棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

27章


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27章
   今日は、九月二十三日。
   あれから、ミニ演奏会と二人展の同時開催の準備をしながら、関係者一同は暑い夏を忙しく乗りきっていった。私達猫も、それなりに毛づくろいをしたりおやつをおねだりしたりで、忙しくしていた。え?…そんなの忙しいうちに入らないだろう、って?そんなことないわ。人間も、衣食住のために働いてるんでしょ?私達猫には、毛づくろいとおやつをねだることは、衣と食に直結してるんだから、それはそれで重要なのよ。
  衣食住には何ら関係のない芸術のための催しに奔走する彼らは、「暑い、暑い」と言いながらも活き活きしてた。
  
   あれから数日後に、キョウヘイとサクラとナカムラ君が協力して作ったお洒落なポスターが店内数カ所に貼られた。
SNSにも載せちゃおっと」
と、サクラは嬉しそうにポスターの写真を撮っていた。
  マスターは、演奏会で人が集まる事を想定して、商店街の家具屋さんから安く買ってきたという、重ねて仕舞える木で出来た小さな丸椅子十客足らずをどこに待機させようか、その置き場所を何度も移動させては、ああでもないこうでもないと頭を悩ませていた。普段使わない物はなるべく身の回りに置かないというマスターの主義に反するかららしいけど、私から見ると、そんなことで悩む意味がちっとも分からないわ。だって、要るから買ったんでしょ?普段は要らなくても要る時が一度でもあるなら、その椅子はマスターには必要な物なんだから、それを受け入れれば良いだけの事なのに。仕方のないことを受け入れるのに、マスターは時間がかかる。こだわりが強いって言うのかしら?
  一方、ママは何でも受け入れる。自分に関わりのあるものは、何でも。ママはそれを「縁」って言う。
  ちょっぴり気難しいマスターにはママの存在は不可欠だけど、大らか過ぎるママにとっても、マスターのこだわりは良い感じのストッパーになってて、それはそれで大切な気がする。
   ママはママで、演奏会当日のスペシャルメニューを考えるのが楽しそうだ。
「夕方からの開催だから、普段のランチとは食事の内容を変えなきゃね。だけど、この日は忙しくなりそうだから、フードメニューは一種類だけ。メインと何種類かのつけ合わせをワンプレートにして。…あっ、でも味が混じらないように汁気の多い物は分けなきゃね。今まで趣味で集めてた小鉢が活躍しそうだわ」
「それと、ヨーロッパのカフェみたいに、この日はワインも用意しようかな?」
マスターが言った。
「あら、素敵。じゃあ、おつまみ系のメニューを考えるわね」
ママが嬉しそうに声を弾ませた。きっと、ママはお酒に強いのね。
   キョウヘイとサクラは、夜な夜なやって来ては、閉店後の店内に絵を吊り下げるレールや手製の展示スペースを増設しては、その強度を確認したりしていた。
  サクラは、レーザー光線でも発射しそうな電動ドライバーで、首尾良くアクリルボードと小ぶりの額縁を固定して扉を作り、普段、私達猫の休憩スペースとなっている壁のニッチに器用に取り付けていた。この中にキョウヘイの作品を飾るって、そう言えば前に言ってたわね。
   キョウヘイは、連日重そうな箱を持ち込んでいた。キョウヘイが持ってくる物は私達猫には関係のない器類だってことが分かってきたから、エリックも私もその姿をシレッと横目で一瞥するだけになった。
「この強かキャッツめ。他のお客を迎える時と俺に対する態度の差は一体何なんだ」
とキョウヘイは憎々しげにそう言うけれど、だって、そもそもあなた私達のこと嫌いなんでしょ?嫌いな相手に好かれようなんて、そんな虫の良い話はないわ。…とは言え、私達、別にキョウヘイのこと嫌いなわけじゃないのよ。ただ、おやつをくれたりブラッシングしてくれない相手に無駄なエネルギーを使わないってだけだから、気にしないでね。
「まったく、うちのモカ君とは大違いだ」
(そりゃそうよ。彼はキョウヘイ命なんだから。そんなヒトと比べられたってねぇ)
私はエリックに言った。
(そう言えば、モカ、元気にしてるかな?久しぶりに会いたくなっちゃったな)
気の良いエリックはそう言った。
「そうそう、ヨシエおばちゃん、当日、午前中にモカを連れて来て良いかなぁ?さすがに演奏中は人も多いし難しいと思うんだけど、俺、タケヒサさんに、モカのこと紹介するって、約束しちゃってさ」
「良いわよ」
とママは気さくにそう答えた。
(あら。早速、エリックの気持ちが通じたわね。…ところで、タケヒサさんって、誰だっけ?)
(タケヒサ ウタ、っていうのが、私を度々描きにきてる、あの人の名前らしいわ。この前、ポスター作るからって、キョウヘイがあの人と話してる時にそう言ってた)
と、いつもの定位置からサリナが言った。サリナは、一見関心なさそうに見えて、実は人の話をよく聞いている。
   そう言えば、この頃徐々に元気になってきたマドンナは、あれからも時折店にやって来ては相変わらずレイを可愛がっているけれど、ナカムラ君は、ポスターが完成してからは一度もお店に姿を見せていない。二人の演奏の練習は、大丈夫なのかしら?
    私と同じ心配をママもしていたようで、その事をマドンナに尋ねると
「ええ。彼は仕事の終わる時間が遅くなる事が多くて、閉店時間に間に合わないから、というので、週に一回家に来てもらって練習しているんです。私、実家暮らしなんですが、離れでピアノ教室をやってて、そこは防音にしてあるので」
とおっとりとそう言った。
「そう言えば、ヨシエおばちゃん。店の台拭き、これに変えたのね」
と、サクラは、カオルが家で使ってるのと同じアルコールスプレーを片手に、薄いブルーの布っぽい物で、額縁に穴を開けた後にテーブルに落ちた木くずを拭きながらそう言った。
「ええ、そうなのよ。何だか不思議なんだけど、ケイトちゃんがね…、こんなにお利口なのに、どういうわけだか、いつも私がテーブルに台拭きを置いてると、いつの間にか床に払い落としちゃうのよね。猫は濡れてる物が嫌いなはずだから、オモチャにしてるっていうわけでもないんだろうけど…。」
「へー、この子にしては、不思議な行動ね」
サクラは片手で私の頭を撫でつつ、もう一方の手で持っているアルコールスプレーのボトルを眺めながら言った。
「これに変えてからは、そういうこともなくなってね。…だけど、考えてみたらこっちの方が衛生的だし、今のご時世、色々気をつけなきゃいけないしね」
ママも、そう言いながら私の頭を撫でに来た。
「ケイトちゃんにも、何か思うところがあったのかもね」
(そうよ。ママは察しが良いわね)
そう言いながら私は、いつもより高めの声で
「ナ~ォン」
とママにお返事した。

   そして今日は、二人展の初日。夕方から、ミニコンサートも開催される。
   私は、朝、いつもより少し遅めにカオルと一緒にお店に入った。今日は、カオルも裏方のお手伝いをするんですって。
「バイオリン・ピアノ ミニ演奏会。タケヒサウタとノグチキョウヘイの二人展も同時開催中…か」
入口のドアに貼っているポスターの文字をカオルは声に出して読みながら、キャリーバックの中を覗き込んで
「何だかワクワクするね」
と私に言った。
   軽やかなチャイムとともにドアを開けると、先ず目に入ったのは、正面の壁に掛けられた、実物大のタケヒサウタさんの胸から上の自画像だった。ちょっと斜めのアングルで、目だけを正面に向けていかにも嬉しそうなドヤ顔のその自画像からは、彼女の絵を描くことの喜びがあふれ出ていた。その他にも、割と小ぶりな20点ほどの絵が、バランス良く、店のあちこちに飾られていた。
「わぁ、すごい。…鉛筆、水彩、油彩、色々あるんだ」
キャリーから私を出すと、絵の好きなカオルは、しばらく店内を歩き回って、展示している作品を色々な角度から眺めていた。中にはサリナの絵もあった。その絵は、いつものサリナの定位置の斜め下辺りに飾られていた。
  キョウヘイの作った器も、サクラ手製の展示スペースに良い感じに収まっていた。ニッチの上の面に取り付けられたライトからの温かな灯りに照らされた器達は、まるでその中で会話しているようにそれぞれの個性を主張していて、その器達の前にあるアクリルボードのはまったシンプルな額縁はまるで、始めからしつらえられていたかのように、空間にも器にも馴染んでいた。
「おはようございます。今日は、よろしくお願いします」
と、エプロン姿でカオルに挨拶してきたのは、前に一度会ったことのあるキムラさんだった。
「私、ひょんなご縁でこのお店を知ってから、ママの所属する保護猫ボランティアに入りまして。元々サクラさんの友人なんですが、そこでの活動に参加し始めてから、ものすごく世界が広がって」
キムラさんは、初対面のカオルに気さくに話しかけてきた。
「今住んでるマンションでは猫は飼えないって諦めてたんですが、自分の所で飼えなくても、保護猫達の日々のお世話を手伝ったり、譲渡会の準備をしたり、色々な形で猫に触れ合う事って出来るんだなっていうのは発見でした。それに、そこから人の輪もどんどん広がって行って…」
「そうですよね。私も、この子が家に来てから、すごく色んな人との繋がりが出来たんで、仰ること、とてもよく分かります」
   キムラさんとカオルは、ほんの数分で、すっかり意気投合していた。
「猫好きに悪い人はいないって、この頃私、思うんです」
とキムラさんは言った。
  そうそう、その通り。おやつを沢山くれる人ほどいい人よ。
「そっ、そうなんですね…。あっ。でも、犬好きにもいい人多いかも…」
キムラさんの勢いに圧倒されながらも、カオルは人の良さそうな笑顔を浮かべた。
「カオルさん、いらっしゃい。折角のお休みなのに、朝からお手伝いお願いして、ごめんなさいね」
ママが厨房から、大きなボウルを抱えて現れた。
「いいえ、そんなこと…。いつもケイトがお世話になってるんですから、こんな時くらい、少しでもお役に立てるなら…」
  カオルは早速持ってきたエプロンを着けて、髪を後ろで一つに束ねながら
「随分沢山の卵。ケーキですか?」
と、ママに尋ねた。
「そうなの。今日は、いつものパウンドケーキとはちがうの焼こうと思って…」
ママは、ウキウキとそう答えた。
   カオルとキムラさんは、料理の下ごしらえのために厨房に入っていった。
   この日は、日中店は閉まっていて、人間の忙しさを尻目に、私達猫はいつもと違ってマッタリとした朝を過ごした。
   昼過ぎに、キョウヘイが、モカを連れてやって来た。
(わー、モカ~。久しぶり~)
(元気だった~?)
猫達は、口々にそう言いながら、モカの近くに集まった。
(うん、すこぶる元気だよ。今日は、兄ちゃんの作品展に連れて来てもらえて、僕、すっごく嬉しいよ。皆に会えたのも嬉しいし、僕、兄ちゃんの作品、ちゃんと見せてもらうの初めてなんだ)
(そうなんだ~。良かったね、モカ)
   私達がそんな平和な会話を交わしている所に、二人展のもう一人の作家、タケヒサウタさんが現れた。
「わぁ~。この子がモカ君ね」
   タケヒサウタさんは、しゃがみ込んでモカの喉を撫でた。よく見ると、彼女は、自画像と同じ服を着ている。サリナそっくりの絵をサリナの近くに飾ったり、こういう所、この人秘かに面白キャラなのかもしれない。
   夕方六時からの演奏会に合わせて、店は四時に開店した。
「やっとこの日が来たわね。待ち遠しかったわー」
「本日は、おめでとうございます」
常連のサトウさんとノザワさんが、それぞれ花束と差し入れのワインを携えて開店直後に現れた。
   最終的な買い出しに奔走していたサクラも戻ってきた。
「まあ、ご夫婦で来てくれるなんて…」
と嬉しそうに言うサクラの後ろから店に入って来たのは、前に一度だけ占いにやって来た花柄ワンピースの女性と、その連れの大きな男の人だった。彼女は、今日は白っぽい無地のワンピースを着ている。
「今日は私の誕生日なんで、妹が子ども達の面倒見てくれるってことになって…」
女の人は、前と同じテンションで、有無を言わさず私を抱き上げて私の額に頬ずりしてからそう言った。
   大きな男の人は、サクラや周りの人に礼儀正しく挨拶をしてから
「夫婦でクラシックを聴くなんて、何年ぶりだろう?ねぇ、メイちゃん」
と、静な優しい声で彼女に語りかけた。
(あら、この女の人、私の以前の名前と同じだわ)
オルガが二人の会話を聞いて、嬉しそうにそう言った。
   こうして、徐々に人が集まってきた。だけど、私にはチョッピリ気にる事がある。
「それはそうと、あの二人、ナカムラ君とイズミさん、メインの彼らはどうしたのかしら?」
サクラが、私がさっきからずっと気になっていた事を言葉にした。イズミさんというのは、マドンナの下の名前。そうなのよ、後30分で開演なのに、二人はまだお店に姿を見せないの。
「そうよね…。ちょっと外を見てくるわ」
ママが裏口から出て行った。
  マスターが、太い眉毛の眉間にほんの少し皺を寄せた。
  九月の日暮れは早く、気がつけば、もう外は暗くなりかけていた。 アートスペース猫カフェマリエの初めてのイベントは、この後一体どうなるんだろう?


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