棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

25章


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25章
「今日はライブがあるんですか?」
   ママが入口の扉を開けると、そこにはマドンナが立っていた。
「あっ。いえ、あの…、えっと…」
ママが戸惑いながらマドンナの顔と札のないドアノブとを交互に見ていると、奥でナカムラ君が
「すみません。まだ営業時間内だったんですね。僕、てっきり…」
と慌ててバイオリンを片付けようとした。
「待って!」
その言葉で素早くナカムラ君の動きを制したのは、マドンナだった。
「曲の途中でドアを開けるのは良くないと思って、でも…、ほとんど最初から、私、外にいたんです。あなたのユーモレスク、素晴らしいわ。もし、もう少しだけお時間が許されるなら…」
マドンナは、初対面の青年を相手に自分の口から出ている言葉の勢いに自分でも戸惑ったように一瞬口ごもったが、それから大きく息を吸うと、覚悟を決めたようなハッキリした声で
「アンコールを」
と言った。
  一瞬の沈黙の後、ママが手を叩いた。
「アンコール」
「アンコール」
ママとマスターは申し合わせたように一定のリズムで手拍子を始めた。
   ナカムラ君は、初対面のマドンナの顔を驚いたように見ていた。マドンナも、期待と不安の入り混じったような表情でナカムラ君を見つめていた。
   続いて、ナカムラ君は尚も手拍子を続けるママとマスターの方を見て、それからオルガとルチアーノの姿を探した。
(やっちゃいなよ、ナカムラ君)
(そうよ。前みたいにどんどん弾いてちょうだい)
  二匹の声が聞こえてはいないと思うけど、ナカムラ君はゆっくりと頷いて
「それでは、もう一曲…」
と言って、バイオリンを構えた。ママは、嬉しそうに拍手をして、マドンナに椅子をすすめた。
(あれ?何?この展開)
私はカーティスの方を見た。いつも、マドンナが来る時は、あなた何気に他のお客をブロックしてたんじゃ…?
(いや、それが、不思議と今回は、自然に引き合ったみたいでさ。この二人)
いつもは自身満々のカーティスが、珍しく少し動揺しながらそう言った。
   カオルより少し年下じゃないかと思われるマドンナと、社会人になってまだ数年しか経ってなさそうなナカムラ君。結構な年の差だと、猫の私でも思っちゃう。だけど、カーティスのブロックが破れたのは、きっと何かの前触れね。何となく複雑な気分で私は今度はレイを見た。彼はいつものようにマドンナの膝には乗らず、ただ黙って少し離れた位置から彼女をじっと見守っていた。

   そして、一瞬の張りつめた沈黙を破って、ナカムラ君の肩と首の間にキッチリ収まった飴色の艶やかな楽器は、いきなり悲しげな叫び声で歌い始めた。
(やった!僕のテレパシー、彼に初めて届いた!)
(ルチアーノは、ホントにこの曲が好きね)
  オルガ曰く、この『ツィゴイネルワイゼン』という曲は、ナカムラ君がコンクールのために長い間練習していた曲なんですって。暗く悲愴なムードで始まる曲の序盤は、おどろおどろしい感じが、まるで黒いショールを羽織った占い師のおばあさんでも現れそうな独特の雰囲気。…っと思っていたら、ホントに誰か現れたわ。
  部屋の隅にぼんやりとした存在感で佇んでいたのは、占い師のおばあさんではなくて、キチンとした身なりのおじいさんだった。
(オトウサン!やっぱり来てくれたんだね!)
ルチアーノはそう言って嬉しそうに、コオロギの尻尾のような黒い服に白い蝶ネクタイ姿のおじいさんに駆け寄った。オルガも嬉しそうに
(今日は、若い姿じゃないのね?)
とその老人の足元に擦り寄った。
   老人は、指先を軽く口元に当てて、二匹の言葉を制した。今は演奏に集中しなさい、ってことか。さすが音楽家ね。
  それにしてもこの先生、二匹が言っていたように、相当すごい人なのね。なぜって、いつの間にか、彼は手にした白い指揮棒を振っていて、その視線の向こうには大勢のオーケストラを引き連れているんですもの。20人以上いる半透明な人達も皆正装していて、大小様々な楽器を弾いている。
   私は、生の…という表現がこの場合正しいのかどうか分からないけど、オーケストラの演奏を聴いたのは初めてだった。色々な楽器の音が混じり合って一つの曲を奏でている。ナカムラ君が主役な部分が多いけど、他の楽器の音が重なることで、とても奥行きのある深い音色が生み出されていく。
  他の猫も皆、ナカムラ君とは別の同じ方向に注目していたから、どうやら、指揮者のナガレヤマ先生とオーケストラの存在は感じられているみたい。
  だけど、人間には、この演奏はどんなふうに聞こえてるんだろう?ナカムラ君が一人で弾いてるのに色んな音が聴こえたらもっと驚いた顔をするだろうから、多分、半透明な皆さんの存在は、全然感じられていないんじゃないかしら?少なくとも、ママとマスターは、ただただうっとりとナカムラ君のバイオリンに聴き惚れているようだった。マドンナは、さっきからずっと驚いたような顔をしているけど、それは単にナカムラ君の演奏の素晴らしさに感動しているからだと思う。だって、私はここに来だしてから色んな物が見えるのに大分慣れたから今更別に怖くはないけど、普通の人間の目にこの半透明な人達が見えてしまったら、やっぱり怖くてこんなに冷静ではいられないはずだもの。
    それにしても、ナカムラ君の演奏もそうだけど、半透明のオーケストラの奏でるこの演奏は本当に素晴らしいわ。猫の私が言うのも何だけど、こういう大所帯の演奏だと一人でも変な音を出したりリズムが狂っている人がいたら、全てがぶち壊しだもんね。しかも彼らの存在に全く気付いていないナカムラ君に全員が合わせる訳だから、相当大変なはず。だけど、この半透明の皆さんは、いとも易々とこのいかにも難しい曲を完全に弾きこなしていた。
   あの世ってすごい所なのね、と私はしみじみと思った。だけど、ここの皆さん、…いわゆる幽霊の人達、確かにもう外は暗くなってはいるけど、こんなに大人数でこっちの世界に来るのは、ちょっと時間が早すぎるんじゃないの?それと、この曲を作った作曲家の人、何だか相当辛いことでもあったのかしら?そうじゃなきゃ、こんな悲しそうな曲を延々と作れないわ。きっと失恋でもしたのよ。それか、どうにもならないコンプレックスを抱えて悶々と悩んでた、とか。どっちにしても結構ネチネチしつこいタイプね…。あっ、いけない、演奏に集中しなきゃ。漏れ出る私の心の声にルチアーノが軽く咳払いをするのを聞いて、私はそう気付いた。
   クラシックって、素敵だけと、ずっと聴いてるとちょっと飽きてきちゃうかも…。そう思いながら私が伸びをしようとしたら、そこで突然曲調が変わった。ナカムラ君のバイオリンも、ナガレヤマ先生の指揮も、いきなり激しく軽快なリズムを刻み始め、それにつられて私は何だか肉球がムズムズし始めた。何?このリズム。踊り出したくなるような…。目の前で動き出した黒いフサフサに気付いたら、それは隣にいたルチアーノの尻尾だった。きっと、彼も私と同じムズムズを感じているのよ。演奏はどんどん勢いを増し、ナカムラ君のバイオリンは、私達を挑発するかのように激しく歌い続けた。この軽快なリズムと同じ調子で動くフサフサのルチの尻尾。ああっ、もうたまんない!
   私は、思わずルチアーノの尻尾を前足でチョップした。それを待っていたかのように、ルチアーノはヒラリと体を反転させて飛び跳ねた。
   そうなると、もはやここから先はダンスタイム。私とルチアーノは曲に合わせて飛び跳ね続け、それにお祭り好きなジャニスとカーティスも加わった。
(何これ?ちょっと、楽しすぎるんだけど!)
飛び跳ねて踊りながら私はルチアーノに言った。
(そうだろ?これがこの曲の聴かせ所なんだ)
ルチアーノも激しく飛び跳ねながら嬉しそうにそう言った。
(って言うか、私達、ちゃんと曲を聴いてないけど)
ジャニスは自分の尻尾を追いかけてクルクル回りながらそう言った。
(だけど、音楽って、基本、楽しめれば、それで良いんじゃねぇ?)
カーティスが黒ソックスの後ろ足でスライディングしながらそう言うと、ナカムラ君の傍に置いてある椅子の上から
(そうよ、音を楽しむって書くんだもの!)
と踊りの輪の中心にオルガが飛び込んで来て、上体をひねって床に横たわる彼女独特の決めポーズを作った所で、突然曲は終わった。
「ブラボー!!」
   ママとマスターは立ち上がって、前にも増して大きな拍手をした。マドンナは拍手をしながら顔を真っ赤にして、目には涙を浮かべていた。
   気がつくと、指揮者のナガレヤマ先生とオーケストラの皆さんの透明度が増していた。
(オトウサン、ありがとう。また会いに行くね)
ルチアーノの声かけに老人は、無言で頷いた。
(待ってよ。消える前に、ナカムラ君に3年前の答えを教えてあげなさいよ!)
ジャニスが慌ててそう言って引き止めると、ナガレヤマ先生は、軽くマドンナの方に視線を移してから、ジャニスに向かって優しく微笑んだ。
「えっ?何よ?それじゃ分かんないわ!」
私は消えかけのナガレヤマ先生に飛びつこうとしたけど、幽霊を相手には、さすがに肉弾戦は無理だってことがようやく分かった。
   空をつかんででんぐり返る私を見て
「曲の終盤、この子達も随分盛り上がってたわね」
と、ママが楽しそうに言った。

「私、病気になるまで、中学の音楽教師をしてたんです」
  閉店後の店内で、 いつものアイスカフェオレを飲みながら、マドンナが言った。
「そうなんですね。…僕は学校の音楽の授業は苦手でした。僕がナガレヤマ先生の門下だと知ると、音楽の先生の態度が急に変わるから…。よそよそしくなるって言うか、何か特別扱いされる感じが嫌で…」
ナカムラ君も、アイスコーヒーを飲みながら、少し恥ずかしそうに昔の思い出を語った。
「だって、それは仕方ないわ。ナガレヤマ先生の存在は特別ですもの。一介の音楽教師にとっては、雲の上の方でしたからね」
マドンナは、弟に言い聞かせるようにナカムラ君にそう言った。
「だけど、地位とか名声とか、そういうものとは別の所に、本当の音楽の素晴らしさはあるのにね」
「ええ。有名である以前に、先生は素晴らしい方でした。音楽家としても人間としても」
「そうでしょうね」
  故人を偲びながら、二人は静かにドリンクを飲んでいた。ママとマスターは、こういう時は奥で片付けをして、ほとんど店に出て来ない。
「先生、亡くなる日の前日に僕の演奏に駄目出しをされたんです。『君の演奏には決定的に足りないものがある』って。そして、そのまま亡くなってしまわれて。僕はつい数日前までは、ずっとその事に引っかかっていたんです。不眠症になって、心療内科で薬ももらったくらい」
「眠れない時は、ホントに辛いものね」
「でも、この店に来て、先生の元の飼い猫さん達に会えて、何だか吹っ切れたんです」
オルガとルチアーノを見ながらナカムラ君は言った。
「あら、私と同じだわ。私も、この子の存在に救われたの」
マドンナは、またいつものように膝の上で丸まって寝ているレイを優しく撫でながらそう言った。
「3年前の僕は、プロになるために音楽をやっていた。コンクールに向けて、猛練習の毎日でした。そして、いつの間にか一番大切な、音楽への愛を忘れていました。…弾くことを楽しめてなかったんです」
「多分、次元は違うと思うけど、私にもありました。そういう時が」
マドンナがしみじみと言った。
「コンクールで最優秀賞が取れずプロへの道が潰えて、最初は相当落ち込みましたけど、僕にはこれで良かったんだって、今では思えます」
ナカムラ君はアイスコーヒーを飲み干した。
「今は市民交響楽団で定期的に演奏してます。アマチュアの集団だけど、結構レベルが高いんですよ」
ナカムラ君はちょっと照れ臭そうに笑った。
「そして、何より、今は音楽が楽しいんです」
「ええ、そうでしょうね。あなたのツィゴイネルワイゼン、ラストは私も思わず猫ちゃん達につられて踊り出したくなっちゃったもの」
とマドンナも笑顔で言った。
「あなたの演奏を聴いていると、まるでバックにオーケストラがいるような音の広がりを感じたわ」
「僕も、何だかナガレヤマ先生がタクトをとってらっしゃるような錯覚に陥ってしまいました」
   二人は可笑しそう笑いながらそう言った。あら、その方面の感覚、二人ともなかなか鋭いわね。
「とにかく、今日は楽しかったわ。あなたの演奏を聴いて、私ももう一度、純粋に自分のためにピアノを弾いてみようかと思うようになりました」
マドンナが言った。
「それでは、いつかご一緒させてください」
ナカムラ君のその言葉を聞くと、空いたグラスを取りに来た風を装ったママが
「じゃあ、家にあるピアノを持って来ようかしら」
と、声を弾ませて言った。
「娘のために買ったピアノだけど、まだ『きらきら星』しか弾かないうちに娘は亡くなってしまったの」
マドンナは一瞬驚いたようにまばたきを数回したが
「娘のマリエのためにも、是非ここであなたのピアノも聴かせてください」
というマスターの声を聞いて
「…はい、喜んで」
と声を震わせた。
  「あっ、だけど、うちにあるピアノは、アップライトだけど…、それでも良いかしら?」
ママがちょっと心配そうにそう言うと
「このスペースにグランドピアノを持ってくるなんて、誰も思ってやしないよ」
と、すかさずマスターが突っ込んで、そこで皆はどっと笑った。
  こうして、ここ、猫カフェギャラリーマリエは、アートスペース猫カフェマリエへと、更なる進化を遂げたのでした。

 


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