棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

5章

 5章
   猫カフェ マリエへの出勤初日、私の入れられたキャリーケースは、たちまち5匹の猫達に取り囲まれた。皆は、口々に言いたいことを言う。
(働くって、どういう意味?私達、ここに居るのはここが私達の家だからよ。そりゃ、人間達は飲み物や食べ物を売って働いてはいるけど、そこで猫が働くなんて、何言ってるのか意味が分からない)
右目のまわりと鼻の半分と腰から下に模様のある白黒がシラケたように言った。
(そもそも、その人間的な発想。俺にはついて行けないね)
左後ろ足だけ黒いソックス模様の白が吐き捨てるように言った。
(確かに、僕たち目当てにお客さんが来てることは分かってるけど)
太った茶トラはやんわりとした口調で怠そうに言った。
  この猫達、分かってないわね。でも、私、新入りだし、ここは穏やかに、でも、毅然として…。
(働くって言うのは、お店に来たお客さんに楽しんでもらって気持ち良くなって帰ってもらうことです。足元に擦り寄って愛想振りまいて、膝に乗ってゴロゴロ言って…)
(あんた、そうやって人間に媚びてまで、おやつが欲しいの?)
サビコにそっくりのブチが、サビコみたいなことを言ってきたので、私、だんだんイライラしてきちゃった。
(ええ、欲しいわ、おやつ。でも、それだけじゃないわ)
(どういうことだ?)
と黒に近いキジトラが聞いた。
(お客さんが来なくなったら、私達どうなると思う?)
この際、思い切ってタメ口で聞いてみた。
(別に。おやつが貰えないだけ。でも、餌はあるし、無闇に声かけられたりじっと見られるストレスから解放されて、せいせいするかも)
と白黒。
(なに?それだけ?分かってないわね)
今度はわざと挑発的に言ってみた。
(何だ。お前、何が言いたいんだ?)
すかさずキジトラが食いついてきた。ヨシヨシ、そう来なくっちゃ。
(お客さんが来ないって事は、店の経営が成り立たなくなるってこと。そしたら、マスターもママも、生活に困るでしょ?)
(そんなこと、俺たちには関係ないさ)
とのんきな片足ソックスの白。
(そうよ。それに、どんなに生活に困っても、あの人達、私達のこと捨てたりしないわ。だって、私達の食べる量なんて、人間の食事の量に比べたら、たかが知れるてもん。ここにはいつだって食べ物が一杯あるし、第一あの人達私達のこと好きだし)
と白黒。
ああ、だめね。良いわ、この際、思い切って言っちゃえ。

(その、中途半端な態度が気に入らないんだよ!)
一瞬、その場の空気が凍った。
(あんた達ねぇ、何、甘えたこと言ってんのよ。はぁ?食べ物は貰うけど、媚びは売らないって?そういうのが一番卑しいんだよ。人間に媚びたくないなら、本気で野良に戻れって言うのよ。あたしだって、ちょっと前まで野良やってたけど、一旦家猫を経験したら、野良をやるのは、そりゃ、辛いよー)
私の豹変ぶりに、五匹は驚いて固まった。
(あんた達、腐ったトカゲ、食べたことある?マズいのなんのって、ちょっと言葉にならないわよ。しかも、食べた後、3日くらいお腹下すしさ。でも、そんな物でも食べなきゃ生きてけない時もあるのよ。今のあんた達が、そんな生活に戻れるの?)
私、一度キレたらどんどんヒートアップする質なの。
(それに、猫と暮らすのにかかるのは食事代だけじゃないのよ。トイレの砂だってこれだけ大所帯だと結構な額になるし、蚤取りの薬だの、ワクチンだの、色々あるの。猫は、保険がきかないから医療費だってバカにならないの。それに、猫のための冷暖房費だって相当かかるのよ)
カオルが家計簿付けながらため息ついてるの聞いて、人間の経済事情、私も少しは知ってるの。
(いい?ここに居る猫は皆そうだと
思うけど、私達、もう人間によって去勢されてるの。タマも子宮ももうないのよ。そりゃ、親に成りたかった子もいるだろうけど、私達、もう野生には戻れないのよ)
(私は、大好きなお母さんや兄妹達と3ヶ月で離ればなれにされたわ)
とブチ。
(俺は5歳まで外にいたけど、罠で捕獲されたんだ)
とキジトラ。
(大体、皆そんなもんよ。自分の意志で野良から家猫になるなんて、まずないもの。だからって、皆はそれで人間を恨んでるわけ?)
(別に、今更恨んでる訳じゃないよ。僕たちに関わってくる人間は、それなりに良くしてくれるし)
太った茶トラはおっとりしてる。
(私は…、次々に兄妹達が貰われて行くのを見てるのが辛かった。皆、すぐに新しい飼い主が見つかって『可愛い、可愛い』って喜ばれながら。譲渡会に何度行っても、皆が私の前を素通りしていくの。あんたに分かる?この気持ち)
あれ?この白黒、何だか話を違う方向に持って行くわね。まあ、良いわ、しばらく喋らせてやろう。
(どんな気持ちだったの?)
(どうせ、私は可愛くないわよ。この、鼻の上に微妙にかかった輪っか模様がなかったら、私だって他の兄妹達と同じように選ばれる事ができたのに)
(なに?あなた、自分の容姿を卑下してるの?)
(そりゃ。あんたは良いわよ。悔しいけど 、そん なに可愛く生まれついたら、皆から褒められて、優しくされて。どうせ、あんたなんかに私の気持ち、分かるわけない)
あま、確かに。
(ねえ、あなた。良いこと教えてあげようか?)
今度はちょっと優しい声で、私は今にも泣き出しそうな白黒に言った。
(ブサカワって言葉、あなた知ってる?)
(ブサカワ?)
白黒がすがるような目で私を見つめた。
(あなたみたいに残念な容姿…ぅぅん、斬新な模様の猫のことを、世間では、ブサカワ猫って言って、マニアの間では、今、注目されてるのよ)
カオルが最近YouTubeでよく見ている猫動画の中に、確かそういうのがあったはず。ちょっと話を盛っちゃったけど、良いや、この際。
(それにね、猫の可愛さは、容姿が3割、性格が7割なのよ。見た目がどれだけ可愛くったって、愛想の悪い猫やマナーの悪い猫は、人間には好かれないの。逆に言えば、見た目がパッとしなくても、甘え上手で人間を困らせるような悪い癖がなければ、愛される猫になれるのよ)
(別に、今更愛なんていらないわ)
白黒は、意地を見せる。
(あのね。家猫にとって、人間に愛されるってことは、幸せな猫になれるってことなのよ。確かに、野良には野良の生き方があるから、この理屈は通用しないだろうけど、私達、一旦家猫になった以上、愛される猫にならなきゃ絶対損よ)
(損得勘定か。その考え方は悪くないな)
白黒の側にいたキジトラが頷いた。
(いい?私達、『飼い猫』じゃあないのよ。それは人間の使う言葉であって、私達は『家猫』なの。自分の家を持つと決めたから家猫。私には兄がいるけど、兄は自分から野良をやることを選んでるわ。それはそれで大変だし覚悟もいるけど、その分自由よね。でも、皆、野良には戻る覚悟が持てなくて、仕方なく家猫をやってるのであれば、どうせならしっかり愛される家猫になりなさい。しかもここは猫カフェ。猫に触れ合うことを求めて、そのためにはお金を払っても良いという人間が集まる場所よ。愛されるにはまたとない場所じゃない?)
(だけど、愛されると何がそんなに、得なの?ベタベタ触られて膝の上に乗せられたりするの、私にはすっごいストレスなんだけど)
ブチが言った。
(人間に愛されると何が得かって?)
こはちょっぴりじらしてみよう。
(おやつが貰えること?)
と茶トラ。
(そうね。でも、そんなの些細なことよ)
(おやつ以外に何があるんだ?)
と片ソックス。
(みんな、よく考えてみて)
私は目の前のキジトラを真っ直ぐ見つめてそう言った。
   しばらく沈黙が続いたが
(ダメだ、降参だ)
とキジトラがねをあげた。他の5匹も無言のままだ。
(それはね、とってもステキなこと。私達の望みを叶えることができるようになるのよ)
(は?なにそれ?)
片ソックスが拍子抜けしように言った。
(あんた、何おとぎ話みたいなこと言ってんのよ)
ブチがキレ気味に言った。
(良いからよく聞いて)
2匹の声を制して、私は続けた。
(私達がこの店の中で出会うのは、私達猫のことが大好きで、私達にうんと幸せになってほしいと思ってる人間ばかりなのよ。だから、人間達に私達の気持ちを上手に伝えることさえできれば、私達の望みは人間によって叶えるられるの。そうね、あえて言うならば人間を上手く利用して、私達の望みを叶えると言えば分かりやすいかしら)
(人間を上手く利用…)
5匹ともポカンとしながらも、私の話に真剣に耳を傾け始めた。
(例えばあなたの望みは何?)
先ずキジトラに尋ねてみた。
(俺は、今更野良には戻りたくはないが、たまには外の空気が吸いたい)
(そんなこと簡単よ。私達が人間が思っているよりもずっと賢くて慎重だって事が分かれば、そしてあなたが必ず帰ってくると信用してもらえれば、いずれ外に出ることはできるようになるはずだわ)
キジトラの目に光が宿った。
(他のヒトは?)
(僕、食べる事が大好きなんだけど、太りすぎちゃいけないからって、食事制限が厳しくて…。もっと、たっぷり餌がもらいたい)
(それは、あなたが中身を選ばず何にでもガッツクからいけないのよ。大抵、猫の食事として人間から用意されるのはカリカリのドライフードが多いけど、あれは乾燥してて食感が軽い分、なかなか満腹にならないの。私もそうだけど、食べるのが大好きな猫には物足りない食品よね。だから、あえて、今与えられている食事を残してみるのよ)
(え?今でもお腹が空いてるのに、そんなの無理だよ~!)
茶トラは悲壮な声を出した。
(ヒトの話を最後まで聞きなさい。だから、これは戦略なの。今までモリモリ食べていたあなたが食事を残すようになったら、当然、ママやマスターは心配するわよね。もしかしたら病院に連れて行かれるかも)

(病院?嫌だ)
(だから…、これも作戦なのよ。病院の先生に『この子はどこも悪くないですよ』って言われたら、ママもマスターも、『じゃあ、どんな餌を与えたら良いんだ』って、色々試行錯誤し始めるわけ。そこで、色々試す中で、ウエットフードという量の割にカロリーが低い、太りにくい食品に辿り着くはずだから、それが貰えたら、あなたは思う存分食事を楽しめば良いのよ)
茶トラは目を丸くしてポカンとしている。
(実はこれ、私が今の同居人と暮らす中で偶然編み出したテクニックなの。私も最初はドライフードばっかりだったけど、それでドンドン肥っちゃったのよ。私、見た目が気になるタイプだから、食事を控えてみたの。そしたら、うちの家人はさっき私が言ったような行動をとったわけ)
(なるほど。それは、すごいや)
茶トラも目を輝かせた。
   実は、この作戦には本当はもう一つ狙いがあって、人間があれこれ試行錯誤している間に、この茶トラも自然に痩せていくはずなのよね。人間は、肥った猫には、健康のために食事制限をさせようとするだろうけど、この猫自体が痩せていけば話は別。それに、その間に彼の胃も自然に小さくなっていくでしょうしね。でも、これはこの子には内緒。ネタバレしない方が、やる気って持続するものだから。
(でもね、この方法には弱点があってね…。ウエットフードって、ドライフードに比べるとかなり高いのよ。要するに、お金が必要ってこと。だから、あなたもしっかり働いて、…つまり、お客さんにしっかりスリスリして、売り上げに貢献しなきゃいけないの。…私の言いたいこと、分かった?)
(わかった!)
茶トラは元気一杯にそう言って頷いた。
(他には?)
他の猫にも発言を促すと、キャリーケースの背後から片ソックスが私の正面に歩み寄って、少し照れたようにこう言った。
(俺は、もう一度恋がしたいんだ)
(あら。そんなの簡単じゃない?あなたもさっきのヒトと一緒に外に出して貰えるまでの信頼を獲得すれば良いのよ。去勢してたって交尾はできるわけだし)
(えっ、そうなの?)
片ソックスは、びっくりしながら恥じらってウロウロ歩き回った。
(そうよ。私も含めここに居る雌は発情しないけど、雄は発情期の雌に触発されれば交尾自体は可能なのよ)
(知らなかった…)
方ソックスは、自分の体を一通り眺めた後、シャンと背筋を伸ばして座り直した。
(あなたは?)
(私は、…皆に可愛いって言われたい)
白黒は、短時間の間にとても素直になった。
(それは、私の超得意分野。任せて。立ち居振る舞いから声の出し方、おねだりの仕方から一番綺麗になれる毛並みのお手入れ方法まで、何でも教えてあげる。きっとあなた目当てのお客さんが毎日来るようになるわよ)
(ホント?そうなったら最高!)
白黒は尻尾をピンと立てて左右に揺らした。尻尾の先にも黒い模様が入っている。あら?この子の尻尾、結構チャーミング。これ、後でこっそり教えてあげようっと。
(もう一人のあなたは?)
他の猫とは対照的に、ジリジリと後ろに引いて、今では部屋の隅にポツンと一人で座っているブチの方に体を向けて、キャリーケースの後ろ側の窓から私は尋ねた。
(私、私は…。誰にも触られず、そっとしておいて欲しい)
ブチは、小さな声で、おずおずとそう言った。
(でも…、愛される猫になるなら、…我慢して触らせなきゃ、ダメなんでしょ?)
ここのブチはまるでウブな少女のようで、サビコとは全然ちがう。何だか可愛く見えてきちゃった。
(それは違うわ。私、何も無理に自分を安売りしなさいって言ってる訳じゃないのよ。いいわ、どうしても人間に触られたくないなら、あなたはそのキャラでいきましょう。ちょっと高度なテクニックになるけど、これから私が教える方法をマスターして)
    確かに、お触りなしでお客を呼ぶのはなかなか難しいことではあるけれど、決して不可能ではないということを、私はブチに伝えた。
(要は、神秘的な雰囲気を演出するのよ。ディテールの可愛さではなく、シルエットの美しさを遠くから眺めているだけで見る人を幸せな気持ちにさせるような猫に、あなたがなればいいということよ)
(どうすれば良いのか、全く分からない)
私からの想像を超えた提案に、ブチは固まった。
(そうそう、そうやって固まっておけば良いの。人目につく高い場所、できれば綺麗な色柄が背景になる場所をあなたの定位置にして、いつもではなくてもいいから、時々とっておきのポーズでその背景の前に佇むのよ。あなたはスリムでスタイルが良いし、あなたのような模様がハッキリしない猫はかえってシルエットが美しく際立つはずだから、より神秘的な雰囲気が演出出来るんじゃないかしら?)
(神秘的…)
(あなたはお客さんを自分の信者だと思えば良いのよ。あなたのありがたいお姿を一目見ようとわざわざお金を払って通ってくるお客さんを見つめて、呼ばれたら鳴き返してあげれば良いの。ただそれだけよ)
(ただ、それだけ…)
呆気にとられているブチに私は言った。
(美しい絵の中の猫に成りきること。それが、あなたが人間に愛される一番簡単な方法よ)
  
   私達が一通り話し終えたところで、マスターがバックヤードに現れ、猫達の休暇時間は終わった。
   店内に戻った私に、しばらくしてグレーとほぼ黒の2匹が話しかけてきた。
(さっきは返事も返さなくてごめんよ。あの5匹の手前、僕たちだけが君と仲良くなるのは後でもめる元かなと思ったものだから)
と言う、鼻だけ白くて後はほぼ黒の雄は ルチアーノ  。
(だけど、あなたすごいわね。あの短時間に、彼らの心をすっかり変えてしまうなんて。何だか、これからが楽しみだわ)
と言う短毛のグレーのマダムは  オルガ  。2匹は元々家猫で、人に馴れているんですって。
    ルチアーノの説明によると、私達がバックヤードで休憩していた間、店の中はランチタイムで結構混雑していたそうよ。 オルガ と ルチアーノは人間の食べ物にはもともと興味を示さないように育てられているから、ランチタイムに少しでも猫を見たいというお客さんのために店内に残されているらしいわ。
    朝のコーヒーの匂いにカレーやトマトソースの匂いが加わった店内で、午後の仕事がスタート。マスターとママは、客足が途切れた時間を見計らって、交互に簡単な食事を摂っていたわ。
    午後は、ケーキセットを注文する女性客が多かった。私は、お客さんの顔を見ると、その都度足元に駆け寄って朝と同じようにご挨拶したけど、午後は、他の猫達も、朝とは明らかに違った雰囲気だった。まだ少しぎこちないけれど、お客に感心を示して、自分から近づく努力をし始めた。
(そうそう、その調子。皆、良い感じよ)
私は、皆を励ましながらお客さんの前で床の上に転がってお腹を見せた。ルチアーノも同様に他のテーブルのお客の足に体を寄せて寝転がるリラックスポーズを披露し、オルガも高音の美しい鳴き声で甘えて、一人でコーヒーを飲みに来た中年男性を喜ばせていた。そして、ブチは早速、店の奥の明かり取りの窓の窪みを新しい定位置にした。
   夕方になり、仕事帰りのスーツ姿のお客が増え、その波も途切れた頃、サクラが店にやって来た。

 


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