棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

2-16章


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2-16章

 女の子は、ピアノの椅子に座って、鍵盤に一旦指を乗せてはまた離して、しばらく思いあぐねていた。
「この前習った曲を弾いてみたら?」
お母さんが席に座ったまま、優しく声をかけた。
 お店の中には、お客様はこの親子だけ。だけど、自分から言い出した事とは言え、何かを自分からやり始める時は、誰でも少しためらうもの…。さっきの私も実はそうだったみたいに。
 大きく息をした後、女の子はたどたどしいリズムでピアノの演奏を始めた。
(『きらきら星』)
ルチアーノが呟いた。
 ママは目を閉じて、ピアノの音を聴いていた。マスターも、厨房から出てきて、ママと同じように優しい顔で目を閉じた。きっと、二人の心の中には、今、同じ光景が見えているのね。
 一曲弾き終えたところで、二人はカウンターの中から、女の子に暖かい拍手を送った。
 その拍手をきくと女の子は急にリラックスして
「あっ、そうだ。これも弾けるの」
と、思い立ったように、再び鍵盤に向かった。
 今度は、さっきの『きらきら星』よりも流暢に、女の子はピアノを弾いた。
「子どもは皆、この曲が好きだよね」
「この場所にぴったりね」
 後から店内に入ってきた他のお客様達は口々に、優しい笑顔で女の子の方を見てそう言った。
 その曲を、女の子は得意気に何度も繰り返し弾いていた。私のいる、ピアノとほぼ同じ高さの離れた台の上からは、鍵盤は全然動いていないように見えた。
 ルチアーノは、楽しそうに尻尾でリズムを取りなから彼女の足元にいたが、やがて
(僕も参加してもいいかな?)
と言うと、音もなくピアノの上に飛び上がった。そして、黒い鍵盤の上を、女の子の指をうまく避けながら歩き回り始めた。
「わっ、猫が連弾を始めたぞ」
「『猫踏んじゃった』を猫が一緒に弾いてるわ!」
後から来たお客様達は、口々に驚きの声をあげて、スマホで撮影を始めた。
 すると、今まで置物のようにピアノの上で黙ったままだったサリナが、ゆっくりと話し始めた。
(こんにちは。私はサリナといいます)
 ピアノの音と猫のテレパシーは周波数が違うから、混じり合うことなく、私達の耳には同時に届く。
(私、このお店に来てもうすぐ3年になります。今日は、私がここに来てから感じたことをお話ししたいと思います)
サリナは、まっすぐ前を向いて、いつになく堂々と話し始めた。
(私は元々野良猫の子どもで、外でお母さんや兄弟達といたところを捕獲されました。皆バラバラに色々な家に貰われて行って、最後に残った私は、この猫カフェに引き取られました)
当時を思い出すように、サリナはゆっくりと言葉を続けた。
(私達家族を離れ離れにした人間のことが、最初は嫌いで仕方がありませんでした。人間さえいなければ、私達は外でずっと一緒に幸せに暮らせてたと思ってたから。…だけど、ある時からこのお店の中も色々変わっていって、私にも、段々現実が見えてきました)
サリナは私の方をチラッと見てから話し続けた。
(私達猫は、現代社会の中で、外で安全に暮らすのはとても大変なんだって事が分かりました。それに、猫は大人になったら皆それぞれ独立して家族は自然にバラバラになるということも。だから、今の私のように人間と一緒に暮らせるというのはラッキーな事だったと、今となっては思います)
サリナはそこで初めて柔らかな笑顔を浮かべた。
(私は人間に構われるのは苦手です。何だか息苦しくなるから。だけど、今は、人間の事は結構好きです)
 そうよね。サリナは、いつもさりげなく人間の事を気にかけてるもの。
(話はちょっと変わるけど、今、猫と一緒にピアノを弾いているこの女の子。この子は優しい家族と一緒に、これから色々な経験を一杯して、キラキラした思い出をたくさん積み重ねながら、大人になっていくんだと思います)
 そんな、サリナのスピーチの内容を知る由もなく、女の子は益々嬉しそうにルチアーノと『猫踏んじゃった』の連弾に夢中だ。
(だけど、この子のように幸せに大人になれない子ども達が、今、世界中に沢山います。戦争で家族と離ればなれになったり、狭い地下壕に何ヵ月も隠れて怖い思いをしている子ども達もいます。それは恐らく、野良猫よりもずっと過酷な日々です)
 休憩時間にマスターが見ているテレビのニュースを、サリナもいつも熱心に見ているものね。
(子どもの時間は一瞬でかけがえがなく、そして、その後の未来を作るとても大切なものです。私達が人間に守られて安全に暮らせているのと同じように、全ての子ども達は、誰かに大切に守られなければいけません)
 サリナは実感を込めてそう言った。
(私達ペットに何が出来るのか、私には分からないけど、私達の力が子ども達の未来を明るく平和なものにするのに必要だって、私の仲間達は言っています。だから、皆さんにも一緒に、何が出来るか考えてほしいと思います)
サリナは、ちょっと考えてからこう付け加えた。
(私と仲間達は今、まだ実際には会ったことのない子猫のために、私達の使命について一緒に考えている最中です。そうすることがその子猫の命を守ることに繋がるって、ある人から教わったから)
サリナはためらいがちに言葉を続けた。
(それがホントに効果があるのかどうかは、私には分かりません。だけど、私達の大切なその子猫を守るために、私達は一生懸命、世界平和を訴えています。それしか方法が分からないから。これを、祈りと言うそうです)
そして最後に
(お願いします。皆さんも、どうか一緒に祈ってください。私達の大切な子猫の病気が良くなることを。そして、この世界に平和が訪れることを)
そう言って、サリナはスピーチを終えた。
 サリナ、ステキだわ。いつも黙って天窓の前に座ってるけど、実はそういうことを考えていたのね。
 サリナのスピーチが終わると、それまでピアノの黒鍵の上を歩き回っていたルチアーノはピアノの端っこに座って、こんな話を始めた。
(こんにちは。僕の名前はルチアーノ。皆、僕達の演奏も聞いてくれてありがとう。そろそろ皆撮影を止めそうだから、手短に言うね)
と言って、早口で喋り始めた。
(音楽とか絵画とか、美を表現しようとする心は、国や民族を超えた、人間の本能なんだ。この正しい本能が正常に働いているとき、世界は平和になる。僕達ペットは、存在自体が美的表現体だから、皆、その事を忘れず気高く生きようね。そして、僕達の美しい生き方で人間をステキな世界にインスパイアしよう!)
と言った。
 そして、サリナとルチアーノがピアノの側を離れる頃には、いつの間にか集まった5人程のお客様も、ほぼ同時に動画撮影を終えた。

(サリナ、凄く良かったわ。ルチも、短くてインパクトのあるスピーチ。それにしても、あなたピアノ、ホントに弾けたのね)

色々感心し過ぎて目を丸くしている私を横目に、サリナは照れ臭そうにいつもの定位置にそそくさと退散し、ルチアーノは

(あっ、あれね。ちょっとしたコツがあるんだ。あの曲は、黒鍵押さえておけば何とでもなるの)

と余裕の表現でそう言った。

 

 そんなこんなで夕方を迎えた頃、私を迎えに足取り軽くカオルがやって来て、お店のドアを開けるなり

「朗報です。ナナオの猫風邪が峠を超えたみたいです」

と弾んだ声で言った。

 私達のその時の気持ち…。きっと、皆さんにも想像がつくでしょう。


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