棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

2-9章


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2-9章

 その時、一羽のカラスが黒いハングライダーのように、音もなく地面スレスレまで降りてきて、ウッドデッキの下から駆け出した子猫に後ろから襲いかかろうとした。
「二ャッー!!!」
その姿に一瞬早く気づいた私は、灰色の疾風と化して、猛スピードでカラスに横から跳びかかった。
「グギャッ!!ギャアー!!」
バランスを崩したカラスは、羽をバタつかせながら驚いて向きを変えた。大量の黒い羽毛が宙に舞った。
 幸い私の突撃が功を奏して、子猫は後数センチという所で、カラスの鋭い爪から逃れることができた。
「ギャー!ギェー!グヮー!」
けれどもカラスは、嫌らしい声で叫びながら、まだ子猫への攻撃を諦めていない。
(チビ!早くさっきの所に戻って!)
私は子猫に向かってそう叫んだ。子猫が安全な場所に潜り込むのを確認するまで、私はカラスを穴が空くくらいの目力で睨み付けて
「グゥーー!ニャーーオーーーン」
と、低い声で威嚇を続けた。
「ギェー!グェー!グギャー!」
と、カラスは尚も私に向かって叫び続けた。
 鳥はいつも、こんな風に仲間同士でも声でコミュニケーションを図る。だから、カラスに何か言われたところで、私達猫には通じない…。
(ああ、悔しい!もうちょっとだったのに!)
 って…あれ?何で、通じてるの?
(あんたのおかけで、台無しだ!)
 カラスの言い分なんて聞くつもりはさらさらなかったのに、その日の私のコンディションは、このカラスの心の声をたまたまキャッチしてしまったみたい。
(こっちは、生活がかかってるんだ!うちには子どもが大勢いるのに、皆お腹を空かせて今にも死にそうなんだよ!)
(そんなの、知ったこっちゃないわよ!)
思わず私も、心の声でカラスに応えてしまった。
(あんた達猫は良いよ!人間にすり寄っていけば餌にありつけるんだから。あたしらカラスと同じようにゴミ溜め漁ってても、あんた達は、『かわいそうに』って言われるけど、あたしらには人間は一欠片の慈悲もありゃしないんだ!)
 そんなこと…、私に言われても…。
(だからって、あんたにあの子をわたすわけにはいかないのよ!)
 あの子だって、たった一匹の生き残りなんだから。
(あたしゃ、あの子猫が一匹だけになるのを、ずっと前からうかがってたんだ。だけど、せいぜい気を付けるがいいさ。あいつを狙ってるのはあたしだけじゃないからね!)
カラスはそう捨て台詞を吐いて、飛び去って行った。
 犬のモカだけならいざ知らず、カラスとまで話せちゃうなんて…。後味の悪い思いを引きずりつつも、何とか子猫を守りきれたことへの安心感にホッとして、ふと気付けば、ウッドデッキの下から、子猫がずっと私の方を見ていた。
 子猫の側にゆっくり近づくと、チビはそのモフモフの体を小さく震わせていた。そりゃそうよね。もう少しでカラスに拐われるところだったんだから。
(あっ…、鼻…)
子猫にそう言われて何気なく鼻の頭を舐めてみると、血の味がした。さっきカラスに突撃した時、咄嗟に反撃されたのね。
 私はウッドデッキの下に潜り込んで、子猫の側に寄った。幸い子猫は無傷だった。
(ごめんね、僕のせいで…)
子猫は私の負傷した鼻を見て、シュンとしていた。
(平気よ、これくらい)
何だか、お兄ちゃんと同じ台詞を口にしている自分にちょっぴり笑えちゃう。
(ケイト…)
(なあに?)
(ありがとう)
子猫はそう言って、私の体にピタッと寄り添ってきた。
 こうして、私とチビは仲良くなった。

 

「子猫の貰い手は、まだ見つからないのか?」
 その日も、いつものように夕方店にやって来たキョウヘイが、ニグラの独特の香りに目を細めながら、マスターにそう言った。
「ああ。皆、ものすごく興味を持って食い入るようにポスターを見てるんだけどな」
マスターは腕組みしながら、残念そうにそう答えた。
「まあ、猫も女と一緒かもな。良いなと思うのと、本気で付き合うのとは、また別だからな」
そう言うキョウヘイに
「そんなことばっかり言ってるから、いつまでも一人なのよ」
と、サクラが素早く突っ込んで
「うるせー、お前に言われたくないんだよ」
と、いつものやり取りが交わされる中
「こんばんは」
と、いう声とともに軽やかにドアベルを鳴らして現れたのは、久しぶりのお客様だった。
「あら、メイちゃん!」
「ご無沙汰してます」
「去年の、ミニコンサート以来ね。元気にしてた?」
「ええ。お陰さまで」
そんな会話をしながら、席に着こうとしたメイちゃん。あの日がお誕生日だった彼女がこの店に来るのは、これで三回目だ。

 そしてメイちゃんは、レジ横のポスターの前で固まった。
「…マジ、ですか…」
そのまま五秒間フリーズした後
「嘘?この子、ホントに野良の子どもですか?ちょっと?!かわいい!可愛い過ぎる!!」
と、メイちゃんは初めてお店に来て私が膝の上に乗った時以上の興奮ぶりを示した。
「えー?ホントに?こんな可愛い子猫がいたら、毎日がパラダイスだわ!」
メイちゃんの興奮は止まらない。
「あれ?だけど、あなたのお家は確か…、お子さんが猫アレルギーじゃあ…」
少し前の記憶を手繰り寄せながら、メイちゃんの興奮をたしなめるようにママがそう言うと
「そうだったんですけど…。何だかこの頃、息子も徐々に体質がかわってきたみたいで…。息子も私に似て無類の動物好きで、どうしてもって言うので、半年前から犬を飼い始めたんですが、その子には何ともないんです」
「犬が大丈夫でも、猫だとどうかしら?」
メイちゃんのテーブルにお水を置きながらママが言った。
「うーん、どうでしょう?家は去年新築したばかりで、部屋数も以前よりは増えたから、猫専用の部屋を作って猫と息子との生活圏を分けてしまえば、飼えなくはないのかも…」
「まあ、そんな贅沢なことが可能なの?」
サクラが驚いてメイちゃんに聞いた。
「いえ、今でも手狭ではあるんですけど、いざとなったら家具を移動したりして、何とか対応できるかもしれないし…」
 この人、もう飼う気満々だわ。
「ちょっと夫に相談してみます」
メイちゃんは、バッグからスマホを取り出して電話をかけ始めた。本気の時は皆こう。すぐに誰かに電話して、サクサクと物事を進めていく。私がこの店に来るようになった時も、確かサクラがこんな風にマスターに電話してたっけ。
 メイちゃんは、夫という人に電話してしばらく話して電話を切った後、
「できれば一度、この子に会って、それから決めても良いですか?」
と言った。
「ええ、まあ、出来ればそうするに越したことはないんだけど…」
困ったようにママが言った。
「何せこの子はまだ野良だから、決まった場所に行けば必ず会えるとも限らないのよね。もちろん、飼ってもらうためには、先ずは捕まえなきゃ話にならないんだけど…」
 皆でそんな話をしているところにやって来たカオルに、それまでの流れをサクラがかいつまんで説明すると、
「それなら、近々、ご家族で我が家にお越しください」
と、カオルはメイちゃんに言った。
 
 そして、次の土曜日の午後、本当にメイちゃん一家は、私達のお家にやって来た。ミニコンサートの時に一緒だった、メイちゃんの倍くらいの大きさのおっとりとした夫という人と、ニコニコとよく笑う小さな男の子と一緒に、メイちゃんは我が家のウッドデッキで、ヨネと子猫を待っていた。
「今朝は少ししか餌を与えてないから、きっとお腹を空かせてると思うんです」
カオルはそう言ったけれど、それから1時間以上経っても、ヨネと子猫はやって来なかった。
 もちろん私は、二匹の居場所を知ってはいたけど、あえて呼びには行かなかった。チビがメイちゃんのお家猫になるのは、きっとあの子にとっては良いことだと思う。そうなればもう、カラスに怯える事もなければ、ノミやマダニに悩まされる事もなくなるはず。だけどそれは同時に別れも意味する。だって、メイちゃんが飼いたいのは、子猫だけなんだもの。
 親兄弟と離ればなれになるのは、それはそれは淋しいことだと、前にジャニスは言ってたっけ。
 だけど、そんな私の思いをよそに、遂にヨネと子猫は我が家のウッドデッキにやって来た。
「うわぁ、可愛い!」
メイちゃんは、子猫を見て目を輝かせた。いつものキャットフードをカオルがお皿に注ぐと、ヨネと子猫は無心にそれに食らいついた。
 そしてその後メイちゃんは、自分で持ってきたとっておきのおやつを、子猫とヨネと、そして私にもくれた。メイちゃんはとっても良い人だと、その時私は思った。
「ショウ君、ニャンニャンに触ってもカユカユ出ない?」
そう言ってメイちゃんが気遣う息子のアレルギー体質は、どうやら本当に改善されているらしい。そして、メイちゃんの子どもは、なぜか私の大好きな彼と同じ名前だった。ネーミングセンスも最高ね。メイちゃん、益々気に入ったわ。
「このお母さん猫も、良い顔してますね」
今やすっかり人間に慣れたヨネにおやつをあげながら、メイちゃんは言った。
「母一人子一人なのよね、あなた達…」
ヨネの今までの苦労を思いやるかのように二匹を交互に見ながら、やがてメイちゃんは、きっぱりとした口調でこう言った。
「私、この子達、二匹とも飼います!」
 メイちゃんは、本当にとっても良い人だと、その時私は改めて思った。

「え?大丈夫なの?お家には、他に犬もいるんじゃ…」

驚いてカオルがメイちゃんにそう尋ねた。

「はい。だけど、どうせ飼うなら、親子一緒の方が、この子達も淋しくないかな?と思って。こんな可愛い子どもと引き離されるのは私だったらすごく辛いし。それに、このお母さん猫、大人しくて飼いやすそうですし。…あっ、大丈夫です。私、小さい頃から猫一杯飼ってて、多い時は一度に四匹くらい実家に居たから」

メイちゃんはおおらかにそう言った。

「ねぇ、リョウちゃん、良いよね?」

メイちゃんは、大きな夫に確認した。

「ああ、メイちゃんがそれが良いと思うのなら、僕は良いよ」

リョウちゃんと呼ばれるその夫は、いかにも人が良さそうな笑顔でそう言った。

「ショウ君も、ニャンニャン一杯が良いよね?」

「うん!ニャンニャン一杯が良い!」

小さな男の子も、満面の笑みでそう答えた。

「そうと決まれば…、善は急げね」

カオルが、決意を込めて大きく頷いた。

 

 そうしてここから、棗坂猫捕獲大作戦が始まった。

 




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