棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

2章

2章

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(ケイト、何だかお洒落な名前だね。前のコウメちゃんもチャーミングだったけど。それに、そのピンクの首輪、とっても似合ってて可愛いよ)
   ヨシダさんの家の屋根に登って、カオルが付けた私の新しい名前を報告すると、ショウ君は優しい目をしてそう言ってくださった。ショウ君に「可愛い」って言われると、胸がキュンとなるの。カオルや他の色々な人間達からもしょっちゅう「可愛い」って言われるけど、ショウ君からの「可愛い」は私にとって特別。
(そうですか?私は何だかまだピンと来ないんですけど。でも、そうやってお誉めいただけたら嬉しいです)
   私とショウ君の間には透明な壁がある。心の問題じゃなく、物体として。「窓ガラス」というこの邪魔な存在は、今は単純にすごく邪魔だけど、カオルの家の中にいるときは寒い風を防いでくれるので便利。私達動物はテレパシーで会話するから、窓ガラスがあっても話は通じる。
(ねえ、僕達知り合ってもう結構長いんだし、そろそろ敬語で喋るのはやめてくれないかな)
ショウ君がそうおっしゃるから、これからはそうしようと思った。まあ、私達の場合、言葉は全部テレパシーだから、敬語をやめるというのは、もう少し心の距離を縮めるってことなんだけど。そう言われてゆっくりショウ君のエメラルドグリーンの瞳を見つめたら、胸が優しい温度に包まれて、私、とっても幸せな気持ちになれたわ。
(ケイト、見て。あのモコモコした形の雲。あれは羊雲って言うんだよ。あの雲が見えたら、これからしばらく雨が降るんだ 。あの雲はフワフワ軽そうに見えるけど、あれは水蒸気と言って、水を多く含んだもので、重たくなったら下に落ちてくる。それが、雨なんだよ)
ショウ君は何でも知っている。そして、それをさり気なく私に教えてくれる。ここに来て一番良かったのは、ショウ君に出会えたこと。

(おやまぁ、今日も学者様のご講義かい。あんた達、そんなに偉くなって、人間の子どもに交じって学校にでも行くつもりかい?)
そう言って、路上から二階の私達を挑発してきたのは、カオルがサビコと名づけているメスの野良猫だった。ここに来て一番嫌なのは、こいつの存在。サビコは茶色と黒のブチ模様で、ちっとも可愛くない猫だ、とカオルは私によく言うの。しかも、雌のくせにマーキングなんかして、カオルの靴を匂いでダメにしたと、この前カオルはカンカンに怒ってたわ。だけどね、このサビコ、猫の世界では札付きのプレイガールで、そこらの雄猫をすぐにメロメロにさせるの。私のお兄ちゃんもサビコの事が気になるみたい。
  サビコは、年に数回狂ったようにセクシーな声を出すの。そしたら、雄猫達も狂いだす。あちこちの雄と昼夜関係なく交尾して、サビコはどんどん子どもを産むの。つい先週も、4匹子猫を産んだばかり。
(ああ嫌だ。人間臭い猫と話してたら、こっちまで人間の匂いが移っちまうわ。そしたら、たくましい雄猫からは見向きもされなくなっちまって、そんな体の悪い腑抜けしか相手にできなくなっちまう)
   私、ショウ君のこと悪く言う奴は許さない。屋根から飛び降りてサビコを睨み付けて、全身で威嚇したら、サビコビビって逃げ出したから、全速力で追いかけてヨシダさんの家の床下まで追い詰めてやった。
(ショウ君のこと馬鹿にしたら私が許さないわよ!それに、この前だって、カオルの靴にマーキングなんかして。カオルのお庭は私のテリトリーだって、何回言ったらわかるのよ!)
(何さ、新入りのくせして偉そうに!あそこは、あんたが来るずっと前からあたいの縄張りだったんだよ!あんたのケチな飼い主は、あたいに餌はくれないけど、でも、あの辺りは木の実を食べに小鳥が集まったりして、なかなか良い猟場だったんだ)
(前はそうだったかもしれないけど、今は私のお庭よ)
(は?お庭?聞いて呆れるわ。あんたには猫のプライドってもんがないのかい?そんな風に人間に媚びて、人間の言葉を理解して、あんたそれでも猫なの?)
(ええ、そうよ。見ての通り、私は猫よ。しかも、相当可愛い)
  サビコは、後ずさりしながらも私から目を離さないまま、嫌らしい笑いを浮かべてこう言った。
(そうか、あんたみたいに去勢されてる猫には、そもそも何言っても通じないわけか。人間に飼い慣らされて、邪魔な輪っかをはめられて、子宮やタマを取られて、ブクブク太りながら生きながらえるのが幸せだと思ってるんだね)
(子宮?タマ?何のこと?)
(あんた、そんなことも知らないの?呆れ果てるわね。子どもを作るのに必要な所よ。私やあんたの兄ちゃんにはあって、あんたやあの病弱猫にはないものよ)
(何それ?何で、私達にはないって分かるの?)
(あんた、ここに来てから一度も発情してないじゃないか。発情しない雌は避妊された雌だよ。発情しなければ、雄は雌にちっとも魅力を感じないんだよ)
(はっ?何それ?意味分かんない)
(あんたを可愛いと思うのは、人間だけだよ。猫の世界じゃ、あんたみたいなのには雄は誰も欲情しないんだよ)
(もう。その発情とか欲情とか、何か知らないけど、私、そんなのどうでも良いのよ。とにかく、私達の邪魔しないで!私のテリトリーから早く出てって!)
(だから、ここはあたいの縄張りなんだよ! )
   サビコがあまりにもしつこいんで、顔面に一撃パンチを喰らわせてやったわ。私の右フックは結構しっかり決まって、サビコは顔をしかめて慌てて床下の奥に逃げ込んだから、そこでやめておいてやった。

   ヨシダさんの屋根に戻って、ショウ君にさっきサビコから聞いたことをそのまま話したら、ショウ君は丁寧に解説してくれた。私達猫は、長い進化の歴史の中で、人間と共存するという方法で、厳しい自然界を生き抜いてきたということ。けれども、元々大型肉食動物と同様の野生を持っていて、私達と上手く付き合っていくのは、牙も鋭い爪も持たない人間には、結構大変だった、ということ。そのため、近年多くの人間は、猫を家に迎え入れるに当たって、子どものうちに避妊や去勢といった外科手術を施して私達の生殖能力を奪うようになったのだ、ということ。そして、生殖能力を持たない動物は、野生の本能がかなり弱まり、軟弱な人間でも育てやすくなる、ということなどを、ショウ君は穏やかな口調で、けれども真剣な目をして話してくれたわ。
(ケイトには、少しショックな内容だったかな。でも、これが僕達の置かれた現実だ。確かに、サビコから見たら、僕らは自然界ではとても弱い存在だよ)
(あら、でも、私さっきサビコに勝ったわ。やせっぽちのサビコより、私の方が良い体してるし身体能力も高いわ)
(確かに、ケイトはこの辺りで一番喧嘩が強いね。でも、僕なんかは両親も祖父母もみんな親戚同士だから、どんどん血が濃くなって、結果的にこんな弱い体質になっているんだと思う)
ショウ君は静かに笑いながらそう言った。
(でも、ショウ君は、色んな事知ってる。私はすごくカッコイイと思うわ)
(ありがとう、ケイト)
ショウ君はそう言ってまた静かに笑った。
   そう言えば、子猫の時、一度だけおばあさんに連れられて出かけた所があったけど、天井にすごくまぶしい目玉が沢山ついた部屋の中で、白い服を着た人間に囲まれて、何かをチクッと刺されたことがあったっけ。その後、気がついたらお腹にギザギザの傷があって、それから何日か、そこがすごく痛かったの思い出したわ。そうか、あれが避妊で、あの時私は子宮を取られたんだ。
「ショウ君、おいで」
  家の奥で、ショウ君のパパの声が聞こえたので、ショウ君は私に目で挨拶して、窓辺を離れて行った。チラッとショウ君の後ろ姿を見たら、ショウ君のフサフサの尻尾の下には、お兄ちゃんの尻尾の下に付いてる二つの丸やその存在を感じさせる膨らみは全くなかった。なるほど、去勢って、そういうことなのね。
   ヨシダさんちの屋根の上で、さっきのサビコとショウ君の言葉を頭の中で巡らせて、しばらくはちょっぴり複雑な気持ちになったけど、考えても仕方ないからやめた。私のどこまでが野生でどこまでが飼い猫なのか分からないけど、私は土や草の上も好きだけど、温かい家の中も好き。好きなところで好きなように暮らすのが私が私であるということなんだから。
  とにかく、私は、これでいいのだ。

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