棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

14章

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十四章
   それから何度か、サクラの休みの度に占いコーナーは秘かに開設されたけれど、特に占い希望のお客さんは現れなかった。
(カーティス、どうなってるの?)
とグルーミング中の彼に尋ねても
(そう毎回上手くいくもんでもないさ。あの時は、たまたま好条件が重なってたんだよ)
と、すました顔で答えただけだった。
(それに、そんなに強力な引き寄せパワーがあったら、この世は猫の思い通りになっちまうだろ?そんな事になったら、人間達は俺達猫を畏れて、今みたいな良い関係は保てなくなるだろうしさ)
(そういうものかしら?)
(そうそう。何事も、程良い塩梅ってもんが大切なのよ)
後ろ足で耳を搔きながらそう言って、カーティスは目を細めた。
(程良い塩梅…ねぇ)
店内を見回しながら、彼の言葉を繰り返しつつ、私は
(じゃあ、あの人は?)
と視界に入ったお客さんのことを彼に尋ねた。例のスケッチの女性、あれから頻繁に店にやって来ては、店内をスケッチしてる。テーブルに飾られた花だったり、サリナや他の猫だったり、窓から見える外の景色だったり。これ見よがしじゃなく、静かに本を読んでるように彼女は絵を描くから、特に誰も彼女の存在を気にせず、彼女も最初の緊張感は取れて、リラックスしているのがよく分かる。
(あの人は、新規の常連さん。きっと、今は絵を描くことが楽しくて仕方ないんだと思うよ)
  なる程、人間は楽しくなると程良い塩梅が分からなくなるものなのね。私達猫は、食べたり寝たりする行為は生きることと直結してるから、自然と限度があるけれど、人間の楽しみには限度というのはあまりないのかも。それとも、彼女にとって、絵を描くことは生きることそのもので、あれが、彼女の程良い塩梅なのかしら?
   何気なくそんなことを考えこんでいた私に
(どうしたの?ケイト。そんな難しい顔して)
とオルガが声をかけてきた。
   オルガは、初対面の時には細い体と全身灰色の毛の短さがちょっと異様に思えたけれど、見慣れるとそれはそれで美しいマダム猫。彼女は以前、ルチアーノと一緒に、音楽家の老夫婦の家で暮らしていたらしく、だから、「芸術」というものに関する造詣が深い。
(人間って、不思議だな、と思って。絵を描くことは、ひもじさや苦しさとは全然関係ないはずなのに、あの人は、なぜそれをせずにはいられないんだろう?なぜ、あんなに静かに絵を描くことに没頭しているんだろう?って考えてたの)
  オルガは壁際の飾り棚に、音もなく飛び上がって、スリムな体を優雅に横たえながら私を見つめた。
(ケイト、あなたは面白いことを考える子ね。人がなぜ芸術をするかですって…?)
  オルガは、遠くを見てしばらく考えてから、ゆっくりとこう言った。
(それは、人間の本能だからじゃないかしら?)
(本能?)
   オルガからの意外な答えに、私はちょっとびっくりして、彼女の言葉をただただ繰り返した。
(ええ、それは人の本能。ケイトだって、特にお腹が空いてない時でも、目の前を鼠が走ったら追っかけずにはいられないでしょう?美しい物を観たり聴いたりして心が動いたら、それをその人なりの形で表現せずにはいられない、人間とは、そういう本能を持った生き物なんじゃないかと、私は思うの)
   鼠と絵を描くことを同じ次元で考えて良いのかしら?とちょっと疑問に思ったけど、でも、オルガのその説明は何となく腑に落ちた。要するに、人は芸術をやらずにはいられない、そういう生き物だと言うことね。
(でも、その説明だと、人間にはその本能がある人とない人がいるって事になるわね)
   カオルやサクラの事を思い浮かべながら私はオルガにそう言った。あの二人は、そういうことには無関心に見える。カオルはただただ庭の植物を、サクラはこの店を、自分の好みのスタイルにコントロールしようとしてるだけ。そういう意味では、マスターもママも音楽が好きだし、キョウヘイはコーヒーカップとか作ってるみたいだし、あの二人よりはちょっとその本能が発達してるのかしら?
   私のその考えにオルガはこう言った。
(あら、だけどガーデニングも立派なアートだと私は思うわ。それに、サクラさんのやろうとしていることも、ある種の空間芸術と呼べなくもないんじゃないかしら?要するに、自分の心の中にある美を、何らかの形で表したいという本能は、全てアートだと私は思う)  
(カオルの庭いじりはともかく、サクラのやってることが空間芸術って言うのは、ちょっと苦しいこじつけ感があるんだけど…)
   納得いかない私に
(だけど、サクラさん、何だかんだ言って、休みごとにやって来ては、ディスプレーの棚を作ったり、額を吊り下げるレールを壁に取り付けたり、この画家さんと同じくらい、店の内装アレンジに没頭してるわよ。利益度外視で人を没頭させる、って言うのも、私の中では芸術の定義なのよね)
   そう言えば、老後の生活の足しに始めるって言ってた占いで本気で儲けようという姿勢は、サクラには見られない。確かに、利益度外視ではあるわね。
(オルガは芸術の事がよく分かるのね)
    私が、正直イマイチ分からないものに何となく憧れを抱きながらそう言うと
(それがね。実は、私にもよく分からないのよ)
とオルガはお茶目な顔をしてそう言った。
(そうなの?)
  音楽家の家で暮らしていた彼女にしては意外な答えに、ちょっと拍子抜けした私に
(だって、私は猫だもん。人間が美しいと感じる物を同じように美しいと感じる訳じゃないわ。私だって、オペラよりは猫じゃらしの方が心トキメクし、人間が奇麗だと言う景色を見ても、この茂みの中に何の生き物が潜んでいるのかって事の方が気になるし、そういう感性はイマイチ育ってないのよ。だけど、ある種の音楽を聴いて気持ちいいと感じる事はある)
(ふぅん)
(そう言えば、私の元の飼い主が、弟子にこんな事言ってたわ)
   遠い昔を懐かしむようにグリーンの瞳で遠くを見つめて、オルガは話し始めた。
(『音楽には、作り手と弾き手と聴き手が必要だ。音楽に限らず、全ての芸術において、人間は表現者と鑑賞者とに大別される。一人の人間 が両方兼ねる場合もあるが、一部の例外を除いて、大抵の人間はこの中のどちらかに当てはまる。だけど、ごく希に、このどれにも当てはまらないけれど、極めて芸術的な人というのがいる。それは、その人の存在そのものが芸術なんだ』って)
(存在そのものが芸術…)
(『知性とか教養とかそういう次元の話ではなく、どんなに無知でも、そこにある種の匂い立つような品格を備えた存在感。そういうものを持っている人間に極希に出会うことがある』って)
(へー、それってどんな人なんだろう)
(その人間は、しなやかに強かに、五感の欲求に忠実に生きてる。そして、その姿にこそ根源的な美が宿るのだって、彼は言ってたわ)
(しなやかに強かに、ね)
(それって、まるで猫みたい、って。つまりね、こういうことよ)
オルガは猫背の背中を一旦伸ばしてキチンと座り直してから、こう言った
(つまり、私達猫は、存在そのものがアートだと言うことよ)
   私達猫の、存在そのものがアート。へ?何それ?って感じでキョトンとしている私に、通りすがりのカーティスが
(どうした?かわいこちゃん。大きな目をパチクリさせて)
とからかってきた。
(いいえ、何でもないわ)
  窓の外を飛ぶ小鳥を目で追いながら、美味しそうだなと思いつつ、私は気のない返事を返した。
   そうよ、私は猫なのよ。存在自体が芸術なのよ。そう思ったら、いつもより一段と心が晴れやかになって、私は思いきり軽やかに床を蹴ってテーブルを一足で飛び越えて、その奥のカウンターに音もなく着地した。
  (キマッた)
  (おっ?ケイト、やるね)
  それを見ていたルチアーノが、すかさずテーブルの下を猛ダッシュで駆け抜け、カウンター下の空き箱に滑り込んだ。すると、サリナも珍しく私達の動きに便乗して、3か所の壁のニッチを足場にして一気に定位置の明かり取りの窓に滑り込んだ。
「あらあら、猫ちゃん達、今日はいつになく元気が良いわね」
    常連のサトウさんがそう言った。
「まあ、ステキ」
デッサンしていた彼女も、筆を止めて私達の動きを真剣な眼差しで見つめた。
「この俊敏さと躍動感。猫って何て美しいの」
彼女はうっとりとそう言った。
   他のお客さん達も、ママもマスターも、そこにいた一同は、無言でその言葉に頷いた。
   そう、私達猫は皆、存在そのものが美しい。 

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