棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

2-2章


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2ー 2章


 それから数日後、カオルとご近所さんが、会う度に長々とした挨拶を交わしながらペコペコ頭を下げ合う季節がやって来た。確か、去年も本格的に寒くなるこの時期に、こんな感じの事があったわ。皆、お互いに「おめでとうございます」と言い合っている。だけど、誰も「ありがとうございます」とは言わないの。変ねぇ、私の知る限り、確かこの二つの言葉はセットで使われるはずよ。
 そして、そんなおめでとう合戦にも皆がそろそろ飽きた頃、私は久しぶりに、お庭でお兄ちゃんに会った。
(わー、お兄ちゃん。元気だった~?)
お兄ちゃんは、基本ナガサワさんのお庭がホームだけど、そこはやっぱり野良の雄だから、毎シーズンあちこちに遠征を繰り返している。それに、マリエに出勤し始めて以来、私は朝しか外に出られないから、お兄ちゃんに会う機会はめっきり少なくなってたの。
 しばらく会わないうちに、お兄ちゃん、チョッピリ老けたわ。それに、顔だの後ろ足だの、あちこち怪我してて、痛々しい。
(お兄ちゃん、大丈夫?)
まだ生々しい傷跡の残る後ろ足を見て、私がそう言うと
(このくらい平気さ。それより、そっちはどうだ?店の方は順調か?)
と、お兄ちゃんは私より一回り大きくて茶色味の強い、いわゆるキジトラシロの体をゆっくりと丸めながらそう言った。
(ええ。お陰様で、すこぶる順調よ)
私達がそんなやり取りをしていると、お兄ちゃんの後ろの茂みから、若い白黒の雌猫が現れた。
(あら、お兄ちゃん、そのヒト…)
頭に黒い帽子を被ったような、ちょっと面白柄のその子は、恥ずかしそうにお兄ちゃんの後ろに隠れた。私に何の挨拶もないから、ちょっと意地悪な気分で私はお兄ちゃんに
(新しい彼女さん?)
と尋ねたら
(この子はまだ、この秋生まれたばかりの子猫だよ。親と生き別れて困ってたから、ここに連れて来てやったんだ)
と、お兄ちゃんは、少しだけムッとしたようにそう答えた。
 全く、お兄ちゃんはお人好し…と言うか、お猫良し。困ってる猫を見ると、すぐにここに連れて来る。私もお兄ちゃんのお陰でカオルに出会えて今の生活があるから、まあ、偉そうな事は言えないんだけど…。それにしても、物事には限度ってものがあるでしょうに…。いくらナガサワさんが面倒見が良いからって、多い時には一度に七匹もの行き場のない野良を連れて来て…。結局、ナガサワさんに気を遣って、自分は他の餌場を探しに旅に出ては、先住猫に襲われて痛い目を見る羽目になる。
 性格って、同じ兄妹でもどうしてこんなにも違うのかしら?お兄ちゃんには、私のような自分への労りがちっともない。
(確かに可哀相な猫は沢山いるけど、そんなことしてたらきりがないわよ)
と、自分でもちょっと冷たいなぁ、と思いながら、私はお兄ちゃんにそう言った。そして、結局、その黒頭巾の若い雌には、一言も声をかけてあげなかった。
 それからしばらくして、お兄ちゃんはまた旅に出た。お兄ちゃんが連れて来た若い雄の多くは、お兄ちゃんと同じようにしばらくしたらよそに移って行くけど、今度のこの黒頭巾ちゃんは雌だし、この先どうするつもりかしら?ナガサワさんのお庭に居る分にはいいけど、ちょっとでも私のテリトリーに入ってきたら、即、お行儀を教えてあげなくっちゃね。何だかがめつく思えるかもしれないけど、家の中と違って、外の世界ではこの縄張り意識は物凄く大切。…っと、そう思ってる間に、その子は、早くも我が家のお庭に入ろうとしていた。
(ちょっと、あなた!待ちなさい!)
私はダッシュで彼女を追いかけた。
(あの石段から先は私のテリトリーよ!)
(あっ!おばちゃん、ごめんなさい!)
(はっ?!あなた、今、何て言った?おねえちゃん、でしょ!?)
(はっ、はい…)
その子の返答の仕方にかなり無理があったから、益々私は気を悪くしたけど、まあ、こんな子ども相手にムキになるのはあまりにも大人げないから、私は大きく深呼吸して心を落ち着けてから、黒頭巾の彼女にこう言った。
(私はケイト。あなたが餌場にしてるナガサワさんの隣のカオルのうちで家猫やってるの。ナガサワさんがボヘミアンと呼んでるキジトラシロの妹よ)
私がそう言うと、クロズキンちゃんは少しポカンとしていたが、ハタと思い当たったように
(あっ、ボヘさんって、ホントはそんな、格好良い名前なんですね)
と驚いたように言った。
(そうなの。ボヘミアンは長くて呼びにくいからって省略されちゃって、ボヘ、ボヘ言われるのをお兄ちゃんは嫌がってるわ)
(そうなんですね。…でも、それだと何だか、彼だけ他の子達とテイストが違いますね)
(え?それって、どういうこと?)
(私はフネ。他にも、サダとかトクとかイネとか、ここのお庭の猫達は、あのご夫妻からはそんな風に呼ばれてるんです)
(ああ、それはね、お兄ちゃんの名前は奧さんが付けて、他の子の名前は旦那さんが付けたからよ。そこの奧さんは洋風好きで、旦那さんは和風好きなの)
こんな他愛ない話をしているうちに、私とフネは少しずつ打ち解けていった。私は、フネに野良猫の世界の常識と非常識、それから、庭猫をやっていく上で人間に排除されないための最低限の心得を彼女に教えてあげた。
(常にグルーミングを心がけて、いつも清潔な状態を保つこと。私達自身にも不快だけど、ノミやマダニを庭に持ち込むのを、人間はすごく嫌がるからね)
(はい)
(それから、何と言ってもトイレのマナーは重要ね。花壇を掘り起こすなんて論外だけど、一見花壇に見えなくても…つまり、今はお花が咲いてなくても、そこに種とか球根っていう植物の赤ちゃんが埋まってることがあるのよ。その場所を掘り起こしてをトイレにしちゃうと、それはそれは人間の怒ること、怒ること…)
私は、約2年前の放浪の記憶を蘇らせながら、フネにそう教えた。
(だから、基本、人間がよく行き来する場所では用は足さないこと)
(分かりました。気をつけます)
(それと、この界隈の、他の外猫達のことを、ザックリ教えておくわ)
(はい。よろしくお願いします)
(うちの家と道を隔てたお向かいのトヨダさん、そこにはハッピーという室内犬がいるんだけど、その犬の友達で半野良猫の茶トラの親子がいるの。この親子は、トヨダさんの奧さんからチャチャとコトラと呼ばれているわ)
 元々、チャチャは完全な野良猫だったんだけど、なぜか犬のハッピーと仲良しで、トヨダさんのお庭で子どもを産んだ。その中で、ちゃんと育ったのがコトラ。トヨダさんは、カオルの持っている罠を使ってチャチャと大人になったコトラを捕まえて避妊手術と去勢手術を受けさせたの。
(トヨダさんの奥さんは大のお料理好きで、いつも美味しい食べ物を沢山作るから、猫達にも無添加の食べ物を作って食べさせてくれるそうで、そうこうしている間に、チャチャとコトラは半分野良で半分家の猫になったんですって)
(へー、そうなんですか…)
フネは、この珍しい二匹の猫の経緯に、目をパチパチさせながらそう言った。
(それと、トヨダさんのお隣のヨシダさんのお庭で餌だけ貰っている黒と茶のブチ猫、これはサビコ。このサビコは長い間完全な野良猫だったんだけど、ヨシダさんとうちのカオルに捕まえられて、避妊手術を受けて、今ではこの棗坂の地域猫になってるの)
地域猫?)
フネが聞き返した。
地域猫って言うのは、どこか特定の家の猫ではないけれど、地域の人達皆にお世話をしてもらっている猫のことよ)
(へー、良いなぁ)
フネは、羨ましそうにそう言った。
(でも、その代わり避妊や去勢されちゃうけどね)
(あっ、そっか…)
(その他、色んな猫達の出入りが結構激しくて、私も全員を把握してる訳じゃないけど、雌猫のあなたが過ごす範囲の外猫といったら、まあそんなところかしらね)
(分かりました。ありがとうございます)
 本当は、ショウ君のことも紹介しようかどうかチョッピリ迷ったけど、若いフネにショウ君の心が動いたら悔しいから、完全家猫のショウ君のことには敢えて触れなかった。こんなこと気にするなんて、私も少し年をとったってことかしら?
 だけど、フネは素直で可愛いわ。そうやって、私達が、朝の短い時間を使って少しずつ親しくなった頃、丁度美味しそうな小鳥が木々に集まり始めた朝、お兄ちゃんが再び若い雌猫を連れて、ナガサワさんのお庭に現れた。



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