棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

2-8章


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2-8章
 カオルの視線のその先には、ヨネと小さなモフモフがいた。
「何てかわいい子猫なの?あなた、ホントにヨネの子ども?」
 ヨネが連れていたのは、薄茶色の長毛の、それはそれはかわいい子猫だった。
 野良猫の長毛は、実はとても珍しい。なぜって、この辺りに元々棲息する日本猫は、総じて短毛だということと、そもそも長毛猫の飼い主は、メンテナンスが大変だからあまり猫を外に出さないため繁殖の機会が少ないということと、短毛に対して長毛は劣性遺伝なので両親どちらにも長毛の遺伝子がなければ、長毛の子どもは産まれないという理由から。…これ、前にショウ君から聞いたことなんだけどね。
 とにかくそのたった一匹だけ生き残ったというヨネの子どもは、見事な長毛猫だった。
「ちょっと、可愛過ぎるんですけど…」
そう言いながらカオルは、ジーンズのポケットからスマホを取り出して、何枚も子猫の写真を撮っていた。

 それから私はいつものようにマリエに出勤し、一日を過ごした。そして、夕方私を迎えに来たカオルは、朝撮った子猫の写真をママやマスターに見せて、興奮気味にこう言った。
「今朝、少しだけお話しした…この子なんですけど。ね?どう見ても野良の子どもに見えないでしょ?」
 カオルのスマホを覗き込んで、ママとマスターも驚きの声をあげた。
「あらホント!まるで天使みたいだわ!」
「これは、カレンダーの表紙を飾れそうなレベルだな」
 するとそこに、久しぶりにサクラがやって来て、ほぼ三頭身の、みかん三個分位の大きさのその子猫の可愛らしさに、やっぱり皆と同じように驚きながら
「すっごい可愛い!こんな可愛い子猫なら、いくらでも欲しいという人はいるわね!」
と言った。
すると
「そうよね。だけど、野良の子どもだから…」
と、カオルはいきなり気弱な声を出した。
「今のうちに捕獲してしまえば、飼い猫にすることは可能よ。大体八週間が臨界期で、それを過ぎると人間に警戒心を抱くから飼い慣らすのは難しくなるけど、まだこのくらいの時期なら大丈夫」
と、ママは力強くそう言った。
「この毛量で野良として生きて行くのは大変だ。とにかく長毛は毛玉が出来やすいし、外にいたらノミやマダニの温床になるのは時間の問題だろうな」
マスターは、丁度近くにいたルチアーノを抱き上げて咽の下の毛玉をブラシでとかしながらそう言った。
(あっ、そこそこ。さすがマスターは僕の事よく分かってるよね)
ルチアーノは、気持ち良さそうにマスターの膝の上で目を細めた。
「じゃあ、野良のままこんなに可愛いくいるのは、無理ってこと?」
そう言いながら、サクラは自分の体が痒くなったかのように身を縮めた。
「確か四月上旬に産まれたはずだから…」
カオルは厨房にかけてあるカレンダーを見ながらしばらく考えて
「残された時間は、後二週間ね」
と、いつになく厳しい顔でそう言った。
 
 そして、翌日、お店のレジの横の壁に、こんなポスターが貼られた。
【子猫要りませんか?
野良の子どもですが、今なら飼い猫にできそうです】
この文字の下には、マスターの言う「カレンダーの表紙を飾れそうな」ヨネの子どもの写真が印刷されていた。
 そのポスターを見た人は
「まあ!この子、何てかわいいの!」
と、皆一様に全く同じ反応を示した。
 だけど、そうしてその場に立ち尽くして、しばらくうっとり写真に見とれた後、
「誰か良い飼い主さんが見つかれば良いのにね…」
と、ちょっと申し訳なさそうな、残念そうな笑顔を浮かべて、皆お店を出て行った。
「そりゃそうだろ。だって、ここのお客さんは基本、猫が大好きだけど自宅では飼えないからっていうんで、わざわざこの店に来てるんだろ?」
久しぶりにやって来たキョウヘイが、マスターにそう言った。
「そうなんだよ。それに、よしとんば環境が許されたとしても、一般家庭に野良猫の子どもを招き入れる事は、なかなかハードルが高いんだよな」
マスターは、太い眉毛を八の字にして、何かを思い出したように遠い目をした。
「そうね。この子達も、初めは色々大変だったものね」
ママも苦笑いを浮かべながら、店の隅っこにいるサリナを見てそう言った。
 そんなマスターやママを見ていた私と目が合うと、サリナはちょっと照れ臭そうに
(そう、初めは色々大変なのよ)
と言い残して、いつもの定位置の明かり取りの窓に滑り込んだ。
 カオルは、お店に貼っているのと同じポスターを、家の門扉にも張り付けた。
「ご興味のある方は、当家にご連絡ください」
と、ポスターの下には自分の電話番号まで書き添えたみたい。でも、そのポスターの前で立ち止まる人は大勢いても、直接カオルに電話してくる人はいなかった。
「保護団体の方にも連絡してるんだけど、あそこはあくまでも捕獲済みの猫が保護の対象だから」
というママの言葉を聞いて
「とりあえず、子猫を捕まえて人間に慣らさなきゃね」
と、カオルは通販で小ぶりのケージまで買い込んだ。
 あら?この人、今までは雌猫の避妊のことしか頭になかったはずなのに、いつの間にか子猫の保護に目的がすりかわってきたわ。
「母猫は慣れればいつでも捕獲できるけど、子猫の保護は今しかないからね」
私の疑問に答えるかのように、カオルは通販の箱から取り出したケージのパーツを組み立てながら、そう独り言を言っていた。
 こうして人間達…特にカオルは、ヨネの子どもを飼い猫にすべく、あれこれ手を尽くしているようだった。だけど、一方当事者の子猫は、と言うと…。

(こらこらチビちゃん、なに我が家の家庭菜園でウンチしてるのよ。それ、カオルが見たらすっごく怒るんだから。あなたが今掘りおこしたその細長い茎は多分、カオルが先週植えつけたばかりのサツマイモのツルよ)
ある朝、私が家の前からそう呼びかけると、モフモフの子猫はトイレの後始末もそこそこに、慌てて我が家の裏庭のウッドデッキの下に逃げ込んだ。
(こら、待ちなさい!あなた何よ。人が話かけてるのに返事もしないで!)
私はウッドデッキの下に潜り込んで、子猫をコーナーまで追い詰めてそう言った。
(なっ、なんだよ。お前、誰?)
子猫は、見た目に似合わず生意気な口をきいてきた。
(は?私の事、知らないの?この棗坂界隈で私の名前を知らないのはあなたくらいなもんよ)
私がどんどん迫って行くと、子猫は毛を逆立てて私を威嚇した。
(私はケイト。この家の家猫よ)
(いっ、家猫…)
子猫は、毛を逆立たまま、私の言葉を繰り返した。
(そう。あなたやあなたのお母さんに毎日ご飯をくれている人間…カオルと一緒に、ここのお家で暮らしているのよ)
(カオル?…ああ、あの人間、そういう名前なのか)
子猫は、私の目から目を離さないいまま、そう言った。
(それにしても、あなた、一匹でこんな所で何してるの?)
私は子猫にそう尋ねた。生後五十日足らずのこんな心もとない子どもを残して、ヨネはどこをほっつき歩いているのかしら?
(お母さんはどこ行ったのよ?)
私の質問に
(知らない)
と子猫は不貞腐れたように答えた。
(とにかく、こんな明るい時間に、あんな目立つ場所でチョロチョロしてちゃダメ。あなたみたいなチビは、カラスに捕まったらおしまいよ)
(カラス?)
(黒くて大きい鳥のこと)
(ああ、あのうるさい奴らか)
子猫は吐き捨てるように言った。
(鳥なんか怖くないよ。近くに来たら、僕のこの牙と前足の爪でやっつけてやるんだ!)
子猫はなかなか勝ち気だった。
(バカねぇ。奴らはあなたみたいなチビが太刀打ちできる相手じゃないのよ。カラスは集団で襲いかかってくるし、向こうには羽があるんだから。空から狙いを定めてサッとさらって行くの。私、目の前であなたみたいな子猫がカラスにさらわれるの、何回も見たわ。どこか知らない所に連れて行かれて、鋭いくちばしで八つ裂きにされるのよ)
話をちょっとだけ盛って脅かしたら、子猫は少し弱気な顔になった。
(それから、さっきも言ったけど、あなたがトイレにしてる場所は、カオルが野菜を植えてる所よ。人間にちゃんと餌をもらって可愛がられたければ、人間の大事にしてる物は壊さないこと)
(別に僕、人間に可愛がられなくったって、良いもん)
子猫はあくまでも強気だった。
(それでもごはんはもらいたいんでしょ?)
(ま、まぁ、ね)
(それなら可愛くしときなさい)
(別に可愛くしなくても、皆、僕のこと、かわいい、かわいいって言うよ。さっき言ってたカオルもそうだし、僕の住んでる納屋の持ち主も、通りすがりの人もみんなそう言う)
 そりゃ、あなたはホントにかわいいもの。そのかわいさはちょっと特別よ。そう声に出して言ってやろうかと思ったけど、この子猫をこれ以上いい気にさせちゃいけないから、やめた。
(それにしても、あなたのお母さん、遅いわね)
今日はオフだからそんなに急がないけど、あまり長く外にいると、後でカオルがうるさいのよね。でも、こんな子どもを独りぼっちにしておくわけにもいかないし…。
(何かさぁ…)
不意に子猫が喋り始めた。
(なんか、トラジマのおじさんがしょっちゅうお母さんの後をつけてきて、その度にお母さんは僕を物陰に隠して、遠くに走って行っちゃうんだよね)
子猫はポツリとそう言った。
 なるほど、そういうことか…。
 この辺りには、私やサビコやチャチャといった避妊済みの雌猫は沢山いるけど、避妊してない雌猫はヨネとフネくらいしか思い当たらない。
 猫の雄は、雌の発情を促すために、時に子殺しをすることがある。だから、ヨネはその雄の気をこの子から逸らそうと必死なんだ。
 カオルの言う通り、この子猫は家猫になる方が、確かに安全なのかもしれない。
 その時突然
(なんだか、ここ、虫がいるよ。ああ、痒い痒い!)
と言って、子猫はウッドデッキの下からさっき来た菜園の方に走り出た。すると、そこに大きな黒い影が…。

 


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