棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

10章

10章

   それから数日後、その日は、朝早くサクラが私を迎えにカオルの家にやって来た。
(今日は占い猫デビューの日なの)
いつものお喋りタイムで、さっきショウ君にそう話したばかり。
   サクラはカオルの家の駐車場に車を停めて、私のキャリーバッグを肩にかけていつもの道をマリエに向かった。カオルは上下左右にフワフワ揺れながら歩くけど、サクラは靴の踵を規則正しく鳴らしながら縦方向に真っ直ぐ進む。無駄のないサクラのリズムを聞いていると、私はこれからどんなことが起こるんだろうとワクワクしてきたわ。
   マリエに着いたら、サクラは私の入ったキャリーバッグをマスターに渡して、さっさとどこかに行ってしまった。
「あら?サクラちゃんは?」
一歩遅れて店に現れたママにマスターは
「あいつ、すっかり張り切っちゃってさ。今日は朝から占いコーナーとギャラリーの備品の買い出しに行くんだとさ」
「まあ、たまの休日なのに、朝から元気ね」
「ああ、あいつはいつも思いたったが吉日なのさ。俺達の意見も一応聞いてはくるけど、結局は自分の思うように事を進めていく」
「そうね」
「でも、今回は、何だか俺も楽しみなんだ」
「あら、私もよ」
マスターとママは、私の頭を撫でながらそう言った。
   それから、いつもの朝が始まった。
(おはよう、ケイト。今日は占い猫、初日だね)
ルチアーノが楽しそうに鼻をすり寄せてきた。
(おはよう、ルチ。そうなのよ。私、何したら良いのかしら?それに、そもそもお客さん来るのかな?)
(それはケイトの腕次第だよ)
(えー、ルチったら、そんなとこでいきなりハードル上げるわけ?)
(ケイトなら大丈夫。さり気なく占いの説明文がお客様の目に留まるようにすれば良いんだもの。占いに興味がありそうな人かどうか見極めるくらい、あなたなら容易いことでしょう?)
オルガが、さも簡単そうに言った。
(ああ、なるほど。そういうことね)
   オルガにそう言われると、そんなに難しいことでもないような気がしてきた。要は、フワフワ歩いてる人を見つけて、占いの紹介分を読ませれば良いのよね。そう、人生に迷っている人はフワフワ歩くものよ。…それなら、サクラはカオルのことも占ってあければ良いのに。
   ランチタイムが終わった頃にサクラはもう一度店にやって来た。手には大きな買いもの袋を何個も提げている。
「百均はしごしてたら遅くなっちゃった。でも、色々良い素材見つけたのよ」
そう言って、サクラはバックヤードに姿を消したが、しばらくして、小さな写真立てを三つ持って店に出てきた。
「『猫と一緒に、あなたの悩みにお答えします』ヨシエ義叔母ちゃんのセリフをそのまま使わせてもらったわ」
  なるほど、あの写真立ての前に、フワフワ歩く人を誘えば良いのね。そんなの簡単。任せといて。
   あっ、早速お客さんが来たわ。いつものように歓迎して、と。だけど、幾ら接客しても、朝のうちに一日分のおやつ貰っちゃったから、もう貰えなくてつまんないのよね~。でも、そんな私のために、ママはブラッシングコーナーというのを新たに作ってくれたの。その日のおやつを貰いきった後は、フワフワの毛が舞い上がっても良いように店の隅に衝立を立てて、その中でお客さんにブラッシングして貰うという新企画。毛が生え替わる季節なんかは、猫は自分の体を舐めすぎて吐いちゃったりすることも多いから、ブラッシングは実は結構助かるの。だから、このお客さんには、あとでブラッシングして貰おうっと。あっ、この人、ちょっと歩き方がフワフワだわ。どうかしら?占いコーナー。
(こんなのありますけど、いかがですか~?)
   とびっきりのかわいい声でお客さんを例の写真立ての前に誘導してみた。
「えっ、猫ちゃん、なぁに?何お話ししてるの?」
私の声に釣られて、お客さんが写真立ての側に寄ってきた。そうそう、それで、ここに書いてある文字を読んでみて。
「えっ?『猫と一緒にあなたの悩みにお答えします』だって。あはは、私の悩みは老後の不安よ。猫にそんなこと相談したってねぇ…。猫ちゃん、あなた、お金儲けの仕方、教えてくれる?」
その肥った高齢の女性は、そう言って笑った。なんだ、この人、単に足腰が弱ってフワフワしてただけなのね。この手のタイプは、占いなんて全然関心ないわね。私としたことが…。
   その後来た何人かのお客さんにも同じ手を使ってみたけど、皆、反応は今一つ。
「カード占い?一回、3000円?猫と一緒に…だって?何かこの店も変なこと始めるなぁ」
不審そうにそう言うおじさんもいた。
「ケイトちゃん、君も色々やらされて大変だねぇ」
その日は珍しくお昼過ぎにやって来たノザワさんは、私の頭を撫でながらそう言った。
(違うのよ、ノザワさん。私、お店の売上げに貢献したいの。サクラもすっかりやる気だし。いつの間にか私もアシスタントになっちゃったことだし、ここは一つ協力してよ。ねぇ~、ノザワさ~ん。お願~い)
「ケイトちゃん、ごめんね。今日はもうおやつはダメってママに言われちゃったんだよ。その代わり、後でブラッシングしてあげるからね」
いくら甘い声を出してお願いしても、私の言葉がノザワさんに通じるわけもなく、結局、その日の占い希望者は現れなかった。
「あーあ、今日は坊主だったわ」
サクラは、いつもの癖の強い香りのもするコーヒーを飲みながらそう言った。
「まあ、始めからそんなに上手くいく話ばかりないさ」
マスターはサクラを慰めた。
「そうよねぇ」
珍しくサクラが弱気な声を出した。
「そろそろオーダーストップの時間だわ」
ママが閉店の札を手にした時、ドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
ママは咄嗟に札をカウンターに置いた。
「19時で閉店になりますがよろしいですか?」
ママの問いかけに、頷いて席に着いたのはロングスカートの女の人。うつむき加減でフワフワと言うよりは、ちょっとフラフラしてる。髪の毛に隠れ気味な顔がほんのり赤くてそれにこの匂い、これは、…ちょっと違う種類だけど…あれよ。カオルがテーブルを拭くやつ。あれが混ざった匂いの息を吐いている。
   半分髪に隠れた顔をチラチラ覗き込んだ後、サクラは恐る恐る
「え?もしかして、…キムラさん?」
とお客さんに声をかけた。あら、その人、サクラの知り合い?
「シラカワさん、お久しぶり」
人間は大抵二つの名前を持っている。シラカワさんって、サクラのことね。
「どうしてここに?」
SNSで見たのよ。ここの猫カフェで占いやってるって」
「えっ?うそ?さっきのせたばっかりなのに、もう気付いてくれたんだ」
「偶然見つけたのよ。さっきまで3軒先の居酒屋で飲んでたから」
「キムラさん、この時間から飲んでたの?」
「今日は仕事で色々嫌なことがあって、イライラするから一杯引っかけて帰ろうと思ってさ。飲みながらスマホいじってたら、Facebookで偶然あなたを見つけて。こんなこともあるんだなって、すぐ近くだし、面白そうだから来ちゃった」
「嬉しい。キムラさん、ありがとう。大学卒業してからほとんど会ってなかったのに、覚えてくれてて、しかもこんなタイミングで来てくれるなんて」
「そうね、私も、何かに引っ張って来られたような感じだわ。そもそも、この商店街に猫カフェがあるって今まで知らなかったし。私、猫大好きだけど、今のマンションはペット飼えないから、モフモフに飢えてたの。わぁっ、この猫、昔飼ってた子にそっくり。うちの子はこんなに人懐っこくなかったけど。あら、あなた、左足に黒い靴下履いてるのね」
気がつくとカーティスがドヤ顔でこっちを見ながらキムラさんにスリスリしていた。
(カーティス、…もしかして、あなた?)
(あれ?言ってなかったっけ?俺、そういうの得意だって)
カーティスが言う「そういうの」っていうのを人間の言葉で表すのは難しいけど、要は、このお客さんは、カーティスが引き寄せたってこと。人間以外の動物には、会話や電波通信以外の手段でコミュニケーションを取る力がもともと備わっている。…ホントは人間も持ってたはずだけど、言葉に頼りすぎて失ってしまったその力。だけど、時々、そういう力が開く事があって、多分、キムラさんは、動物からのメッセージにアンテナが高いのね。それと、きっとほろ酔いだから意識のガードが下がってるんだわ。
「まあ、サクラちゃんのお友達なのね。私達は適当にやってますから、お時間気にせずにゆっくりして行ってくださいね」
ママはキムラさんにそう言って、さり気なく閉店の準備に取りかかった。キムラさんはカーティスと遊びながら、マスターにコーヒーを注文した。

「ところでキムラさん、実はここの占い師は私なんだけど、…私で良かったら、何か占って欲しいこと、ある?」
キムラさんがコーヒーを飲み終え、お互いの近況報告が終わった頃、サクラはおもむろに占いモードに入った。
「そうねぇ。まあ、言い出したら色々だけど。…私、昔から周期的に落ち込んだり立ち直ったり。今はちょっと低迷してて…。これっていうテーマは無いけど、これから私はどうしたら良いのか、占ってもらえるかしら?」
「良いわよ」
サクラはバッグの中から小さな箱を取り出して、ゆっくりと深呼吸した。
   人気無い店内はBGMも止まっていて、奥でママとマスターは片付けを始めている。占い猫の私は、サクラの膝の上に乗った。これからいよいよサクラの占いが始まるのね。


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