棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

24章


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24章

(それで?ナガレヤマ先生は、何て?)
  それから四日後の朝、私がお店に着くと、皆は既に輪になって、昨夜のうちにあの世に行って帰って来たオルガとルチアーノの話に夢中だった。
(やーん、ズル~い。私も最初から聞きた~い)
そうせがんだら、ルチアーノは話を最初に戻してくれた。皆も、二匹から聞いた話を口々に私に教えてくれた。
(向こうは、色んな物がこっちと逆になってるんだって)
(ピアノも左に行くほど音が高くなるし、バイオリンも全く作りが逆さまだし。見慣れるまで何か変な感じだったよ)
   何?いきなりピアノとかバイオリンが、あるわけ?
(ナガレヤマ先生は、若い頃の姿に戻ってて、最初はオルガもルチアーノも分かんなかったけど、インフォメーションのお姉さんに聞いたら探してもらえたんだって)
   イッ、インフォメーションって…。あの世も随分ハイテクね…。
(オトウサンは、あっちでも人気者でね。コンサートの予定が一杯入ってて忙しそうだったけど、私達に会えて、とっても喜んでくれたわ)
(それで、僕達をコンサートに招待してくれてさ。向こうでは人間と猫は普通にコミュニケーションとれるから、僕、大好きなツゴイネルワイゼンをリクエストしたんだ。真正面の席でかぶりつきで、最高だったよ。僕、ラストに思わずスタンディングオーベーションしちゃった)
(そっ…、そうなの。それは、良かったわね…)
   予想を遥かに越えたファンタスティックな展開に、しばらく私は呆然としてた。だって、あの世って、幽霊とか、お化けとか、暗くて怖いイメージじゃない?それが、いきなりコンサートでスタンディングオーベーションとか…。
   私の心の声を察したルチアーノは
(何かね、色んな層があるらしいんだ。一般的にこの世の人がイメージするあの世は、まだこの世から近い層で、完全にあっちの世界ではないから、この世への未練や執着や怨念みたいなものが渦巻いてるそうなんだけど、完全な向こうの世界は全然そんなことなくて、むしろ自由で素晴らしい所だったよ)
と言った。
   あっ、…ああっ。そういうこと…。
(で、話を元に戻すけど、ナカムラ君の件、ナガレヤマ先生は何て言ってたのよ)
   ジャニスが、待ちきれない様子でルチアーノに聞いた。
(ああ…。それなんだけどね…)
   そこまできて、ルチアーノの声のトーンが急に下がった。
(僕、何度も聞いてみたんだけど、オトウサンは『それは言えない』の一点張りでさ…)
(え~~~!!)
  一同大ブーイングだった。
(何、コンサートでスタンディングオーベーションとかやってんのよ?一番大事な目的はそれでしょ?)
  マジギレ寸前の私に、ルチアーノは
(だって~、オトウサンが『その答えは彼が気付かなければ意味がない』って言うんだもん~)
と、尻尾をお尻に巻き込んで怯えた目で私を見ながら言った。
(それと、オトウサン、こんな風にも言ってたわ)
今度はオルガがおっとりとルチアーノに加勢した。
(『今の彼ならもう分かってる。そして、彼なら既にそれを克服していると私は信じてる』って)
(え~、そうなの~?)
  何か釈然としないわね。まったく、育ちの良い子達はこれだから…。詰めが甘いのよ、詰めが。私だったら、いざとなったら泣き落としか肉弾戦で、何としても最初の目的を達成しようとするだろうけど。
(ゴメンね、ケイト。期待に応えられなくて…)
ルチアーノがしょんぼりと言った。あっ、いけない、私ったら。心の声、また、漏らしちゃった…。
(でも、それなら、今度はナカムラ君に、誰かがその事を伝えないとな)
最近、随分口数の少なくなったレイがそう言った。レイ、ここの所、急に痩せたわ。毛艶も悪くなったし、この頃は、ちょっと、目も見えにくくなってきてるみたい。彼は、マドンナが店に来る度に、彼女のヒーリングをやっている。その姿は、まるで自分の命を削ってるみたいに私には見えてしまう。でも、その甲斐あってか、マドンナは、ほんの少しずつだけど、薄皮を剥ぐように、元気になっていってるように見える。頬の血色が良くなってきたし、以前よりも笑顔が増えたような気もする。レイの体を気遣って、少しはヒーリングのペースを落としたらって提案してみたこともあるけど、
(彼女が元気になってくれさえすれば、俺のことはどうでもいいんだ)
って、取り合ってくれなかった。
   頑固で一途なレイ。まるで、昭和のヤクザ映画の主人公みたい。でも、そうね。それがレイの望みなんだもん、仕方ないわね。私は…、もしもショウ君の病気が治るなら、レイみたいになれるかしら…。少々やつれるのはまあいいかも…。でも、毛が薄くなるのは困るわ。…女子って色々大変なのよね。
(あのナカムラ君に、僕達の言葉が通じるかなぁ?)
ルチアーノが心配そうに言った。
(まあ、大抵の人間は僕達の言ってることなんて全く理解できないし、ナカムラ君とは古い付き合いだけど、心が通じるなんてこと、正直一度もなかったもんね)
(そうね。彼は以前は自分から私達に話かけてくることすら、ほとんどなかったもの)
オルガも昔を思い出しながら言った。
(それに、そもそも何て伝えたら、良いんだろ?『君は既にその答えを知ってるし、多分もう克服できてるよ』って、感じ?)
(そんなんで納得するかしら?寝れないくらい思い詰めてる人が…)
   確かにね。サリナの意見に皆も無言で頷いた。
(じゃあ、どうする?)

   そんな私達の心配をよそに、その日の夕方、ナカムラ君が三日ぶりに現れた。今度は片手に黒い変わった形の箱を下げていた。あの中に彼のバイオリンが入っているのね。
(こんばんは)
   彼は普通のお客さんのような顔をして席に座って、コーヒーを注文し、コーヒーを飲みながら本を読んだりして静かに過ごしていた。そして、数時間後、最後のお客さんが出て行ったのを確認してから、彼はおもむろにマスターに切り出した。
「先日はありがとうございました。猫さん達に再会できただけで、僕の中ではかなりホッとしました」
ナカムラ君は、そう言って静かに微笑んだ。
「あれから色々考えて、結局、先生の仰りたかったことは、自分に問うしかないんだろうなと思い至りました」
(おっ、ナカムラ君、よく分かってるじゃん?)
カーティスがそう言った。
「けれど、折角再会できたことですし、奥様にも楽しみにしていただいているので、やはり、ここで、一度だけ演奏させていただきたいのですが…」
「ええ。私も楽しみにしていましたよ」
マスターは、励ますようにナカムラ君に言った。
「ありがとうございます。それでは、ちょっと準備させていただきますね」
  ナカムラ君は、残っていたグラスの水を飲み干して、ハンカチで顔の汗を拭うと、ケースの中からバイオリンを取り出した。マスターはバックヤードで片付けをしていたママを呼んできて、二人は並んで、店の中で一番座り心地の良いソファーに腰を下ろした。
   ナカムラ君のバイオリンの弦が弓に触れると、まるで空気が引き締まるような、私が今まで聴いたことのない素敵な音がした。それは、バイオリンという木から生まれた不思議な形の生き物の歌声のようだった。素敵…って、ホントはもっと別のものなのかもしれないけど、私にはほかの言葉が思いつかない。彼は、その素敵な音を何度か鳴らして音程の調整のようなものをしてから、大きく息を吸って目を閉じた。
   そしてナカムラ君は演奏を始めた。
   軽やかなメロディーが、まるで金色の帯を広げたようにゆったりと空間に広がっていく。
ユーモレスクだわ)
  オルガが言った。私も知ってるこの曲は、よくBGMとして流れてる、ママのお気に入りのCDに入ってる曲。
  私は目を閉じてゆったりと音の流れに身を委ねた。いい気分で尻尾を振っていると、不意に誰かに尻尾を触られたような気がして片目をあけてそっちを見ると、まだ赤ちゃんと言ってもおかしくないくらいとても小さな男の子が、私の尻尾で遊んでいた。
  あれ?っと思う間もなく、男の子はヨチヨチ部屋の隅に歩いて行って、帰ってきた時には、その子の体にはまだ大きいけどナカムラ君が弾いてる物よりはかなり小ぶりなバイオリンを手に持っていた。男の子は、キラキラした目でバイオリンをじっと見て、やがてナカムラ君の演奏を見よう見まねで、自分もバイオリンを弾き始めた。それはそれは楽しそうに、体を左右に揺すりながら、その小さな男の子は夢中になってバイオリンを弾いた。
  曲の進行とともに男の子はグングン成長し、やがて眼鏡をかけた線の細い少年になっていった。…あっ、分かった。この子、子どもの頃のナカムラ君ね。
   ナカムラ少年は、実在するナカムラ君のそばに、少し薄い輪郭で立って、一緒にユーモレスクを演奏していた。口をへの字に曲げて、少年は懸命に演奏を続けた。その表情は必死の形相で、小さかった頃の楽しい姿はそこにはなかった。弦を押さえて細かく震わせる指の先までが、緊張感で張りつめていた。
   それから男の子は、更に大きくなって、等身大のナカムラ君になった。実物の横で全く同じポーズで演奏する双子の弟のようなちょっとだけ若いナカムラ君は、ある時突然演奏を止めた。そして、床に膝をついてうつむいたまま頭を抱えた。
   実在するナカムラ君は、その後も演奏を続け、曲は今までの明るいメロディーから暗いメロディーに変わった。打ちひしがれた状態の少し輪郭の薄いナカムラ君は、そのまましばらく動かなかった。
   少しするとまた元のメロディーに曲が戻り、それとももに輪郭の薄い若いナカムラ君は、またゆっくりと顔を上げて立ち上がり、そして、実在のナカ ムラ君の後ろに立ち、そのまま実在するナカムラ君と輪郭が重なった。きっと今、今までの色々なことを思い出しながら、ナカムラ君はこの曲を演奏をしているんだろうな。
  そして、曲は終わった。
「ブラボー!」
  マスターが叫んだ。ママも立ち上がって拍手をした。
「素晴らしいわ!」
ママは感動のあまり、薄らと涙ぐんでいた。
   2人の拍手が止んだとき、何だか少し離れた所でまだ拍手の音がするのが聞こえた。それは、私達猫だけでなく人間にも聞こえたようだった。
「今、ドアの外で拍手がしたぞ」
「あら、いやだ。私ったら、はしゃいじゃって、うっかりクローズドの札を下げるの忘れてたわ」
そう言いながらママは慌てて入口の扉に向かい、ドアを開けると、そこには人が立っていた。

  
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