棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

15章


人気ブログランキング

 

 

 

十五章
   こんな平和な猫カフェギャラリー マリエに、そいつは突然やって来た。
   その日、いつもは閉店前にふらっと立ち寄るはずのキョウヘイが、昼過ぎに息を切らせて店に駆け込んできた。
「叔父貴、悪りぃ。俺のたってのお願いを聞いてもらえないかな?」
   マスターの差し出したグラスの水を一気に飲み干すと、キョウヘイは上がった息でそう言った。
「今度は何だ、キョウヘイ。大体お前のお願いは、いつもビックリする事ばっかりだ。前は、急に海外で格闘技の修行をしたいから親を説得してくれ、だったし、その前は、当時結成してたバンドのメンバーと揉めてギターが辞めたから、急遽ライブに出演してくれ、だったり…」
「ああ、それ…、その節はどうも…。叔父貴のお陰でいつもどうにかなって、ホント感謝してるよ」
「ああ、そうだろうよ。俺、もうあんな事二度とやらないからな。…で、今度は何だ」
「今回は、この子をさ…」
そう言って、キョウヘイが、そっと店のドアを開けると、その隙間から現れたのは、何と

   犬、だった。

「おい、お前、ここがどこか分かってるよな?」
「ああ十分分かってるよ。だからお願いしてるんだ。俺の愛犬モカ君は、それはそれは賢くて性格の良いワンコだから、この店の猫達に脅威を与える事なんて絶対ないと俺は確信してる」
「は?俺にその犬をどうしろって?」
「今、親父とおふくろが旅行中でさ。今週一杯俺は一人暮らしなんだけど、俺の陶芸の師匠の同業者が急に倒れちまって。そこは弟子が一人しかいないんだ。俺しか助っ人がいなくて、これから急遽窯の火入れの手伝いをしないといけなくなったんだ」
  キョウヘイの話では、陶芸家は、一度窯に火を入れたら最低三日間は交替で窯の番をしなければならなくて、その間は家にも帰れないし、食事や睡眠時間も思うように取れないのだとか。こんなチャラチャラした人が、そんなストイックなことができるなんて信じられないけど、とにかくこれから彼はそれをしに車で一時間以上かかる場所に行くんだって。で、家を空ける三日間、この犬をマスター達に預かって欲しいと言うの。
   私達は、にわかに殺気立った。
(ちょっと、待ってよ。嘘でしょ?)
(あれ、本物の犬だよな?)
(キョウヘイ、一体何考えてるんだ。ここは俺達の縄張りだぞ)
   ジャニスとカーティスとレイが口々に言った。
(何か大きくて怖そうだなぁ)
(しっ!こっち見たわよ。私達の言葉、通じてるわ)
エリックの言葉をサリナが遮った。
(ここは、これからどうなるんだろう?)
不安そうにルチアーノが呟いた。
「今まで俺がどんなに忙しい時でも、家には必ず誰かいたから、この子を一人にする事はなかったんだけど、こんな急なことは始めてで、俺も正直すごく心苦しいんだ。だけど、師匠からの頼みを断る訳にはいかないし。ペットホテルってうのも考えたんだけど、知らない人間に大事なこの子を預けるのは何だかしのびなくて」
(だからって、何も猫カフェに預けることもないでしょうに…)
呆れたようにオルガが言った。
   キョウヘイの後ろからドアの隙間に現れたその犬は、私達の三倍以上ある大きな体で、白地に茶色と黒のまだら模様の入った短毛で、耳を立ててキチンとキョウヘイの後ろに座っていた。首に赤い首輪を付けられ、そこからキョウヘイの手に持った同じ色の紐でつながれていた。
  ほどなく、キョウヘイの声を聞いたママが、店の奥から現れた。
「あら、かわいいワンちゃんね。この子がキョウ君ちのモカ君?賢そうねぇ」
ママは、そう言って犬に近づくと、優しくその喉元に触れた。犬は、尻尾を振ってママの手を舐めた。
「まぁ、良い子ねぇ。この子、優しい目をしてるわ。急にここに連れて来るなんて、どうしたの?」
   さっきと同じ説明をキョウヘイから聞いたママは
「そういう事なら仕方ないわね。この子がキョウ君の家族なんだったら、私達にとっても家族と同じようなものだもんね」
と言いながら、マスターの方をチラリと見た。
「まあ、それはそうだけど…。ここ、…ほら、猫カフェ、だろ?」
たじろぐマスターに
「猫も犬も同じようなもんよ」
とニコニコしながらママは言った。

( ちょっと、ママ。そんな雑なヤツと私達上品な種族を一緒にしないでよ!)
   私の心の叫びはママに届くはずもなく、何かを決断した時のママの静かなエネルギーにはマスターは決して逆らえず、こうしてこの犬はこの店でしばらく預かることになったのだった。

   それからの数時間、皆は一言も話さなかった。この場合の皆とは、私達八匹の猫と、この犬のこと。皆、テレパシーを出さずに自分の頭の中で、それぞれ悶々と考えていた。
   だって、そんなの聞いてないし。そもそもここは猫カフェだし。自称猫嫌いのキョウヘイはまだしも、何だって猫の天敵の犬をここに連れて来るわけ?あの男、何考えてるのかしら?デリカシーが無いにも程があるわよ。だって、怖いじゃないの。こんなにデカいし、ハアハアいってるし。アイツ、そんなだからいつまで経っても結婚できないのよ。それに、ママもママよ。猫がいるのに犬を預かるなんて。そんなの、うまくやっていけるわけないじゃない?そりゃ、たまに、一緒に暮らしてる犬猫の動画とかYouTubeで観たりすることもあるけど、あれは例外よ。きっと、それまでの地道な積み重ねってものがあるのよ。なのに、そんな急に…、私達にどうしろって言うのよ。…こんな、犬を…。
  私の心の声は誰にも聞こえてはいないはず。だけど、さっきから、その犬がずっとこっちを見てるのよね。店の片隅で、紐を付けられたままだから、急に襲いかかったりできないのは分かってるけど。…でも、…やっぱり私、犬は苦手よ。だって、私、猫なんですもの。
(とにかく、これから三日間、このメンバーでやっていかなくちゃいけないってことだよな)
しばらくしてレイが、重々しい口調で冷静に言った。
(ケイトは昼間だけだからな。夜は俺達だけになるよ)
カーティスがちょっと緊張した雰囲気で言った。
   その後、また長い沈黙。
   その犬は、全く姿勢を崩さずに、まるで犬の置物のようにそこにジーッと座っていた。
  それにしても、この犬、どんなつもりでこの店にいるのかしら。まあ、犬は猫と違ってそんなに空気読めないだろうから、きっとここが猫カフェだってことも分かってないんじゃないかしら?分かってたらいられないわよね、申し訳なくって。私だったら無理よ、絶対無理だわ。
(あっ、あのさぁ…)
  不意に、エリックがか細い声で私に話しかけてきた。
(なぁに、エリック)
(ホントはもう少し早く言った方が良かったんだと思うんだけど…僕、タイミングが分かんなくって…)
(えっ?何のこと?)
(皆も何にも言わないし、僕が気にし過ぎなのかな?とか思ってて、言うのが遅くなっちゃったんだけどね…)
(だから、何よ。すごく気になる言い方ねぇ)
エリックの歯切れの悪い物言いに、私は若干イラッとしなが
(どうしたの。ハッキリ言ってよ)
と彼に詰め寄った。
(あのね。ケイトって、心の声、わりと大きい方なんだよね…。テレパシーじゃあないんだけど…、さっきから、ケイトの考えてること、僕には全部伝わってるんだよね)
(え!うそ?)
私、ビックリしてちょっぴり跳び上がっちゃった。
   まさかと思いながら周りを見回すと、皆、一瞬私の方を見て、気まずそうに目を逸らした。
  え?それって?皆にも聞こえてたってこと?…ってことは、つまり…。
  恐る恐る犬の方を見たら、またしても目が合ってしまった。嫌だ、すごく気まずいわ。もしかして、あいつにも聞こえてたってこと?マズいわね。私どうなっちゃうのかしら…?

(僕のことはともかく、兄ちゃんのことをそんな風に言われるのは、すごく心外だ)
  唐突に犬が話し始めたから、私、ビックリし過ぎて、もう少しでオシッコ漏らしそうになったわ。だけど、この犬、案外子どもっぽい喋り方。
この犬の言う兄ちゃんって言うのは、つまりキョウヘイのこと?
(兄ちゃんは、女の子にすごくモテるんだぞ。結婚してないのは、出来ないからじゃなくて、タイミングが合わなかっただけなんだ)
  え?そこ…?この犬…何か変。
(あなたに何でそんなことが分かるのよ?)
  ビックリの余韻が冷めきらず、私も何だかピントのずれた質問を返しちゃった。
(今まで、何人もの女の子を家に連れて来て、僕に会わせてくれたもん。綺麗な子ばっかりだったし、その子達は、皆、兄ちゃんにぞっこんだったんだぞ)
(そんなこと、どうでもいいわ。キョウヘイが女にモテようがモテまいが、そんなの私には関係ないもん)
(それに、兄ちゃんは僕にものすごーく優しいんだ。僕のいる部屋の温度とかいつも気にしてくれるし、デリカシーがないなんて、とんでもない誤解だよ!)
   この犬、さっきからずーっとキョウヘイのことかばってる。これが犬ってものなの?不可解だわ。
(だけど、犬のあなたを、こんな猫ばっかりの店に預けるなんて、どう考えてもおかしいじゃない?)
(それは、仕方ないことなんだ。だって、兄ちゃんの師匠の頼みなら兄ちゃんは断れないのが当たり前だし、兄ちゃんが困ってる時には、僕も我慢しなくっちゃいけない。そんなの当然のことだろ?)
(何で、師匠の知り合いのことで、弟子の犬が我慢しなきゃいけないの?)
(兄ちゃんは師匠から信頼されて、大役を任された。その兄ちゃんから信頼されてるから、僕は兄ちゃんの期待に応えなきゃいけない。兄ちゃんが迎えに来てくれるまでは、お前達にどう思われようが、僕はここで良い子で待ってないといけないんだ)
   この犬の言ってることが不思議すぎて、私はしばらく首を傾げたまま言葉が出てこなかった。そもそも、その「信頼」と「期待」って何?師匠がキヨウヘイに知り合いの手伝いを頼むのが「信頼」で、この犬が猫カフェで大人しくキョウヘイを待つことが「期待」に応えることなの?そもそも、私なんてカオルに信頼されてないから家でお留守番させてもらえないんだもん。この犬だって、信頼されてたら一人で家に置いてもらえるはずじゃないかしら?
(僕と兄ちゃんとの関係は、そんな低次元な事とは訳が違うんだ)
  あら、やだ。また心の声を漏らしてしまったわ。私としたことが…。
(あのさぁ、そもそも、何であなたはそんなにキョウヘイのことが好きなの?)
   さっきから気になってたことを、この際だから思いきって、私はこの犬に聞いてみた。
(何でそんなこと聞くんだ?じゃあ、お前はどうなんだ?ご主人様のこと、好きじゃないのか?)
   その犬は、私がそいつを見る目とと同じように不思議そうに私を見てそう言った。
(え?ご主人様?誰、それ?…もしかして、同居人のカオルのこと?)
(お前は、よくもそんな失礼な口がきけたもんだな。ご主人様のことを同居人だなんて。しかもカオルって、呼び捨てか?)
(ええ。だって、カオルは私に自分のこと『ママ』とか『お姉ちゃん』とか言わないし。他に呼びようがないじゃない)
(それにしたって、同居人はないだろ?お前のこと救ってくれた命の恩人だろうに)
(命の恩人だなんて、そんな大袈裟な…。まあ、確かに助かってはいるけど、別に、私はカオルがいなくたって生きていけない訳じゃないもの。食べ物と安全な居場所の確保が今より大変なだけで…)
   私のその言葉を聞くと、犬は呆れたように首を振った。
(なんてことだ。嘆かわしい。兄ちゃんが猫のこと嫌ってるのがよく分かったよ。お前達猫には…いや、これはお前だけなのかもしれないが…そもそも『恩』ってものが分からないのか?)
(オンって、機械のスイッチを押すこと?)
(もういい!話にならない!)
   たまにマスターが使うオヤジギャグを真似したら、この犬を完全に怒らせてしまったわ。
   これ以上この犬のことを考えても、私の心の声は奴には筒抜けみたいだし、余計なトラブルの元だからやめておこう。あー、早くカオル迎えに来てくれないかなぁ。今日はいつも以上にお腹が空いたし…。そう言えば、カオル、そろそろ私のウエットフードが無くなるとか言ってたけど、忘れずに買い足してくれてるのかしら?今のチキンフレークより前のお魚ミックスの方が私の好みだってこと、あの人、分かってるのかなぁ?またチキン買ってたら、ちょっと嫌だなぁ。今度もチキンだったら、ちょっと残してみようかなぁ。…でも、それはあまりにも勿体ないしなぁ…。まあ、私の食いつきの良さで、そこは判断して欲しいわね。カオルなら、きっとそのくらい分かってくれてるわよね。…あっ、そっか。これが、さっき犬が言ってた「信頼」ってことかしら?
(違う。そんなんじゃない!)
   私の心の声に、またしても犬が突っ込んできた。もぅ、鬱陶しいわねぇ。
(信頼って言うのは、この人の為なら命を捨てても良いっていう覚悟のことだ)
(ゲッ!重っ)
咄嗟に出た私の反応に、犬はまたムッとしたが、諦めたようにこう言った。
(猫に分からせようと言うのがどだい無理なんだろうけど、僕は、本当に兄ちゃんのためなら死んでもいいと思ってるんだ。だって、兄ちゃんがいなかったら、本当に僕は死んでたんだ。前の飼い主に捨てられて保健所で殺処分される直前に兄ちゃんが僕のこと見つけて、今の家に連れて帰ってくれたから、僕は今、生きてられるんだ)
(へー、そんなことがあったの)
キョウヘイ、案外良いヤツなのね。
   だけど、犬って本当に不思議な生き物。私だったら、命拾いしたのは私の運が良かったからだと思うけど、犬の場合は、拾ってくれた人間に感謝して、その人に命を捧げようと思うのね。折角助かった命なんだから、もっと大事にすれば良いのに…。あっ、ヤバい、またにらまれた。
   そうこうしていると、やっとカオルが迎えに来た。
(カオルー、今日は遅かったじゃないのー。お腹空いた~。早く帰ろ~)
   犬の羨ましそうな視線を一身に浴びながら、私はキャリーバッグの中に滑り込んだ。
(じゃあね~、皆、また明日~)
(ケイト、お疲れさま)
(また明日ね)
  皆、今日はさすがに元気がないけど、そりゃそうよね。あの犬と夜もずっと一緒なんだもん。
   私がカオルに連れられて店を出た直後、他所の家から犬の遠吠えが聞こえた。
「ワオーン!、ワオーン!」
その声につられて、マリエの店内からも
「アオ~~~ン」
と高く一声、キヨウヘイの愛犬モカの切ない遠吠えが聞こえてきた。その声は商店街のアーケードにこだまして、すぐに消えていった。
   皆、今夜はどうやって過ごすんだろう?犬と一緒に夜を越すのは大変そうね。
    キャリーバッグの中で、カオルのフワフワした足取りに揺られながら、今日も私はお家に帰る。
  私はあの犬と違って、カオルのために捧げる命なんて爪の先ほども持ち合わせてはいないけど、それでも結構カオルのこと好きよ。だってカオルは、美味しいご飯をくれるから。今日のウエットフードがお魚ミックスだったら、きっともっとカオルのこと好きになるわ。
   さっきの犬には悪いけど、猫ってこういう生き物なのよ。ごめんなさいね、悪しからず。


f:id:kanakonoheya:20220327212809j:image