棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

2-7章


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2-7章 

 それから数日後の朝、私が日々の日課のお庭のパトロールをしていると、ナガサワさんのお庭の片隅で、ヨネが呆然と佇んでいる姿に遭遇した。近づいても私の存在に全く気づいていないみたい。どうしたんだろう?赤ちゃん達を置いて、こんな所に一匹で、このヒト何やってるのかしら?

(おはよう、ヨネ)

かなりの至近距離から私が声をかけると、ヨネはビックリして身を固くしながら

(あっ…、ケ、ケイトさん…。…おはようございます)

と、絞り出すようなか細い声で力なく挨拶を返してきた。このヒト、何だか随分やつれて毛づやも悪いわ。育児に相当お疲れのようね。

(四匹の子育ては大変ね。どう?子猫達は順調に育ってる?)

別に私の身内じゃないことが分かって以来、正直子猫達の事にはすっかり関心をなくしていたけど、行き掛かり上の社交辞令として、私は数日前に見かけた、まだ目も開いていない四匹の子猫達のことを気遣うふりをした。

(そ、…それが…)

ヨネは、ガックリと肩をおとし、

(四匹のうちの三匹は、昨日までに死んでしまいました)

と、猫背の背中をますます猫背にしながら、疲れきった声でそう言った。  

 えっ?そんな…。何か私、まずい事を聞いてしまったわ。…だけど、それにしても、後の一匹は?

(そうなの…。それは大変だったわね。お疲れさま。それじゃあなた、今は随分辛いでしょうね)  

そう労いの声をかけると、ヨネは私の目を泣きそうな目でじっと見てこう言った。

(私が悪いんです。もともと栄養不足でお乳の出が悪くて。それでも、皆に平等にお乳をあげようと、一番力のない子に構っていたら、元気な子が勝手に離れたところに移動して風邪をひいてしまい、それが皆に感染して…)

この世の終わりのように、ヨネは落胆して

(全部、私が悪いんです)

と繰り返しつぶやいた。

(そうだったの…)

私はしばらく返す言葉を失っていたけど

(だけど、あと一匹残ってるんでしょ?その子は今どうしてるの?)

と、さっきからずっと気になっていたことをヨネに尋ねた。

(最後の一匹は無事でした。何故だかこの子だけ長毛なので、体温が下がりにくかったみたいで。今も一匹で小屋の中で寝ています)

と言った。

 あの薄茶色の、一番毛量の多かった毛玉。あの子だけは生き残ったのね。何だか不思議な安心感が、私の中に広がった。

(あなたの辛い気持ちは分かるけど、残ったその子はどうにか無事に育てなきゃね。早く帰ってあげないと)

(そ、それが…)

私の促しに、ヨネはしばらく口ごもった後

(昨日から何も食べてなくて…。だからお乳も出ないんです)

と言った。

 えー、ウソー?この界隈の猫は皆、まとめて面倒見てくれるナガサワさんか、料理上手のトヨダさんか、手厚く最後までお世話してくれるショウ君パパの庇護の元にあるんじゃなかったの?今日日、こんな飢えた野良猫に出会うなんて、しかも、それが子育て中の母猫だなんて、何だか私には衝撃だった。

(あなた、ナガサワさんにお世話になってるんじゃなかったの?)

私は驚きを抑えながらそう言った。

(ええ、一応こちらでご厄介にはなってるんですが、何せここは沢山の野良猫達のコミュニティーなので…。ただでさえ納屋を占領してご迷惑をおかけしているのに、この上、私ばかりに気を使わせるのは、家主さんにも他の猫さんにも申し訳なくて…)

 なんて控えめな野良猫なの?この謙虚さで子猫を外で育てるのは、あまりにも大変過ぎるわ。

(なに言ってるの。あなたは授乳中なんだから、変な遠慮しなくていいのよ)

(そう言われましても…。実は、私が去年産んだ子ども達も、たまたまこちらのお庭でお世話になってまして…。この上私にこれ以上のことをしていただくわけには…)

 ああ、もう、分かった分かった。このヨネも、お兄ちゃんと同じタイプの性格ね。それでもお兄ちゃんは独り身の風来坊だから、怪我をしようが飢えようが、全ては自己責任の範疇だけど、ヨネは母親なんだから、もっと図々しくならなくちゃ…。まあ、性格は早々、変えられるものではないけれど…。

(わかったわ。そういうことなら私に任せておいて)

そう言って、私はヨネに生きるための知恵を授けた。

 

「あら、ヨネちゃん?久しぶりね」

 私は早々とお家に帰ると、リビングの窓辺から、そっとカオルの声に聞き耳をたてた。

「あなた、二週間程前まではあんなにお腹が大きかったのに…」

そう言いながら、 カオルは、以前私にしていたのと同じやり方で、ヨネを庭の隅に呼び寄せてこう言った。

「さあ、しっかり食べなさい。今はお乳を出さなきゃいけないんだから」

お皿に注ぐ音の感じからすると、ほぼ私の倍くらいの量のフードを、カオルはヨネに与えていた。  少しずつゆっくり食事をするヨネに、カオルはこう語りかけ続けた。

「いいこと?ヨネちゃん、よく聞いて。もしも、家猫になりたいなら、子どもも一緒にここに連れていらっしゃい。子どもを安全に育てるなら、断然お家の方が良いわよ」

カオルは、文字通り猫撫で声で、ヨネにそう言った。

 実はこれには裏があった。

「この棗坂は、ただでさえ高齢化が進んで、どんどん空き家が増えてますからね。そこで猫が子どもを産んだら…。猫は、多い時には一年に三回出産するらしいから、一回平均四匹のかける三回…」

「それこそ、ねずみ算式に増えていくんですよ。…この場合、猫算、か…」

カオルがショウ君パパと話してるのを、私、この前こっそり聞いちゃった。

 この二人は、去年サビコの捕獲に成功して以来、すっかり自信をつけている。妊娠可能な雌猫を見つけては、手懐けて避妊しようというのがカオルの魂胆よ。

(あなたにその気がなければ、家猫になる必要も、ましてや避妊される必要もないのよ)

私は、先にヨネにこう言い聞かせておいた。

(だけど、ナガサワさんや他の猫達に遠慮があるのなら、今はうちの家人の、カオルを利用すれば良いのよ)

(り、…利用)

ヨネは、怖じけずいたように半歩後ずさった。

(いいの、いいの。うちのカオルは、それが良いことだと思って勝手にやってるんだから。少なくとも赤ちゃんにお乳をあげてる間は、あなたを無理やり避妊に連れて行くような手荒なことはしないはずだから、子どもが育つまでの間は、うちの庭に来てカオルからエサをもらったら良いわ)

私にとっては当たり前の処世術だけど、ヨネにとってはすごくあざといことに思えるみたい。

(えっ?そっ、そんな…。それって、言うこと聞くように見せかけて、結局だます、みたいな…)

ヨネは、声を震わせながら言った。このヒトは、まるで私がとんでもない悪事を持ちかけているみたいに思っているのかしら。

(だから…、そんなに深刻に考えなくて良いのよ。勿論、カオルの望み通りにあなたが避妊手術を受けても良いのなら、素直にカオルの言う通りにすれば良いんだし)

(しゅ、手術って、何ですか?)

(えっ?それは…、私もよく覚えてないけど、チョコっとお腹を切って、子宮てものを取っちゃうことみたいよ)

私のその言葉を聞くと、ヨネは目を三角にした。

(いっ、嫌です!お腹を切るなんて。そんなの、…死んじゃうかもしれないじゃないですか?)

と言って、今にも逃げ出しそうに身を翻らせた。

(バカねぇ、ヨネ。現代の医学は進んでるの。今時の獣医師は、誰もそんなヘマはしないわ)

私が笑いながらそう言ったので、ヨネは何とか逃げることは思いとどまって

(そっ、そうですかぁ…)

と、いぶかしげに私を見ながらそう言った。

(とにかく、今のあなたは、生き残った一匹の子どもを無事に育て上げることだけに集中すること。それ以外のことは、この際割り切りなさい)

私はきっぱりとヨネにそう言いきかせた。  

 

 それ以来、ヨネは、朝夕我が家のお庭に来てはカオルから食事を与えてもらうようになった。    

 

 それからさらに2週間程たった朝、私は、お庭でカオルの驚く声を聞いた。

「うそっ?あなた…」

そう言うカオルの視線の先には…。

 


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