棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

2-12章


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2-12章

 そんなある日、ヨシエママが仕事中、珍しく長電話をしていた。
 幸せに暮らしていたはずのヨネとナナオが大変なことになっているというのは、電話口から所々漏れ聞こえる相手の声と、ママの会話の端々と、その雰囲気で何となくわかった。
「大変だけど、くれぐれもお大事にね」
と締めくくって、ママは電話を切った。
 私達猫は、その後もママとマスターの会話に耳を澄ましながら、状況を様々に憶測していた。
(ナナオ、どうなっちゃうんだろう?)
エリックが、心配そうに言った。
(若い子は、その位大丈夫じゃねぇ?)
カーティスが、無理におどけた感じでそう言った。
「猫風邪、だって?」
マスターがママにきいた。
「ええ」
ママは、眉間に皺を寄せながら何とかそれだけ答えた。
 外猫との接触で罹患していたウイルス性の感染症を、引っ越しのストレスによって発症したヨネによって、ナナオがいわゆる猫風邪に感染したのは、母子が家猫になってから丁度一週間経った時だった。
 それまでも、ヨネとナナオの飼い主のメイちゃんは、二匹の健康に配慮した食事の与え方から匂わないトイレの選び方等、猫の飼い方のいろはを、よくママに相談していた。それに加えて私からの情報もあり、アートスペース猫カフェマリエの猫達は皆、ヨネとナナオの事について、すっかり詳しくなっていた。
(会ったことはなくても、これだけ噂を聞いていれば、もうすっかり仲間みたいな感覚ね)
(何だか、私達皆の子ども、みたいな…)
(ポスターの写真なんて、ホントにアイドルみたいだったしね)
さっきも、オルガとサリナとジャニスと一緒にそんな女子トークをしていたところだった。
(猫風邪って、…確か、こじらせるとすごく質が悪いアレ、だよね…)
ルチアーノが、不安げに耳を伏せながらそう言った。
「一匹が猫風邪にかかったために、多頭飼育の猫舎の猫が全滅したって話を、実はこの前、保護猫ボランティアの仲間から聞いたばかりなの。今、すごく流行ってるみたいで、獣医さんも対応に追われてるらしくて…」
しばらくしてママがマスターにそう言った。
「母猫の方は大したことなかったみたいだけど、子猫の方が日に日に重症化してるみたいで。子猫は体力もないし、食べられないとすぐに体重が激減して、どんどん衰弱していくのよ。ナナオは、今朝から何も食べないし、水も飲んでないって…」
 ママの言葉に、猫達は動揺した。
(ウソ?あの子は、一体どうなっちゃうの?)
ジャニスは我が子を思う母のように取り乱した。
(大丈夫よ。メイちゃんは確か看護師さんだったはず。彼女がついてるんだから、きっと何とかなるわ)
私は、占いの時にメイちゃんが言っていた彼女の個人情報を思い出してそう言った。
「ここのところ、点滴を受けに連日動物病院通いだそうよ」
「二匹同時だと、高くつくだろうな」
「ええ。だけど、もともとペット保険に加入してたから、お金の方は心配ないって」
「さすがだな」
そんな現実的な話をママとマスターはしながら、自分達に出来ることは何かと、一生懸命考えているようだった。
「先ずは何とか食べさせないと…。うちで一番食の細いサリナも必ず完食する、あのスペシャルキャットフード、送っとこうか。サクラなら、彼女の住所分かるよな?」
「ええ、多分、知ってるはずよ。…あっ、それなら、一緒に、この高カロリー食も」
マスターとママは、スマホを見ながら、ヨネとナナオのお見舞いの品を、仕事そっちのけで選んでいた。
 そんな二人の様子を見ながら、私達猫もどうしたものかと皆それぞれに思いあぐねていると、私を迎えに来たカオルが店に入るなりママとマスターにスマホを差し出して
「大変です。ナナオがこんなになっちゃった」
と悲鳴にも似た声をあげた。
 カオルがカウンターに置いたスマホの画面には、痩せこけて目やにと鼻水で顔の毛がガチガチに固まって、やさぐれきったナナオが写っていた。
(これは…)
それぞれの位置からナナオの写真を確認して、皆一瞬絶句した後
(マジでヤバいな)
と、カーティスが低い声で呟いた。

 どうしたら、ナナオを助ける事が出来るのかしら?私は、お家に帰ってリビングで一人考え込んだ。他の猫達も言ってたみたいに、ナナオはもはや、私達のかけがえのない仲間。…いいえ、私にとっては、…うーん、何て言って良いのか分からないけど…、とにかくとっても大切な存在。ショウ君ともマリエの仲間達ともお兄ちゃんともちょっと違う…。
強いて言えば、今日サリナが言ってた「子どもみたいな」感じかしら?私にはヨネみたいな母性はないけど、ナナオを何とかして守りたいという気持ちはとっても強い。これって…。

 モヤモヤした気持ちで一晩過ごし、翌日はサクラのお迎えでマリエに出勤した。その日は、比較的早い時間からキョウヘイも店に来て、昨日に引き続き、皆でナナオの事を話し始めた。
「あれから一度だけウエットフードを食べたらしいけど、相変わらず鼻で呼吸ができなくて、今日もこれから病院で点滴と吸入をしてもらうそうよ」
ママが、スマホのメイちゃんからのメッセージを見ながらそう言った。
「かわいそうに。苦しいでしょうね」
サクラも心配そうだ。
「メイちゃんも、かなりしんどいだろうな」
マスターが、眉毛を八の字にしてそう言った。
「前にうちのモカ君が病気になった時、俺、人生でこれ以上ないくらい祈ったよ。俺の寿命を半分にしても、何なら俺は半年後に死んでも良いから、この子を助けてくださいって」
キョウヘイが昔のことを思い出しながら、険しい表情で腕組みした。
「その半年って、何か意味あるの?」
とサクラ。
「いや、余りにも急だとさ、残しとくと恥ずかしい物とかあるじゃん。身辺整理に、それくらいは時間がほしいかな、と」
「何よ、それ」
「だから…、そこ、突っ込むとこじゃなくて…。それくらい、命懸けで祈ったことがあるってこと」
「命懸けで祈る、か。…確かに、祈るって、『命 宣(の)る』と字を当てることも出来るものね」
サクラが、そう言って、妙に納得したような顔で頷いた。
 命懸け、か。そんな気持ちになれば、願いは叶えられるものなのか。果たして私は、ナナオのために命をかけることができるのかしら?…うーん。それは正直自信がないわ。私はまだ、死にたくはないもの。だけど、ナナオはまだ二ヶ月ちょっとしか生きてない。あんなにかわいい子猫がそんなに早く死んじゃうなんて、絶対に嫌。私もナナオのためなら、寿命の半分くらいあげても良いかも…。
 実の母親のヨネは今、どんな気持ちかしら?ヨネは、ナナオのためなら死んでも良いと思うのかしら?
 そんなことをあれこれ考えているうちにその日は終わり、私はサクラに連れられてお家に帰った。このところ、サクラの占いのお客様はめっきり少なくなってきているが、サクラは前とは違って、今ではそのことを一向に気にしている気配はない。
「必要な時に必要とされればそれで良いのよ」
とサラッと言って、キョウヘイと次のアートスペースの催し物の段取りを相談したりしていた。

 お家に帰ってその日も一通りのルーティーンをこなし、後は4Kを待つばかりという状態で、私は見るともなくリビングでカオルがつけっ放しにしているテレビのニュースを見ていた。
 今や定番となったウクライナ情勢の報道の中で、その日はロシアの女の人達のことが特集されていた。「兵士の母の会」というグループのリーダーの、大きな体の鼻の高い女の人が、泣きながら何かを懸命に訴えていた。その人が何を言っているのかは一言も分からないけど、彼女がどんな気持ちなのか、私には痛いくらいに伝わってきた。この人はきっと、自分の命よりも大事なものを守りきれない苦しさと憤りの渦の中に居るんだろう。理屈は知らないけど、その気持ち、今の私には何だかとても良く分かる。
 
 そして、その夜の私が寝ている所に、若い姿のミスズさんが現れた。この前は夢の中だったけど、今回は、枕元に立った、という感じ。
「コウメちゃん」
この日のミスズさんは、ウエストを細く絞った膝下丈のブルーグレーのワンピースをカッコ良く着こなしていた。
「コウメちゃん。…いいえ、違った。今はケイトちゃんね」
ミスズさんが今の私の名前を知っていたから、私はものすごくビックリした。
「ビックリするのも無理はないわね」
と私の頭を撫でながら、だけどミスズさんは、さらにビックリすることを言った。
「私と離れてからのあなたのこと、私はずっと見てたわよ。…もっとも、始めの7週間は何かと忙しくて、それどころじゃなかったけれど…」
 え?何のことを言ってるの?
 私の心の声はミスズさんには聞こえるらしく
「そうね。あなたにはこの話は少し難しいかもね」
と言って、彼女は優しく微笑んだ。
「だけどね。今日、私がここに来たのは、あなたを助けたいと思ったからよ」
ミスズさんは、急に真剣な面持ちでそう言った。
「愛する者を守るために、今何をしたら良いのか。今のあなたの疑問に答えるために、私はここに来たのよ」
ミスズさんは、私の日常の様子だけでなく、心の中まで見通しているかのようにそう言った。
(どうして、そんなに私のことが分かるの?それに、そもそもどうして今まで私の事を見ていたの?)
私の問いにミスズさんはこう言った。
「それは、私があなたの事を、娘のように思っているからよ」
そう言って、ミスズさんは優しく私を抱き上げて、頬擦りしながらこう言った。
「コウメちゃん、愛しているわ。これまでも、そしてこれからもずっと」

 


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