棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

19章


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19章
   それから間もなくカオルが店にやって来て、私はいつものようにキャリーバッグに滑り込んだ。
「カオルさん、明日はお休みだから、ケイトちゃん、しっかりお外で遊べるわね」
ママがそう言うと、カオルは
「いえ、それが…。明日はちょっと外には出せないんですよね…」
と、言った。
「ご近所さんと計画してる事があって…。うまくいったらまた御報告します」
何だか意味深なことを言い残して、カオルはマリエを後にした。
(何なのよ。なんで、私、明日はお外に出れないのよ!)
キャリーの中で騒いでみたけど
「どうしたの?ケイト。今日は妙にハイテンションね」
と、カオルは自分の発した言葉の重さをまるで理解していない。
(嫌よ!明日は、久しぶりにショウ君とまったり日向ぼっこできると思って楽しみしてたのにー)
家に帰ってからも、私は不機嫌だった。ブラッシングしてくるカオルの手に噛みついてやったりもしたけど
「何よ、人が折角親切にブラッシングしてあげてるっていうのに」
と、カオルは怒って水鉄砲で私を撃った。
(止めてよ!折角綺麗に舐めた体を濡らさないで!)
   私達は、険悪な気分で…多分、カオルには通じてないけど…、翌朝を迎えた。
   ママへの予告通り、カオルはその日、朝から私をリビングに閉じ込めた。
(ギャー!ギャー!カオルのバカー!!)
私は叫び続け、壁をガリガリしてみたけと、リビングの壁は固くて爪がたたないし、私の鳴き声にすっかり慣れっこのカオルは、いつもの地味な庭仕事着に身を包んで、外に行ってしまった。
   しばらくふて腐れて寝ていると、外でガシャン!と大きな金属音が聞こえ、続いてカオルとショウ君パパの声が聞こえてきた。
「やだ!この子はナガサワさんのお庭の…」
「ケイトちゃんとよく似た模様の雄ですね」
何の話をしているのかしら?…それって、お兄ちゃんのこと?なに?どうしたの?お兄ちゃん、大丈夫?
「この猫よりも、先ずはあの雌を先に何とかしないとね…」
二人の話し声はすぐに止んで、今度は何とも魅惑的な匂いが、天井近くの通気孔からリビングに流れ込んできた。もしかして、これは…、猫なら誰しもあらがうことのできない、あの…。
    しばらくして再び、例の大きな金属音が聞こえた。
「やった!かかりました!今度は成功だ。狙い通りの猫だ!」
ショウ君パパが興奮気味に叫ぶ声が聞こえた。
「やったわ!サビコ、遂に捕まえたわよ!」 
カオルの大きな声が聞こえた。それと同時にサビコの叫び声も聞こえた。リビングのレースのカーテン越しに、ショウ君パパが細長い金網の箱のような物を運んでいるのが見えた。
「警戒心の強いこの猫も、マタタビの威力にはかないませんでしたね。それに、クロズミさんが買われたこの捕獲器、すごくいいですね。個人購入で良かったんですか?町内会にかけ合えば、会費から出してくれたかもしれないのに」
ショウ君パパは、カオルの事をクロズミさんと呼ぶ。
「いいえ、私が勝手に思い立った事ですから。ヨシダさんにこんなにお手伝い戴けるなんて、思ってもみませんでした」
「いえいえ、私も、近所で野良がどんどん増える事に関して、以前から心を痛めていたんです」
そんなやり取りをしながら二人はどこかに行ってしまった。ショウ君パパの手に提げている金網の箱…捕獲器には茶色い布がかけられていて、中からはサビコの叫び声が続いている。

   その後、結局カオルは夕方近くまで帰って来ず、折角の私とショウ君の休日デートは流れてしまった。
腹が立ちすぎて、私はカオルを無視してずっと不貞寝していたけど、カオルは
「ケイト、今日はやけに良い子ね」
と言う始末。結局、(あなたには大人しいだけの猫がお似合いよ!)と反論する気力もないまま休日が終わった。

   翌朝、私はいつものようにショウ君の所に飛んで行った。ホントは真っ先に、昨日来れなかったことを謝ろうかと思ったけど、やめた。だって、会うのを楽しみにしてるのは私の方だけで、ショウ君は何とも思ってないかもしれないもの。そして、代わりに私はこう言った。
(昨日、うちのカオルとショウ君のパパが、一緒にサビコを捕まえて、どこかに連れて行くのを見たわ)
(うん。ケイトの家の庭から大きな音が2回聞こえたから、僕、ケイトに何かあったんじゃないかって心配してたんだ)
  キャッ…。ショウ君のこの言葉、超絶嬉しい。
(えっ?そうなの?ごめんなさい、心配かけて)
(いいんだよ。ケイトが無事だったらそれで)
ショウ君は、優しい顔と同じ優しい言葉を、私にかけてくれた。
(それにしても、何があったんだろう。うちのパパとカオルさん、サビコをどこに連れて行ったんだろう。一昨日の夜を最後に、僕も彼女の姿を見てないんだ)
   私達は、しばらく黙っていたけど、二人ともサビコのことを考えていた。あの、黒と茶のまだらの、目つきの悪い、痩せギスのサビコ。カオルの言うように可愛いところはどこにもなかった。だけど、もしもこのままサビコがいなくなってしまったら…。何だか淋しいと私は思った。それも、自然にどこかに行くのならともかく、人間に捕まえられて檻に入れられて、…しかも、その人間というのがカオルとショウ君パパだなんて…。カオルは自然に生えてる草花が嫌い。それを取り除いては、別の草花をいつも植えている。もともといたサビコをどこかにやったのは、それは私がここに来たから?

   そんなことを思いながら、何となく晴れない気持ちで3日ほど経った頃、サビコがふいに私の前に現れた。
(あら、あなた元気だったの?)
懐かしいヒトに会ったみたいな嬉しさで、いつもは敵対しているサビコに、私は思わず自分から声をかけた。
(いいえ、散々だったわ)
しょんぼりと、サビコも珍しく自分から私の傍にやって来て、ヨシダ家の門扉の上に座った。
(私も、遂にあんた達の仲間入りよ)
サビコはため息混じりにそう言った。
(何?どういうこと?)
そう尋ねる私に
(私もね、避妊手術されたのよ。子宮を取られたってわけよ)
と、少し乾いた笑いを浮かべながらサビコが言った。
   えっ?じゃあ、カオルとショウ君パパは、この前サビコを捕まえて、獣医さんに連れて行ってたってこと?
(まあね、私は、もう何回も子どもを産んだし、別に今更良かったんだけどね…。不覚にも人間に捕まったってのが悔しいけど、でも、不思議なの。前ほど人間の事が嫌じゃないし、人間に飼われてるあんた達のことも、…今は、そんなに嫌いじゃないのよね…。何だかそれもシャクだけど…)
   私は驚いて、思わず1メートルくらいあとずさってしまったけど、でも、こんな素直なサビコを見たのは初めてで、何だかサビコが益々サリナにそっくりに思えたから、ただ
(そうなの)
とだけ返答しておいた。
(罠にかけられて、私、もうおしまいだって思ってたけど、子宮を取られて昨日までお腹も痛かったけど、でも、ここのおじさんは毎日私にごはんをくれるようになったし、あんたの飼い主も、医者に頼んで私に病気の予防注射を打ったとか言ってたし、私のことまんざら嫌いでもなさそうなのよね)
サビコがこんなに人間寄りの考え方になるなんて、ちょっと驚異的。子宮が無くなると、こんなにも猫って変わるものなのね。言葉を慎重に選びながら、私はその事をサビコに伝えてみた。すると、サビコは
(まあ、私はあんた達みたいに人間と一緒に住むつもりはないけど、少しは仲良くしてやっても良いかな?って思うようになったのよ。なんて言うか…、体の奥からこみ上げてくるものが無くなったって言うか…)
   前にショウ君が言ってた通りだわ。人間が私達と共存するための手段で、サビコは前より大人しくてとっつきやすい猫になった。野生を失って人間に飼い慣らされる猫…。いいえ、サビコは人には決して飼われない。どこまで行ってもそんなに大人しくはならないし、もし万が一そうなったとしても、サビコのようなルックスの猫を飼いたがる人なんていないだろう。それなのに、サビコは子宮を失った。子猫が増えないから、それでカオルやショウ君パパは安心なんだと思う。私やショウ君は、小さい頃に手術を受けてるし、人間との暮らしに馴染んでるから何の疑問も感じないけど、家猫でも野生の猫でもなくなったサビコは、一体どういう立ち位置なんだろう?
(あのさぁ、…ケイト)
サビコはわざと目をそらしたまま私を呼んだ。
(なぁに、サビコ)
私も目を合わさないまま、3メートルくらい離れた場所から返事した。
(前にここん家の洋猫のこと悪く言ったらあんた凄く怒ったじゃない?)
(ええ)
思い出して少し腹立たしさが蘇ってきたけど、あえてクールに私は答えた。
(あれ、何で?)
  ( それはショウ君の事が好きだからに決まってるじゃない!)と声を大にして言いたかったけど、何だか恥ずかしいから、私は
(別に。あの時のあんたの態度があんまりだったから、腹が立っただけよ)
と答えた。
(避妊手術受けたのが関係あるのかどうか自分じゃ分かんないんだけど…)
サビコが問わず語りにそう言った。
(雄猫に対して、私、一切興味無くなったんだよね。前は、時々無性に「交尾してぇ~!」って思ってたんだ。だけど…あんたは元々避妊してるじゃん?それなのに、あの洋猫に、特別な思い入れがあるのって、私からしたら、ちょっと不思議なんだよね…)
(そんなの、私だって、あなたの言う「交尾してぇ~!」って言うのはよく分からないわ)
私は、サビコに私の恋心がバレバレな事への動揺を悟られないように、努めて冷静を装ってそう返した。
   3メートル程の距離を隔てて、私とサビコはヨシダ家の門扉の両端に座っていた。その姿を見たショウ君のママは
「ねえ、パパ、見て。この子達、沖縄のシーサーみたいよ」
と家の中に向かって楽しそうに呼びかけた。近くの電線には雀が虫をくわえたまま止まっている。
   この界隈と猫カフェギャラリーマリエで皆からの愛情を一身に集める家猫の私と、殆どの雄猫と一杯交尾して子どもを沢山産んで、今は半分野生で人に馴れ始めたサビコ。体の奥からこみ上げてくる衝動を知らない私と、秘かな恋のドキドキが理解できない彼女。どっちの猫が幸せなのか、ホントは誰にも分からない。だけど、私は彼女の事を特に羨ましいとは思わない。そして、それはサビコも同じだったら良いなと、今日初めて、私は思った。

 


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