その雄猫は、私達の後を付いてくる。嫌だ、あっち行ってよ!
(なあ?どっちか俺にもまわしてくれよ。…おっ、後ろのネエチャン、あんたべっぴんだな。それに良いケツしてんじゃねぇか)
  その雄猫は、そう言って、私のお尻に擦り寄って来た。
(やめてよ!マダニがうつるじゃないの!)
  反射的に、私はそいつの顔面にパンチを喰らわせた。
(何しやがるんだ!このアマ!)
(あんたこそ、何よ!断りもなくヒトのお尻に触んないでよ!)
(よせ!ケイト!)
(無理!コイツ、どうにもなんない!)
   そこに騒ぎを聞いたカーティスが駆けつけた。カーティスは、目を菱形に尖らせた般若の形相で
(俺の女に手ぇ出すんじゃねぇ!!)
と叫んだ。
(なんだ?他にもいたのか、タマなし野郎が。おまえら、ここが誰のシマか知っててここに居るんだろうな?)
(知らねぇよ!だけど、俺達急いでるんだ。お前に関わり合ってるヒマはねぇんだよ!)
(はぁ?そんな理屈がこのオレ様に通用すると思ってんのか?ここを通りたけりゃあ、その女を置いて行くか、俺を倒してからにしな!)
(そんな時間はホントはないが、それなら受けて立つしかねぇな!)
「グァーオォーン!!!」
「ギャアーオー!!!」
   二匹の雄は、互いに睨み合って、すさまじい鳴き声を出し合った。二匹の間隔はほぼ一メートル。どちらがやるかやられるかの一騎討ちになる。
   カーティスが負けたらどうしよう?それに野良は病気を色々持ってることも多いし…。怪我したらうつっちゃうかも。だけどこの状況。もう、誰にも止められないわ。
「ギャッ!!!」
お互いの輪郭線が交差して、激しい叫び声が聞こえた。それと同時に
「コラッ!!!」
という鋭い人間の声がして、二匹の間に透明のロケットの様な物体が飛んできた。 私達は皆、その衝撃に驚いて、散り散りに四方に逃げた。
   その透明のロケットは、ナカムラ君が投げた、飲みかけの水の入ったペットボトルだった。
「君達、どうしてここに?」
その場に駆けつけたナカムラ君は、しゃがんでペットボトルを拾いながらそう言った。あちこちに散らばった私達は、パラパラととナカムラ君の足元に集まった。
(チェッ、邪魔が入った)
そう言って、野良猫はどこかに去って行った。
(カーティス、大丈夫?)
   よく見ると、彼のピンク色の鼻先には、血の滲んだ引っ掻き傷が付いてる。
(俺がお見舞いしたカウンターパンチの方が、余程強烈だった筈だぜ)
と、カーティスは、前足で鼻を擦りながら、平静を装ってそう言った。
(だけど、血が出てるわ。感染症、大丈夫かしら…?)
(先月、五種混合ワクチン受けたばっかだから、平気っしょ?)
  まるで人間同士のような会話を交わす私達の後ろで、レイが
「ニャーン」
と、人間向けのかわいい声を出した。彼の視線の先には、マドンナがいた。
「レイ君、どうしてここに?…他の皆も」
マドンナは、フラつきながら彼女の足に擦り寄るレイを、愛しそうに抱き上げた。
   騒ぎを聞きつけて、私達と反対の方向からママもやって来た。
「二人とも、ここにいたのね。それに…、うちの子達?あら、ジャニスとケイトちゃんまで一緒なのね」
  ママは、マドンナとナカムラ君を交互に不思議そうな顔で見た。マドンナは、声を震わせて言った。
「私、本番に弱くって…。よく演奏前に手が震えちゃうんです。特に今回は、相当ブランクがあるんで、正直自信がないんです」
マドンナは、レイを抱きしめたまま、すがるような目でママにそう訴えた。
「折角のお店の初イベントが、私のせいで台無しになってしまったら、って考えると居たたまれなくて。…それに、…彼にも迷惑をかけてしまうし。私、こんな凄い人の伴奏が務まるような器じゃないって、今頃気付いてしまって…」
「イズミさん。…そんな…」
マドンナとナカムラ君は、困った顔をしたまま見つめ合った。ママは、そういうことかと納得した顔で、一旦大きく深呼吸した。そして、マドンナに向かってこう言った。
「大丈夫。どんなことでも、なるようになるわ。逆に、どんなことも、なるようにしかならない。これ、私が今までの人生から学んだ結論よ」
「なるように、なる…」
「そう、なるように。それに、随分練習したって言ってたじゃない?やるだけやったら、後は自分を信じて流れの中に飛び込めば良いの」
「流れに、飛び込む…」
「そう、そうすれば、頑張った自分が何とかしてくれる。後は、ケ・セラ・セラよ」
「ケ・セラ・セラ…」
マドンナは、ママの言った言葉を繰り返した。
   ん?この感じ…、何か身に覚えがあるかも…。…あっ!。
「ジャニス、そこの塀の上に登って!」
「え?」
咄嗟の私の言葉にポカンとするジャニス。
「早く!急いで。で、マドンナの目に届く位地で尻尾を振って!」
「え?え、え?…何?…しっぽ?…?あっ、そっか!」
  状況を察知するのに一瞬たじろいだ後、慌ててママの後ろにある塀の上に登ったジャニスを見て、レイが合図を送った。
「ニャーン」
  抱きかかえているレイの顔を覗き込んで、その視線の先にあるジャニスの左右に揺れる尻尾を見ながら、マドンナは
「ケ・セラ・セラ…ケ・セラ・セラ…ケ・セラ・セラ…」
と、繰り返し呟いた。そして
「そうね、ケ・セラ・セラ…。大丈夫、なるようになるわ!」
と、急に明るい弾んだ声でそう言った。
「店の方は準備万端よ。お客様ももうかなり集まってるから、裏口から中に入ってね。私はケーキのデコレーションの仕上げがまだだから、先に行っておくわね」
ママは、安心したようにマドンナににっこり微笑むと、小走りにその場を去って行った。
  ナカムラ君がマドンナに言った。
「ケ・セラ・セラというスペイン語には、実はもう一つ意味があるそうですね。僕はそっちの方が好きです」
「へえ、そうなの?私、知らないわ。教えて」
  さっきまでとはうって変わってリラックスした雰囲気のマドンナにちょっぴり驚きながら、ナカムラ君は嬉しそうに言った。
「ケ・セラ・セラ。人生は自分次第」
「人生は、…自分次第?」
「そう、自分次第。思った通り、どんな風にでもなる、という意味です。とにかく今夜は、誰よりも、僕達が楽しみましょう」
ナカムラ君はマドンナに優しく微笑んだ。
「そうね、そうでなくっちゃね」
マドンナも、いたずらっぽい笑顔で答えた。

(何よ、さっきの“俺の女に手を出すな”って)
お店に帰るまでの道すがら、ジャニスがからかうようにカーティスに言った。
(あれ、格好良かっただろ?俺、ああいうの一ぺんやってみたかったんだ)
カーティスはおどけたようにそう答えながら、横目でニンマリと私を見た。
  その視線に気付かないふりをしながら小さく苦笑する私の気配を察して、レイはマドンナの胸に抱かれたままこちらを見下ろしながら、全てを悟ったような声で
「ナーォン」
と低く鳴いた。

  ステージは、予定通りに始まった。お客様は総勢30人くらい。いつもの常連さんやメイちゃん夫妻を始め、商店街の魚屋のご夫婦やお花屋のお姉さん、サクラの友達らしき年代の女の人やキョウヘイの師匠と思われる作務衣姿の人もいた。
  バックヤードで着替えを済ませたマドンナは、所々に小さなキラキラをちりばめた薄い生地のベージュ色のシンプルで上品なドレスに身を包んでいた。露出した肩の白さが薄いドレスの色と調和して、ちょっぴりセクシー。猫の私が言うのも何だけと、こんな風に正装した女性がいると、場の空気は各段に揚がる。
  ナ カムラ君も、いつもより濃い黒のズボンをはいていて、私の首飾りとよく似た黒い一重の蝶々型のネクタイを着けていた。
   二人は無言で現れて、定位置についた。そして、演奏が始まった。
(これは、何ていう曲なの?)
私はオルガにきいた。
(これは …。何かしら?私、聴いたことないわ  )
(僕も知らない。何だか軽やかだけど切ないメロディーだね)
  珍しく、オルガもルチアーノも知らないその曲は、マドンナのピアノ伴奏に合わせて、ナカムラ君のバイオリンがメロディーを奏でた。ルチアーノのコメント通り、軽やかだけどちょっと切ない、だけど少し楽しい雰囲気のその曲に、私達は聴き惚れた。メイちゃんやキムラさんや他の若い数人のお客様は、サビの部分で所々歌詞を口ずさんだりしていた。
  一曲目が終わって、お客様は皆、盛大な拍手を送った。ナカムラ君が、おもむろに喋り始めた。
「皆様、こんばんは。 私達、キサナドゥと申します。我々は、このお店で知り合って、ひょんな事から音楽ユニットを結成することになり、本日初めて、皆様に演奏を披露させていただいています。先ず一曲目にお聴きいただいた曲は、2020年にヒットした『猫』という曲です」
「この曲、私、好きよ」
  サクラがナカムラ君のトークに答える形で、場の雰囲気が一気に和んだ。
   なるほど。そういう流行の曲なのね。クラシック畑のオルガとルチアーノが知らないのも無理ないわ。
「このお店は、皆様ご承知の通り猫カフェですが、よくよく考えてみると、お店専属の猫さん7匹のお名前は、それぞれ色んなジャンルのミュージシャンのファーストネームが付いていることに、僕達、ある時気付いたんです」
「へぇー、そうなんだ」
  今度は、キョウヘイがマスターの方を見ながら言った。
「そうそう。知る人ぞ知るアーティスト名。さすが音楽家だ。よく気付いたね」
  マスターの言葉に、皆、それぞれ驚きのリアクションを示した。そうなんだ。私達猫も知らなかったわ、そんなこと。
「そこで今夜は、猫さん達がお名前を冠するそれぞれのアーティストの代表的な曲を、ピアノとバイオリンで、前半は少しジャズ風にアレンジして皆様にお届けしたいと思います。このお店は本来猫カフェですし、これは改まった演奏会ではありませんので、皆様、曲の途中もご自由に飲食やお喋りをお楽しみください」
  ナカムラ君は、慣れた調子でお喋りを続けた。
「次は、サリナ・ジョーンズの『ナイト アンド デイ』と、ジャニス・ジョップリンの『クライ ベイビー』という曲をやります。サリナ・ジョーンズジャニス・ジョップリンも、20世紀中旬に活躍したアメリカのアーティストで、サリナはジャズ、ジャニスはロックシンガーです」
  サリナとジャニスの瞳が輝いた。
「サリナやジャニスの事をご存じない方でも、曲はどこかで聴いたことがあるかもしれません。それでは、『ナイト アンド デイ』と『クライ ベイビー』。2曲続けて、どうぞ」
  ナカムラ君の流暢なトークに続けて、軽やかなピアノ演奏が始まった。自然に体を揺らしたくなるような軽快なリズム、これがジャズ風ってヤツ?先ずはピアノだけの演奏で、後半からはバイオリンがメロディーを奏で始めた。いつの間にかサリナはいつもの定位置に登って、皆を見渡しながら、すっかりご満悦。
   続いて曲調が変わると、今度は曲の頭から、バイオリンが朗々と歌い始めた。ハハン、これがジャニスの曲ね。ゆったりとした、だけどなかなかカッコイイ曲。『クライ ベイビー』ってタイトル、どういう意味かしら?ジャニスも、得意そうに、今やすっかりチャームポイントとなった自慢の尻尾でリズムを取っていた。
   演奏が終わると再び大きな拍手が起こった。
「ありがとうございます」
   ナカムラ君は、いつもより血色の良くなった顔で、嬉しそうにそう言った。マドンナもすっかりリラックスした余裕の表情でナカムラ君の方を見て微笑んでいた。
  その次の曲は、カーティス・メンフィールドの『ピープル  ゲット  レディ』とエリック・クラプトンの『ティアーズ  イン  へヴン』だと、ナカムラ君は解説した。
   カーティスの曲は、ゆったとしていた。この曲も前半はピアノソロ、後半はバイオリンが旋律を奏でた。穏やかだけどちょっと切ないそのメロディーを聴いていると、なぜだか見知らぬ街を一匹で旅しているカーティスの姿が思い浮かんで何だか淋しくなっちゃった。横目でチラリと彼を見たら、バッチリ目が合った。でも、いつものふざけた仕草で私にウインクする彼を見たら、現実に戻ってちょっとホッとした。
  その後の曲は、前の曲と少し調子が似ていた。これはエリックの曲。確か、以前、マスターがとても心動かされたとかいう一曲。…そう思ってマスターの方を振り返ったら、マスターは天井を見上げていた。ずーっとそのままの姿勢でその曲を聴いてたけど、途中でバイオリンが入ってきたら、目を押さえたまま厨房の奥に消えていった。エリックは優しい顔をして、マスターの後ろ姿を見送っていた。
  曲が終わると、また大きな拍手。
「次で前半最後の曲です。レイ・チャールズの『アイ キャント ストップ ラヴイング ユー』日本名で『愛さずにいられない』というこの曲は、昔からCM等にもよく使われている曲ですので、皆様のお耳にも馴染みがあるのではないかと思います。レイチャールズはピアノ奏者なので、今回はピアノのソロ演奏でお届けしたいと思います」
そう言って、ナカムラ君は、ピアノから離れた壁際に立った。
  マドンナのピアノがムーディーなメロディーを奏で始めた。大人っぽい雰囲気がレイによく似合う曲。それに、何だかものすごく懐かしい気持ちにさせられるメロディーだわ。レイは、目を閉じてジッとマドンナの奏でるピアノを聴いていた。マドンナのピアノはレイの静かで熱い想いを知っているかように、切ない音色で歌った。
  曲が終わると大きな拍手。
「ありがとうございました」
マドンナが、満足げな表情でそう挨拶した。
「これからしばらく休憩に入らせていただきます」
と言うナカムラ君のアナウンスで、皆席を立ったり食べ物のオーダーを取ったり、店の中は賑やかになった。
 
  そして、しばらくその賑やかな時間が続いた後、急に店内の灯りが消えた。
「えっ?停電?」
ザワつく店内に、ナカムラ君のアナウンスが響いた。
「皆様、突然で申し訳ございません。実は、この中に、本日お誕生日のお客様がおられます。この機会にこうして集まれたのも何かのご縁ですので、これから皆でお祝いいたしましょう」
  暗い店内でピアノがBGMを奏でる中、厨房から蝋燭の灯りに照らされた大きな四角いケーキがサクラによって運ばれてきた。
「ディア、 メイちゃん…で良いかしら?」
  ケーキを目の前に置かれたメイちゃんは、びっくりして両手で顔を覆っていた。
  ピアノとバイオリンがバースデーソングを奏で始めた。
「ハッピー バースデー  トゥー  ユー…」
一斉に合唱が始まった。歌が終わるとメイちゃんが、一気に蝋燭の火を吹き消して大きな拍手が起こって、店中は再び明るくなった。
「何で今日が私の誕生日だって…?」
  メイちゃんが驚きと喜びの交じったままの顔でサクラに聞いた。
「カード占いの前に、星座も聞いたじゃない?あと一日早かったら乙女座だったのにって言ってたから、記憶に残ってたの」
サクラが得意げにそう言った。
   大きなケーキは、皆に均等に切り分けられ、私達猫には、キョウヘイがコンビニで買ってきた、缶に入ったキャットフードを8等分したものが配られた。
(ほんのチョッピリ)
不満そうな私に
(幸せのおすそ分けは、それだけで美味しいものなのよ)
と、オルガが言った。

  そして、後半の演奏が始まった。
「後半の演奏は、よりクラシカルなムードになります。と言いますのも、オルガとルチアーノという2匹の猫さん、彼らと私は古くからのおつきあいなのですが…、この子達の今の名前は、高名なオペラ歌手のオルガ・ペレチャッコとルチアーノ・パバロッティに由来しているからです」
  ナカムラ君は、さすがクラシック音楽が専門とあって、その二人のオペラ歌手の事を、詳しく話し出した。
「ペレチャッコはオペラ界きっての美貌で、パバロッティは、世界三大テノールとして名高い人物です。…彼らの事を語り出すと、話しは尽きませんが、私のお喋りはこのへんで…。次の曲はモーツァルト作曲の『ハレルヤ』。続けて、オペラ『トゥーランドット』より『誰も寝てはならぬ』をお届けします。どちらも有名ですので、皆様お馴染みの曲かと思います。特に後の方は、トリノ    オリンピックの時に有名になりました」
イナバウアーね」
客席から、朝の常連サトウさんが、ご贔屓のジャニスを膝の上に乗せて喉を撫でながら言った。ジャニスは、気持ち良さそうに体を大きく後ろに仰け反っていた。
「その通りです」
ナカムラ君が、サトウさんとジャニスにそう言って、楽しそうに頷いた。
「それでは、二曲続けて…」
  ピアノの軽やかな伴奏に合わせてバイオリンが旋律を奏でた。規則正しいリズムで指の動きが忙しそうな曲を、二人は濁りのない音で演奏していた。
  確かに前半の曲とはムードが違うわ。ナカムラ君の表情も心なしかさっきより凛として見える。クラシカルなムードって、そういうの?
  オルガは、さっきナカムラ君の言った「オペラ界きっての美貌」という言葉がいたく気に入った様子で、しなやかな動きで客席をゆったりと歩いた。
「これはあなたの曲ですってよ」
そう言って喉を撫でてくれたタケヒサウタさんに
(そうなの。素敵でしょ?)
とオルガは高く澄みきった声で応えた。
   しばらしてまた曲が変わった。今度は静かに始まって、途中からバイオリンの音が、どこまで広がるのかと思うくらい伸びやかに歌いだした。まるで、人が歌っているみたい。
「ああ、この曲ね」
お客様の何人かが、そうつぶやきながら、それぞれに首を小刻みに振ってリズムを取ったり、目を閉じてメロディーに身を委ねていた。
   ルチアーノも、フサフサのシッポをゆったりと八の字に振りながら、気持ち良さそうにタクトをとっていた。
  曲が終わると、益々大きな拍手が響いた。後半になると、お客様の気持ちもノッてきて、皆の一体感がより増している感じ。気のせいかもしれないけど、私にはそんな風に感じられる。
「こんなに気持ち良く演奏させていただいて、皆様、本当にありがとうございます」
ナカムラ君は、頬を紅潮させてそう言った。
「このお店の専属猫さん達のテーマソングは以上ですが、もうお一方、大切な猫さんが残っていますね」
  ナカムラ君が私の方を見た。
「ケイトちゃんがこのお店でパート勤務をするようになって、お店の雰囲気がガラリと変わったと、以前マスターからお聴きしました」
  ナカムラ君の軽妙なトークに、軽い笑いがあちこちで起こった。
「飼い主さんにお伺いしたところ、ケイトちゃんの名前の由来に、特にモデルはいないそうです」
「そうなの?」
と尋ねるサクラに
「ええ、何となく。Kで始まる名前を付けたかっただけなの」
と、カオルが小声で答えた。
   何で?不思議な人。単に4Kしたいが為に付けた名前なのかしら?
「そこで、色々考えて、曲を決めました」
  どんな曲かしら?ワクワク。
「1997年に上映された映画、『タイタニック』のヒロインが、ケイト・ウィンスレットという女優さんで、私の父がこの人のファンでしたので、そこからこの曲をセレクトしました。この映画は、長い間記録を更新されない大ヒット映画だったようです。沈没する大型客船タイタニックを舞台に繰り広げられる悲しくも美しいラブストーリーをご覧になった方も多いのではないでしょうか」
「私、3回映画館で観たわ」
キムラさんが呟くのが聞こえた。
「それではお聴きください」
   曲は、ピアノとバイオリンの切ない調べで始まった。何てドラマティックな曲。これが私のテーマソングなのね。悲しくも美しいラブストーリーのヒロインになった気分で、胸がキュンとしちゃうわ。ああ、ショウ君にも、この曲聴かせてあげたいな。
  ロマンティックな調べにうっとり聴き惚れている私の頭を、傍にいたノザワさんが優しく撫でながら
「ケイトちゃん、良かったね」
と言ってくれた。
  そうね。このお店に来ることができて、色んな猫や人に出会えて、色々な経験ができて、私、ホントに良かったわ。これからも、この、アートスペース猫カフェマリエがどんな風に進化していくか、楽しみだし。
   曲が終わると、また大きな拍手。
「ありがとうございました」
  満足そうに、ナカムラ君が言った。
「今日は、皆様のおかげで本当に素晴らしい演奏会になりました。しかし、楽しい時間も終わりが近づいて参りました。次の曲で最後になります」
   何だか名残惜し感じの、「えー」と言う皆の声を聞きながら、ナカムラ君は話を続けた。
「以前、このお店で初めてバイオリンを演奏させて頂いた時、スラブ風の曲を弾いたら、猫さん達がとても喜んでくれました。スラブ風楽曲というのは 、旧ソ連から東欧に古くから住む諸民族からなるスラブ人の伝統音楽の要素を含むもので、 ゆったりとした哀愁の部分からテンポの早い明るい部分への急激な転換を特徴とする場合が多いのですが 、今宵最後にお届けするのは、『チャルダッシュ  』というスラブ風音楽です。この『チャルダッシュ』はヴィットーリオ・モンティというイタリアの作曲家による19世紀 の音楽で、当時はウィーンを始めとしてヨーロッパ全土で大流行したそうです。       
   皆様、本日は、私達キサナドゥの演奏に最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。それでは、『チャルダッシュ』お聴きください」
   そして、ドラマティックなピアノの歌い出しで、演奏が始まった。
  バイオリンが入る部分からは、前の『ツィゴイネル…』何とかの時みたいに、何とも物悲しい。私は、カオルの家に来る前にお兄ちゃんと一緒にさすらっていた頃の事を思い出した。あの頃冷たい雨に濡れて風邪をひきそうになったこともあるし、路上を走る車の前で立ち止まってクラクションをガンガン鳴らされたこともあったわ。あの時、車にひかれてたら、今の暮らしは無かったのね。大変だった私の放浪時代。…あら、何で今、こんなこと思い出すのかしら?このスラブ風…というヤツは、どうも私を感傷的にさせる。
   そうやって、しんみりしている私の隣に、気づいたらルチアーノが来ていた。私の方を見てニンマリ笑っていて、フサフサの尻尾はフワフワ波打っている。このヒト、何か企んでるわね。
   私がそう思った瞬間、曲調がガラリと変わった。何?これ?…ほら、あの、アメリカのアニメで猫とネズミが追っかけっこするアレ…みたいな。そんな曲を聴きながら、ルチアーノが目の前を走り去ったら、やっぱりここは追いかけるしかないわよね。お客様達の足元をうまくすり抜けて走る、ルチアーノと私の追いかけっこに、ジャニスとカーティスも加わった。
「わっ、猫の運動会が始まったぞ!」
お客様の誰かがそう言った。沢山の机と椅子と人間の脚を瞬時に上手く避けながら私達は疾走した。中には、脚を椅子の脚の横木に乗せて浮かせることで、私達のステージを少しでも広げようとして下さる気の利いたお客様もいらした。意外に俊敏なルチアーノを追いかけながらチラリとナカムラ君の方に目をやると、彼の指とバイオリンの弓は、物凄い素早さで緻密な動きをしながら音を繰り出していた。この人凄いわ。これって、超絶技巧ね。…よく分からないけど、きっと、お客様達も皆、そう思ってるんじゃないかしら?
   そんな機敏な音楽と猫達の掛け合いの中に、間の悪いタイミングで出し抜けに客席の様子を見に厨房からカオルが現れたもんだから、私は踏まれないように急停止した。この人は本当に鈍くさくって、日頃家の中でも普通に歩きながら、足元を歩く私をしょっちゅう踏みそうになる。たまにホントに踏んづけて、ギャッ!て叫ぶ私に謝りながら
猫踏んじゃった
なんて、カオルは吞気に歌っているけれど、自分の体の半分以上ある大きな足で踏まれるのは、例えスリッパでも結構痛いのよ。しかも、今日は皮靴を履いているんだから、こんなのに踏まれたらたまらないわ。だけど、あまりのスピードで走ってたものだから、私の体は床の上でスリップした。するとタイミング良く、また曲は調子を変えて、急に穏やかになったから、私は床の上に体を投げ出して寝転がった。
(ああ、疲れた。ちょっと休憩)
優しいムードの曲の展開にゆったりと身を委ねてしどけなく横たわる私の顔を、さっき外で見せた表情とは打って変わって優しい目をしたカーティスが覗き込んできた。
(カーティス、さっきは助けてくれてありがとう)
(どう?惚れ直しただろ?)
カーティスは、いつものようにおどけてそう言った。
(え?)
  いや、別に、そういうんじゃないんだけど…とも言えずに口ごもる私に
(…って、まだ惚れてないか…)
と、自分に正しい突っ込みを入れながら、カーティスは、囁くようなピアノとバイオリンの音に合わせて尚も優しい目で私を見つめ続けた。
(ねぇ、ケイト。鼻チューして良い?)
(え?鼻チュー?いっ、良いけど…)
   鼻チューは、猫は挨拶替わりにしょっちゅうしている。よく朝のお散歩の時、ヨシダさんのお庭でショウ君ママに会ったら、
「ケイトちゃん、はい、鼻チュー」
と指をかざしてくるから、人間とは鼻と指ですることもある。でも、カーティスにそうやって改まって言われると、何だか照れるわね。
(ケイト、好きだよ)
そう言って、カーティスは私にゆっくり顔を近づけてきた。カーティスと鼻チュー、…まあ、良いか。
   と思った次の瞬間、またしても急に曲調が変わった。今度も、さっきと同じ激しいテンポ。
(やっぱ、今はダ~メ)
そう言って身を翻して走り出した私を
(待て~、ケイト!)
と、カーティスが嬉しそうに追いかけて来て、再び猫達の競演が始まった。曲は、途中から更に明るい雰囲気に転調し、他の猫達も皆、踊りの輪の中に加わった。サリナも床に降りてきて、目の悪いレイも、床に広がったマドンナのドレスの裾の上で、ゴロゴロ転げ回っていた。
   ナカムラ君のバイオリンは益々調子を上げて、そこにお客様達の手拍子も加わって、店内は古いヨーロッパ映画に出てくる酒場の様な熱気に包まれた。
   そして、最高潮に盛り上がった瞬間、バイオリンは長く三つの音を奏でて歌い終わり、ピアノは全ての音をきらめくように奏でて幕を終えた。
「ブラボー!!!」
  マスターの掛け声とほぼ同時に魚屋のご主人も立ち上がって、皆で一斉に今までで一番大きな拍手をした。店内の30人ほどのお客様はその倍くらいいそうな大きな拍手を二人にいつまでも送り続け、それはやがて、前にナカムラ君が一人で演奏した時と同じようにアンコールの掛け声に変わっていった。
   しばらくアンコールが続いた後、今度はマドンナがピアノの前の椅子から立ち上がって皆の方に体を向けて話し始めた。
「皆様、今夜は本当に素晴らしい機会を私達に与えてくださってありがとうございました。この場を提供してくださったこのお店のマスターとママ、それから、細々とした準備してくださったサクラさんとキョウヘイさん、そして、裏方をお手伝いくださった皆さん、また、お集まりいただいた全てのお客様、皆様、本当にありがとうございました。今夜、こうしてこのお店で演奏できたことを本当に嬉しく思っています」
  皆の温かい拍手が広かった。
「それから、他にもお礼を言わなければいけないのは、このお店の猫ちゃん達。皆、本当にありがとう」
そう言うと、マドンナはしゃがみ込んで彼女の直ぐ傍で丸まっているレイを抱き上げ
「レイ君、ホントにありがとうね」
とレイの額に自分の額をこすりつけた。
   レイを抱いたまま、マドンナは皆に話し続けた。
「私、ここに来るまで、心身ともに相当弱ってて、だけど、このお店で猫達に救われました、本当に。それで、元気になれたお礼の意味もあり、今夜、こうして皆様に私達の音楽を聴いていただきました」
「よかったわね!今日のあなた、とっても素敵よ」
魚屋の奧さんが、良いタイミングで声をかけて、再び温かな拍手が起こった。
「アンコール、本当は別の曲を準備していたのですが、ここに来る前、ちょっとしたハプニングが起こり、それで、こっちの曲にしようかなあって、急に予定を変えちゃいました」
マドンナは、お茶目な笑顔でナカムラ君の顔を見た。ナカムラ君は無言で頷いた。
「さっき、バックヤードで、ミニキーボードで1回練習しただけなので、上手く弾けるかどうか分からないのですが、それも含めて、この曲は今の私に、そして、このお店に、またこれから起こるこのお店の物語にぴったりじゃないかと思うんです。皆様、ご存じの方はご一緒にご唱和ください。本日は本当にありがとうございました」
   タイトルを言わないまま、マドンナはピアノの前の椅子に戻り、前奏を奏で始めた。旋律はナカムラ君のバイオリンがソフトに歌う。
  あら、この曲は…。
  三拍子の曲は、四本脚の猫には踊りにくい。さっき散々かけずり回ったから、ちょっと休憩しよっと。客席と厨房の行き来が一段落して、客席に戻ったカオルの膝の上の私は上った。
「あら、ケイト、自分から膝に来るなんて珍しいわね」
そう言いながら、カオルは空になったコーヒーカップの中を見て
「あら、この絵、ケイトね」
と言った。
  キョウヘイ、私の絵柄のカップもいつの間にか作っててくれたのね。改めて、この店の猫の仲間になれて良かったと、その幸せを噛みしめながら、私はカオルの膝の上でゴロゴロ喉を鳴らしながら目を閉じた。
   マドンナがアンコールのために急遽選んだ三拍子の曲は、年配のお客様には馴染みがあるみたい。サビの部分の歌詞を、佐藤さんと魚屋の奧さんが気持ち良さそうに歌っている。
「ケ・セラ・セラ 
成るようになるわ 
先のことなど 分からない」
  お花屋さんのお姉さんは、日本語っぽくない言葉で歌っている。
「Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
Que Sera, Sera」
「分からない  分からない
ケ・セラ・セラ」

 

 

 

『棗坂猫物語』シーズンワン (完)


f:id:kanakonoheya:20220514191203j:image