棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

16章


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16章
  

 その日の夜はぐっすり眠って、次の日の朝、犬のことを思い出して奴のことをちょっぴり気にしながら私がマリエに着いたら、状況は昨日とは様変わりしていた。
  犬は私に尻尾を振りながら
(おはよう、ケイト。今日も一日よろしくね~)
と挨拶してきたから、私、ホントにビックリして、その場に座り込んでしばらく動けなくなったわ。
(これは一体、どういうことなの?)
  何か物言いたげな目を私に向けているエリックに聞いたら、彼はこんなことを教えてくれた。
(昨日、あの後、不思議なことが起こったんだ。ケイトがカオルさんに連れて帰ってもらったのを見たら、犬が…彼の名前モカね、…モカがホームシックになってメソメソ泣き出しちゃってさ)
(まあ、情けない)
(で、しょうがないから皆で慰めてさ。でも、彼は犬だからね。妙なプライドが捨てられないみたいで、僕達のこと頑なに拒んでたの)
(何それっ?超めんどくさっ!)
(でね、そこに、…ここからは僕もビックリだったんだけど、ジャニスがね、…あの子、小さい頃に兄妹達から取り残されて一人ぼっちだった経験があるじゃない?そのせいなのかどうかわからないけど…、勇敢にモカに近づいてね、あの長い尻尾をゆっくり振りながら『大丈夫、私達友達よ』って言ったの)
(えっ?あのジャニスが…?)
   すごく意外だったけど、子ども頃の辛かった思い出、そういえば最初の頃に聞いた事あったわね。自分も淋しかったから、犬の心細さが分かったってわけか…。 
   エリックは話を続けた。
(しばらくモカはビックリしてジャニスのことを見てた。ジャニスは、何度も同じように『私達は友達よ』って、尻尾を振りながら言い続けたんだ。そしたら、しばらくしてモカが『そうだ、僕達友達なんだ』って言い出したんだよ)
(はっ?それだけ…?)
(そう、それだけ)
(その、おめでたい展開は、何?)
   あまりの単純さに私は拍子抜けしてしまった。
(それがね、これは僕の憶測なんだけど、ジャニスの尻尾には催眠効果があるんじゃないのかと思うんだ。彼女の尻尾の先の黒い模様、あれを見ながら目線を左右に動かすことで、モカは催眠術にかかったんじゃないかって)
(えっ?そんなことって、アリ?)
  私は、猫の尻尾でそんなことが出来るなんて話は初耳だった。
(きっと、ジャニスは無意識のうちにそれをやってたと思うんだ。多分、ケイトが知らず知らず人の夢の中に入ってヒーリングしてたみたいに)
(彼女はさしずめ、ヒプノセラピーキャットってところだな)
  私の 後ろにいつの間にかいたルチアーノが話に加わってきた。
(何、そのヒプノ…。ルチアーノ、あなたもそういうことに詳しいのね)
   ここにいる猫達の意外な知識の引き出しの多さにちょっと驚きながら私が振り返ると、ルチアーノは黒くて毛の長いフワフワの身体をシャンと立てて、こんな話をしてくれた。
(僕とオルガの前の飼い主は音楽家夫婦だったんだけど、その奧さんの方が音楽療法家で、その延長で色んな心理療法を学んでて、催眠療法なんかも時々家でやってたんだよね)
(へー、それってどんなものなの?)
(クライエントを椅子に座らせて、目の前で振り子みたいなものを振りながら、その人に暗示をかけるの)
ルチアーノはフサフサの尻尾を振りながらそう言った。
(例えば、これから大きなピアノリサイタルを控えて緊張で手の震えるが止まらないというクライエントに対して『踊るように滑らかに指が動く』という暗示をかけるの。この言葉の選び方と声のトーンと間合いにコツがいるんだけど、上手く暗示にかかると、クライエントはすっかり緊張がほぐれて、スイスイピアノが弾けるようになるんだ)
(へー、そうなんだ)
   それって、左右に動くものを見ながら言葉を唱えるとその通りになっちゃうってこと?
(それって、私にもかかるのかしら…)
  興味本位でジャニスにお願いしてみた。
(ねぇねぇ、ジャニス。私にも催眠術かけて)
(そんなの、たまたまああなっただで、私にもよく分かんないわよ)
  ジャニスはまだ自分の力に半信半疑だ。
(ルチアーノの話によると、あなたの尻尾を見ながら何か簡単な言葉を繰り返した唱えるとそうなるらしいけど…。いいわ、言葉は私が考えるから、ジャニスは尻尾を振ってみて)
(え?…こっ、こう?)
  ゆらゆらと白くて先だけが黒い尻尾をジャニスは規則正しく左右に振った。これを見ながら
…えーっと、何て暗示をかけようかな?
(すぐにお腹がいっぱいになる)
とりあえず、こんなのどうかしら?
(すぐにお腹がいっぱいになる、すぐにお腹がいっぱいになる、すぐにお腹がいっぱいになる…)
こんなんで良いのかしら?
(すぐにお腹が…)
  ジャニスの尻尾を見ながらこんな言葉を繰り返し唱えてみたけど、何がどう変わったというわけでもなかった。
(こんなの、関係なさそうね…)
  私って、目新しいものに飛びついても、すぐに飽きちゃう質なのよね。まあ、いいわ。何はともあれ、犬は急に扱いやすくなったし、これなら後二日間、何とかやっていけそうだわ。
  
  その日も朝から何人かの常連さん達が来た。モカは、店の隅っこで大人しく寝そべって、私達に犬ならではの視点で人間との付き合い方について話してくれた。
(人間は、僕達犬にとって二種類に分かれるんだ。それは、尊敬に値する人物かそうでないか、という基準で)
(尊敬?)
   私がショウ君を思う気持ちと同じだわ。要するに、『すごい』と『好き』の合わさった感情ね。でも、二種類に分かれるんだったら、犬は半分くらいの人間を尊敬してるってことかしら?
   モカ曰く
(その逆で、大半の人間を僕達犬は尊敬できない。だって、もともと別の種族だからね。ただ、犬は長い年月をかけて、尊敬できるリーダーと暮らすことが至上の喜びと感じるように進化してきたんだ)
(へー)
  私達八匹の猫達は、初めて聞く犬の話に、一堂同じ反応を返した。
(僕達は、尊敬できるリーダー、つまりご主人様に誉めてもらうことが、一番の幸せなんだ。で、ご主人様の大事にしてる人のことは、出来る範囲で大事にしようと思うんだ)
(ほー)
   猫達は皆、感心と不思議のまじった反応を続けた。
(例え小さい子どもでも、ご主人様が大事にしている子どもだったら、僕もその子を大事に思うし、ご主人様やその子を命がけで守らなきゃって思うんだ)
(ふーん)
  なんて返事していいのが分からないのは、猫は皆同じみたい。
(それとは逆に、ご主人様が大事と思っていない相手は、基本、僕達にとっては敵なんだ。最近は、品種改良によって、誰にでも尻尾を振って甘える愛玩犬が増えたけど、本質的には犬にとっての人間は、ご主人様とその周辺以外は敵だと思ってくれて差し障りないよ)
(なるほどね)
  皆を代表して私は頷いた。
(ただね、難しいのは、ご主人様の面子ってものがあってね)
(メンツ?)
  それは始めてのワードだわ。
(その人と仲良くしたいわけじゃないけど、体裁上上手く付き合わなきゃいけない相手との関わりっていうのが、僕達犬には難しい所なんだよね)
(ごめんなさい、何のことを言ってるのか、全く理解できないわ)
   モカは、仕方ないなという顔をして、別の言い方で説明を続けた。
(例えば、兄ちゃんと一緒の散歩中に、ある人と出会ったとするじゃない?兄ちゃんは、本当はその人のことあんまり好きじゃないんだけど、立場上、ちょっとは相手に合わせて笑顔を作らなきゃいけないって場合、僕は兄ちゃんの本心をくんで相手を警戒しつつも、どの程度その人に心を開いたフリをすべきか…。この匙加減がなかなか難しいんだよね)
   私は言葉を失った。犬ってすごいのね。ビックリし過ぎて、ちょっと尊敬しちゃうかも。
(心を開くフリと言っても、あくまでも兄ちゃんの立場を考えてのことだから、やり過ぎは良くないし、かと言って、無愛想にしてたら、益々兄ちゃんの立場が悪くなってもいけないし。その人が犬好きで僕に触りたがってるけど、兄ちゃんは内心触らせたくない、でも断るのは立場上マズい、みたいな時、僕は嫌々その人に撫でられるべきか、それとも素直に吠えても良いのか、みたいな…)
(…そんな時、いつもはどうするの?)
   何とか言葉を見つけて、私はモカにそう聞いてみた。
(それはケースバイケースだけど、…大抵は兄ちゃんの本音に従って吠えることが多いかな。そんな時、兄ちゃんは『こら、モカ!』って一応僕のこと叱るけど、内心まんざらでもなさそうだしね。そこで僕が撫でられてあげちゃうと、兄ちゃんは嫌な相手と余計に長く一緒にいなきゃいけなくなるからね。叱られてでも兄ちゃんの気持ちを尊重できれば、僕としては本望なんだ)
(……)
   もう何て言って良いのかわからないわ。とにかく、犬と猫って、こんなにも分かりあえない種属なのね。だけど、ここまで分からないと、それはそれでかえって清々しいわ。だって、そのつもりでいれば良いんだもの。犬と猫はこうまで違う。こんなに違って、だけとそれってどうでも良い。私達みたいに、それぞれ全然違って分かりあえないってことを前提に生きていけば、人間同士ももっと仲良くなれるのかもしれないのにね。
   こうして、キヨウヘイの愛犬モカと私達八匹の猫との不思議な友情は深まっていった。モカは、犬だけど私達のことを友達と認めてからはすごく優しくなったから、私達もモカに優しくしてあげた。高いところから見た景色がどんな風なのか、モカはとても知りたがったし、逆に、私達猫も、モカに色んな質問をしたわ。
(人間から信頼を得て、自由に外に出られるようになるにはどうするのが一番手っ取り早いんだろうか?)
   レイは、真剣な目でモカにこう質問した。
(それは、とにかく逃げ出さない事、それに尽きるよ)
   モカも真剣にそう答えた。
(そうだ、今日の夕方、マスターが僕を散歩に連れ出す時、君も一緒に玄関の傍まで来ると良いよ。で、開いたドアの前でじっと僕を見送るんだ。僕はわざと入り口付近でモタついてみるから、マスターはドアを開けたままになるはずだけど、その時、慌てて外に出ようとしないこと。そして、最終日、ここを僕が出て行く時に、君もちょっとだけ外に出てみると良い。だけど、その時も決して慌てないこと。ちょっとだけ出て、すぐに中に入るんだ。それを繰り返すんだよ。最初は一メートルだけ、それが三メートルになり五メートルになり段々離れていって、そのうち当たり前に外に出て帰ってくるようになるんだ)
(そうか…、だけど随分気長な話だな)
(とにかく無事に帰ってくるってことを、人間に分かってもらうことだよ。僕も、たまに兄ちゃんの車で人気のない海とか山に連れて行ってもらった時、自由に外を走り回るけど、兄ちゃんに呼ばれたら、何をしてても走って帰るようにしてる。そこさえ分かってもらえれば、君達は僕以上に自由になれるはずだよ)
   モカは、犬の視点で、人間との上手な付き合い方を私達に教えてくれたわ。私からした当たり前のことだけど、他の猫には難しいと感じられたことを犬目線で教わるのは、外に出たいと常々思っているレイやカーティスには凄く参考になったみたい。
   そうして、モカが来てから二日目の営業が終わろうとする頃、珍しく遅い時間にやって来たノザワさんが私に向かってこう言った。
「おや?ケイトちゃん。今日はお腹の具合でも悪いのかな?いつものおやつのおねだりを、今日は全然しないんだね…」
   心配そうに私の顔を覗き込むノザワさんの様子に
「そう言えば、ケイトちゃん、今日は一回もオヤツをおねだりしてないわね…」
と、ママも不思議そうに言った。
    そう言われればそうね。私も全然意識してなかったけど、そう言えば、いつものようにこ時間になってもあんまりお腹が空かないわ。…これってもしかして…。
(ジャニスの催眠術の効果は絶大だね)
   ルチアーノが楽しそうに言った。
(ホントね。今まで自分では解んなかったわ)
   そう言いながら、私は複雑な気持ちになった。よくよく考えれば、私は食べること自体が好きなのよ。なのにすぐにお腹が一杯になっちゃったら、楽しみが半減しちゃうじゃない?これはマズいわ。
(やだー、お腹が空かなくなっちゃった。もっと食べたいのにー)
   自分でも変なことやってるのは解ってるけど、他に方法が思いつかないから、私は改めてジャニスに尻尾を振ってもらいながら
(段々お腹がすいてくる…)
と、朝とは逆の自己暗示をかけた。
   そして、その直後、迎えに来たカオルのキャリーバッグの中で、その効果を体感した。
(カオル、カオル、お腹空いた~。早く帰ってごはんちょうだい!)
「はいはい、ケイト、ちょっと待ってね」
(早く、早く!お腹空いたよ~!)
   いつも以上の空腹を抱えて、今日も私はお家に帰る。今日のごはんはお魚ミックス。後で、カオルのおかずもおねだりしてみよう。だって、この人、今日はスーパーでお刺身買ってるんだもん。キャリーバッグと反対の手に持ってるエコバッグの中身、私には全部お見通しよ。
  ソファーの上でちんまりお座りして待ってると、カオルはちょっとだけお刺身をくれるの。
「ケイト、お座り!」
私がちょっと姿勢を正して座り直すと
「まあ、あなた賢いわねぇ」
って私に言うけど、これは私のいつもの座り方よ。
   猫が犬のように振る舞うと、人間はとっても嬉しいみたい。…ってことは、人間は犬の性格の方が好きなのかしら?だけど、それでも猫と暮らすってことは、私達猫のことが余程かわいいのね。
「ケイト~、かわいい~」
   そう言いながら私の額におでこを擦り付けるカオル、あなたのそのバカッぷりも、それはそれで結構かわいいわよ。


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