棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

2-13章


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2-13章

 えっ。そ…、そうなの?
 ミスズさん、ありがとう…。だけど、そんな風に改まって言われると何だか照れくさいし…。どうしていいのか、私は少し困惑した。
 そんな私を見て、ミスズさんは可笑しそうに微笑んで、私を優しく寝床の上に下ろすと
「良い?コウメ…じゃなくて、ケイトちゃん、よく聴いて。あなたが今直面しているのは、生老病死と言って、生きとし生けるもの全てが体験する課題なの」
と言った。
(ショウロウビョウシ…)
「生まれれば必ず死ぬ。その間に老いたり病気になったりしながら。どんなに頑張っても、それを免れることは、誰にもできないの」
(…)
 私には、ミスズさんが言っていることは、少し難し過ぎた。…頭では何となく分かるけど、気持ちがついていかない。ピンと来ないと言うか…。
 ミスズさんは、言葉を続けた。
「与えられた命の長さとか、様々な条件は、大抵あらかじめ決まっている。それを運命と言うの。例えばあなたが猫であることとか、私が先にいなくなって野良になったこととか…」
(じゃあ、ナナオはこれからどうなるの?あなに小さくてかわいいのに、この世に来てすぐに死んじゃうなんて、そんなの絶対ダメよ!)
私はミスズさんに、すがるような目でそう訴えた。
「そうね。もしそうなったら、とっても可哀想。でも、そうなったらそれがその子の運命なのかも」
(そんな…)
私はガックリと肩を落とした。
「でも、それを何とかしたいとあなたが必死になっていたから、私はここに現れたのよ」
ミスズさんは、真剣な表情で言葉を続けた。
「もしも、運命を変えたいなら、出来ることを全やってみること。そして、やれるだけやったら、後は正しい心持ちで大いなるものに委ねること。それを、人間の言葉では祈りと言うのよ」
(正しい心持ちで…委ねる…)
「そう。大いなるものと繋がるためにね」
(それは、どうこうことなの?)
そもそも、正しさって?皆、自分では自分の事が一番正しいと思ってる。「それぞれの正義」という、以前ショウ君が教えてくれた言葉を、咄嗟に私は思い出した。
「正しさは、それぞれの目の高さで違って見える。確かにあなたの思うように、それぞれの正義があると、何が正しいのか分からなくなる。だから、大いなるものと繋がるために人は祈るの。すると、一番良い方法が見えてくることがあるのよ」
 ミスズさんの言ってること、何となく分かるわ。だけど、具体的に、私はナナオのためにどうやって祈ればいいの?
「まず、その子が必ず元気になると信じること。そして、できるだけ多くの人が幸せになる方法を考えて行うこと。命を懸けるのではなく、今は命を使うの」
(命を使う?)
「それを、使命と言うの。あなたには、あなたにしかできない使命がある。前向きな気持ちでそれを行う事で、大いなるものと繋がって、あなたの思いは叶いやすくなるの」
(私の使命…)
 何だろう?そんなの考えたことない。猫の私にできる、多くの人を幸せにする方法…。
 そんなことを真剣に考えている私を、ミスズさんは、ずっと優しい眼差しで見つめていた。
「あなたは、本当に賢い子ね。それに、私の所にいた時よりも、随分成長したわね」
しゃがんで私の頭を撫でながら、ミスズさんは言った。自分の使命が何かを考えながらも、ミスズさんに頭を撫でられるとものすごく気持ちが良くて、私はうっとりと目を閉じた。
 そう言えばミスズさんこそ、私と一緒にいたおばあさんの時は、こんなに聡明な人だったかしら?一日中お家の中にいて、決まった時間にテレビを見ていた印象しか、私にはなかったけれど。
「私は晩年、認知症という脳の病気を患っていたの。あの頃は、頭の中に霧がかかったようで、物事がハッキリとらえられなかったわ」
私の心の声に、ミスズさんはそう答えた。
「生きているうちは、人生の色々なことに翻弄されたけれど、あちらに行ってからは、幸せに暮らしているのよ。あの人にもいつでも会えるしね」
 良かった。一人で淋しそうだったおばあさんのミスズさんが、今は幸せで。ああ…、私の使命って…何だろう?そんなことを考えながら、寝ているのか起きているのか分からないまま朝を迎えた時には、ミスズさんは、いつの間にかいなくなっていた。
 
 日が昇ると、私はショウ君の窓辺で、ミスズさんに聞いたことをお話しした。
(私の使命って、一体何なのかしら?)
(それは、ケイトがケイトらしくいることだよ)
ショウ君は即答した。
(私が私らしくいること?)
拍子抜けしてそう聞き返す私に
(ケイトはそのままで、十分みんなの役に立ってるよ)
と、ショウ君は優しく微笑んだ。
(ケイトが毎朝来てくれる事で、僕自身もとても元気づけてもらってるし、きっと他の皆もそうだと思うな)
 キャッ、そんなこと言われたら、私、嬉しくって舞い上がっちゃう。
 そうしてショウ君といい雰囲気で見詰め合っているとカオルのお呼びがかかり、私は渋々お家に帰った。
 
 そして、いつものようにマリエに出勤後、私は皆にも同じ話をした。
(使命)
(私達、猫の…)
 話は私だけの事ではなく、皆の、そして、猫全体の問題にまで広がっていった。
(だって、私達皆、ナナオのために、ちょっとでも力になりたいんだもんね)
ジャニスの言葉に、皆は同時に頷いた。
 しばらく皆無言で、一生懸命考えていた。私達、猫の使命を…。

(あれ?何、この音?)
最初にこの沈黙を破ったのはサリナだった。
(え?何?何にも聞こえないわ)
と、私。
(…これは…)
ルチアーノは、その先端を細かく震わせながら、耳を澄ましていた。
そして
(『カヴァレリア ルスティカーナ』ね)
オルガがそう言った瞬間、沢山の楽器を持った人々…つまり交響楽団の姿がそこに現れ、私にもハッキリ聴こえる音で、演奏が始まった。
(あっ!オトウサン!)
ルチアーノが歓声をあげた。
 今日はまた、オーケストラも特別大所帯だわ。そう思って見ていると、その集団の真ん中、指揮者のナガレヤマ先生の後ろに、二匹の猫がいた。
(レイ!ホントに来てくれたのね!)
ジャニスが叫んだ。
(ああ。皆、久しぶりだな)
すっかり元通りの元気な姿の、少し輪郭の薄いレイは、そう言って、懐かしい照れ笑いを浮かべた。
 レイと一緒にいる、白黒のハチワレ模様の長毛の猫も、微笑みながら無言で頷いた。
(この方は?)
私がレイに尋ねると
(俺の母親だ)
とレイはもう一匹の猫を皆に紹介した。
(キナコと申します。生前は、息子が大変お世話になりました)
レイの母猫は、皆に丁寧に挨拶した。
(まだ旅の途中だけど、皆にお礼を言おうと思って来たんだ。約束だったしな)
レイは言った。
(そちらの…、お母さんは?)
と、エリック。
(一人で向こうに逝くのは不安だろうからって、迎えに来てくれたんだ。先に逝ってる近しい者が来てくれる。大抵、そういうことになってるらしい)
(それから、皆さんが今お困りの問題に、私の経験が少しはお役に立つのではないかと思って、私もこちらについて参りました)
レイの母親のキナコは、丁寧にそう言った。
 キナコの話に、皆は一心に耳を傾けた。
(私も生前は、長い間、野良をやっておりました。その間に私も猫風邪を患って、片目も失う程に悪化して、随分苦しみました)
キナコは、今ではすっかり元通りになった両目に穏やかな光をたたえながらそう言った。
 片目も失う…、そんなことにもなっちゃうの?
(この子を生んで、必死で育てて一人立ちさせて、ボロ雑巾のような瀕死の状態の所を、生前の飼い主に保護されて、それから5年生き延びました。片方しか目のない私を、その人は本当に大切に世話してくれました)
キナコは、当時の事を思い出しながらしみじみとそう語った。
(そんな状態から、どうやって猫風邪を治したの?)
私の質問に
(それは、飼い主の献身的な看病の賜物。それと、もう一つ、生きようという気力です)
と、キナコはキッパリとそう答えた。
(正確には、猫風邪は完全には治らないんです。ウィルスはずっと体の中に潜伏していますし、私の場合は、かなり重症でしたから。だけど、生きようという気力をもって、しっかり食べて安全な環境で存分に寝て体力を付ければ、元気になるんです)
キナコは更にこう言った。
(体力が戻るにつれ、私はこう考えました。あのまま野垂れ死ぬ運命だった私を助けてくれたこの人のために、私はこれから生きようと)
 すると、今度はレイがこう言った。
(誰かのために生きようと思うことが、弱った体に生命力を与えるんだ。俺たち猫がただそこにいるということを喜んでくれる人がいる。その人のために生きる。そして、死んでからも、ずっとその人を守る。俺たち、一旦人との関わりを持った猫の使命っていうのは、それにつきるんじゃないかと思うな)
 出た、「使命」って言葉。今朝、ショウ君が言ってくれた「私が私らしくいる」っていうの、は、そういうことだったのかも。
 そして、これは私達猫に限らず、犬も同じじゃないかしら?特に、さっきレイが言った「死んでからも、ずっとその人を守る」って、いかにもキョウヘイに対してモカが言いそうな台詞だわ。
 やがて、オーケストラの演奏は静かに終わり、やって来た皆の輪郭も徐々に薄くなっていった。
(ありがとう、レイ。キナコさんも、ごきげんよう)
(ナガレヤマ先生とオーケストラの皆さんも、またね)
また今度、があると思えるから、私達の別れの挨拶はあっさりと終わった。
 曖昧な輪郭を徐々に薄れさせながら、向こう側の世界の皆さんは最後にはすっかり消えて見えなくなった。その後に、皆の残した微笑みの余韻だけが、しばらくその場にたゆたっていた。
 
 彼らを見送った後、私達はしばらく呆然としていた。
 だけど、時計の針が11時を指したのを見て、私は我に返った。これからお店はランチタイムに入る。時は刻々と過ぎていく。こうしちゃいられないわ。
(さあ、皆、これから作戦会議よ!)
 私は立ち上がった。可愛いナナオの命を守る為に。そして私達猫の、大いなる使命を遂行する為に。

 


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