棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

18章


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18


「私、…嫌で嫌で仕方がない人間がいるんです…」
「ええ…」
サクラは静かに頷いた。
「私はその人が凄く嫌で、同じ空間にいるだけでもゾッとするくらいなのに、今の生活を続けるには、その人といなければいけないんです」
「それは苦しいですね」
いつもより低い声でサクラは言った。
「その生活に終わりはないんですか?」
「いいえ、いつか終わりは来るはずなんです。その人が今いる場所からいなくなる時が、多分数年後には来るはずです。だけど、その数年が、私には途方もなく長くて…」
重たい荷物を背負っているみたいに、その人は肩で大きく息をした。
「そうですか…」
サクラはまたゆっくり頷いた。
  そして、しばらく間をおいでから
「それで、今回の占いで、あなたは何をお知りになりたいですか?」
と、真っ直ぐその人を見て言った。
   少し考えてから
「その人間といる時間をどうやってやり過ごせば良いのか、それと、それから解放される時はいつ頃なのか、ってところでしょうか…」
とその人は言った。
「なるほど。分かりました、それでは、その事をカードに聞いてみましょう」
   サクラはそう言うと、キムラさんの時と同じようにカードを繰り始めた。
   占い助手の私も、この時間をどう過ごせば良いのか…、考えているうちに、急に私は眠たくなってしまった。…ダメよ、私。仕事…しな…きゃ…。
  
   そこは砂嵐が吹き荒れていた。
  白い粒々と赤い粒々が入り混じったり分かれたり、白の量が増えたり赤の量が増えたり、しばらくせめぎ合いを続けていた。よく見ると、その粒々は段々大きくなり、細長い四角形が沢山うごめきはじめた。その四角はヒラヒラと動く、それは無数の旗だった。赤と白の旗の塊がぶつかったり別れたりして、一方がもう一方を飲み込んだかと思うと中心が破裂してまた別れたり、そして、最後に目の前が赤一色に染まった。
   そこは血の海だった。生き物の死骸、主に人間のそれが累々と折り重なり、ウジやハエがたかっていた。「地獄」って言葉、前に一緒に住んでたおばあさんを怒らせた時、聞いた事がある。悪いことをしたら、死んだら地獄に落ちるって。それは多分、この場所のこと…。
   そして、場面は変わった。スケさんとカクさんのお話に出てくる悪役の服を着た人達が、広い部屋に沢山座っていた。黒地のキラキラの衣を着て、頭の毛を鶏のトサカのような形にした大きな男の人と真っ白な綺麗な衣で全身覆った小さな女の人が正面に座っていた。男の人は嬉しそうだったけど、大きな丸い被り物の下から少しだけ見える女の人の顔は怒っているみたいだった。そのまま人々はいなくなり、二人の周りにはピンク色の花が一面に降り注いだ。そのピンク色の花の木の下で、男の人は女の人に沢山話しかけていた。女の人は、まだ少し怒ってるみたいだったけど、男の人が面白い顔をしたりしておどけて見せるから、途中から笑い出した。二人は一杯話して一杯笑いあった。一匹の黄色い蝶々が飛んできて男の人の頭に止まって、それからどこかに飛んで行った。女の人はその蝶々の後を目で追った。男の人は優しい顔で女の人を見つめていた。
   そしたら、近くの池の中から白い大きなつぼみがにょきにょき伸びてきて、パンと音を立てて花が咲いた。花の中心は白い花びらに包まれた部分があり、それを取り出して開いたら中から赤ちゃんが出てきた。女の人はその赤ちゃんを大事そうに抱いた。男の人と女の人は見つめ合って幸せそうだった。真っ白な光の中にこの人達はいた。
    そしたら、突然、凄い音がして、地面が二つに割れた。そしてその割れ目から、小さな人間が現れた。それは赤黒い色の衣を纏って、大声で泣き叫んでいる。それは始めは子どもの姿で、だけどどんどん大きくなりながら、一層大きな声で泣き続け、割れ目から土をつかんで女の人に投げつけた。女の人の白い衣は赤黒い泥で汚れた。そこら中の泥の塊をつかんでは、そいつは女の人に投げ続けた。いつまで経ってもそれが止まないので、見ている私は段々腹が立ってきた。私は、身体の毛を逆立ててそいつを威嚇したら、そいつは怒って更に激しく泣きながら、どんどん体を大きくして、いつか大男になった。私も負けじと体中の毛を逆立てた。私の体もどんどん大きくなって、やがて私は虎になった。私が大声で
「ガオー!!」
と吠えたら、大男はどこかに逃げて行った。
   私が元の姿に戻って、振り向いたら、女の人はうずくまって泣いていた。真っ白な衣装が泥だらけで、だけどしっかりと大事そうに赤ん坊を抱きしめていた。私は女の人の白い衣装を綺麗に舐めてあげた。赤黒い泥のような汚れは、なぜかいつも食べてるお魚ミックスと同じ味で美味しかった。そのうち女の人の白い衣はすっかり綺麗になった。女の人は、私と赤ちゃんを両方膝に乗せて
「猫ちゃん、ありがとう」
と言って笑った。夢の中でお魚ミックス味の泥を一杯舐めた私は、本当にお腹が空いてきた。そして
「後、4年…ですね」
という声を聞いて目が覚めた。
「そう、遅くとも4年後には、あなたは今の悩みから解放されるとカードは言っているわ」
「ゴールが分かると、ちょっと楽ですね」
   私を膝に抱いたままの女の人の声は、夢の中で聞いた声と一緒だった。
「そして、その後のカード、それは勉強や資格を意味するカードです。つまり、その4年間を使って、あなたは何らかの形で自分のキャリアアップを測ると良いとカードは言っているわ」
   キムラさんの時と比べると、随分ハッキリ、サクラは言い切っていた。
「それともう一つ…。これは占いとは別次元の話になるかもしれないけど…」
   少しだけ間を置いて、サクラは言葉を続けた。
「誰かをどうしても嫌っていう気持ちには、それなりに意味があるのかも」
  女の人は、ハッとした表情で
「意味?」
とサクラの言葉を繰り返した。
「ええ」
サクラは、カードを箱にしまいながら言った。
「有史以前から、これだけ大勢の人間が産まれては消えていく、そこに私は因縁というものの存在を感じます。生まれ変わりとか輪廻というものを信じればの話ですけど…」
「私は、そういうのあると思います」
女の人がそう言うと
「これは、あくまでも私の個人的な考えですが…」
と珍しく控え目な前置きをしてから、サクラはこんなことを言った。
「輪廻というものがあるとすれば、人間は生まれ落ちた時点で、様々な愛憎に満ちたストーリーの途中なわけです。そうして、生きていく中で新たな出会いと別れを経験し、更なる愛憎のストーリーを展開させていく。そこには当然、前世も愛し合った人もいれば、自分を苦しめた憎い相手に再び出会うかもしれない。だから、どうしても嫌な人に出会ったら、私は『こいつは前世からの宿敵なんだな』と思うことにしてるの」
「前世からの宿敵…」
女の人は噛みしめるように、その言葉を繰り返した。
「でも、ここで忘れてはいけないのは、大事なのは、過去ではなくて現在だ、ということです。もしも仮に今、目の間に前世で自分を殺した相手がいたとしても、今回の人生であなたがたその相手にとらわれるのは、とても勿体ない。それじゃあ今を生きられないから。そして、もしかしたら逆の立場だってあるかもしれない。前世のあなたの恋敵が、未だにあなたのことを恨んでるかもしれないし…」
「そんなの、知ったこっちゃないわ」
可笑しそうに女の人は言った。
「そうなんです。そういう、今の自分にはどうにもできないしがらみの中で人は生きているって、私は思っているんです。だから、好きになるのも嫌いで仕方ないのも、それは自然に委ねることが一番なんじゃないかなって。少なくとも、そのどうにもならない感情について、自分を責める必要はないわ」
「私が私を責めなくても、きっと世間が私を責めます」
「世間?」
サクラは一瞬沈黙してから、こう言った。
「そんなものは始めから存在しないわ」
「え?」
女の人も一瞬黙った。
「世間なんていうものは、あなたの想像の産物です。きっと、世間はこうだろうって。でも、本当はそうじゃない。世間という人は一人もいなくて、無数の個人が集まって暮らしているだけです。あなたが誰かを心底嫌いでも、そんなこと他人には関係ないことよ。もし仮にその事であなたを責める人間がいたとして、その人があなたの事をどれだけ分かっていると言うの?」
女の人は黙ったままだ。
「あなたの事を何一つ知らない、上辺だけであなたを判断する人間の集合体を世間という言うのなら、そんな世間にどう評価されようが、そんなことは全く問題ではないと思うわ」
「でも、私が世間に後ろ指指されれば、夫や子ども達にまで被害が及びます」
  するとサクラは優しくこう言った。
「あなたは決して世間に後ろ指指されるような人ではないわ。明るくて、可愛らしくて、居るだけでその場がキラキラ輝くような、まぶしいほどのエネルギーを持ってる。そんなあなたを悪く言う人間なんて、そもそも大したヤツじゃないのよ」
そこまで言い切って、サクラは優しく彼女に言った。
「あなたはとっても素敵な人です。そのままの自分を大切に。自信を持ってあなたらしく生きていけば良い。本当に必要なことはそれだけよ」
   女の人は、驚いたようにサクラの顔をじっと見た。
「あなたが、その大嫌いな宿敵と出会ったのは、もしかしたら以前途中だった関係をきちんと終わらせるためかもしれない。与えられた時間をその相手と共有すれば、そこで二人の関係はリセットされるのかもしれないわ。ただ、そこで無理をしないこと」
「無理?」
「嫌いなものを好きになろうとか、優しくしなきゃとか。あなたは優しい人だから、嫌いな人に優しくできない自分を責めているのかもしれないけど、そんなことは必要ないのよ。その相手は、あなたに嫌われながらもその場にいることで、以前の業を解消しているだけなのかもしれないんだから」
「業?」
女の人は、それだけ繰り返して、黙ったままサクラを見ていた。
「業というのは仏教の言葉だけど、要は前世で積んだペナルティみたいなものよ。何か嫌な経験をしたら、人はそこで一つ業を消しているんですって」
「そうなんですか?」
「仏教的には、そうなんですって。だとしたら、あなたもその相手も、一緒に過ごすその時間で互いの業を消化して、その先の新たな人生に備えようとしているのかもしれないわね」
   女の人はポカンとした顔をした。
「互いに必要なくなれば、その相手はあなたの前からいなくなる。それまでの間、あなたはなるべくそこから気を逸らしながら、今後やりたいことの準備をすればいいんじゃないかしら」
「さっき、資格の勉強って言われた時、何かピンとくるものがあって。私、実は看護師なんですけど、やりたい分野があるんです。末期癌患者さんのターミナルケアについて勉強してみたいなって。人の人生の最後を、その人らしく終わらせるお手伝いが出来たらなって…」
「それはとても大切なお仕事ね」
二人はお互いに顔を見合わせてにっこり笑い合った。
「だけど、私、何か自分に自信がないんですよね。夫も子ども達も私のこと認めてくれるし、褒めてくれる友達もいるんだけど…。誰かにちょっと否定されたら、そっちの言葉を真に受けちゃうって言うか…。これって、何でなんでしょう?」
   女の人の質問に、サクラはしばらく考えてこう言った。
「きっとあなたの事を妬んでる人からの、ネガティブな評価に過剰反応しちゃうんでしょうね」
「え?妬み?」
またしても予期せぬサクラの答えに、女の人は再びポカンとした顔になった。
「あなたみたいな素敵な女性は、人から妬まれやすいのよ。あなたみたいになりたくてもなれない人がやっかんで、あなたの小さな失敗を、ここぞとばかりに責め立てるというのは、よくある事じゃないかしら?」
「はい。子どもの頃から、他の子と同じ事してても、私だけ怒られることとかもしょっちゅうでした」
「でしょうね。きっとね、それは、大人からの嫉妬よ」
「うそ?大人が子どもに嫉妬するんですか?」
「ええ。大人と言っても、少しだけ先に生まれてるってだけで、子どもみたいな大人は大勢いるわ。そんな中で、その人達のコンプレックスをあなたが刺激したのよ。きっと、可愛くて、溌剌としてて、自分の子供時代とかけ離れてるから羨ましかったのかも」
「そんなことって…」
   女の人は、びっくりしていた。
「つまり、あなたがそのままのあなたを認めて自信を持つことは、あなたのまわりの愛する人達の言葉を素直に受け入れるということ。逆に、あなたが自信を失うのは、あなたのことを良く思っていない人の嫉妬心からくる誹謗中傷を真に受けてしまっている、ということよ」
「なんだか、そう考えると自信喪失するのも悔しいですよね」
「そういうこと。勿論、万人に認められるなんて不可能だから、最初からそんなことは目指さず、あなたの事をよく知っていて愛してくれる人達の温かい言葉を素直に受け入れていきさえすれば、あなたは徐々に自信回復していくでしょう。あなたの想定する架空の世間に怯えることもなくなると思うわ」
  サクラとその人は、もう一度見つめ合って、お互いに笑顔を浮かべた。

「ありがとうございました」
   占いの後、しばらくして、ドアベルの軽やかな音を立てて彼女は店を後にした。
「猫ちゃん、ありがとう」
彼女は私にも挨拶をした。
「あなた、守ってくれたのよね」
彼女は私に最後にそう言い残してその場を去った。
   私の夢は彼女の心の風景で、彼女も意識してはいないはず。なのに不思議な彼女の言葉にぼんやりと思いを巡らせながら、今日も、猫カフェギャラリー マリエの一日が終わろうとしていた。


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