棗坂(なつめざか)猫物語

猫目線の長編小説

2-12章


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2-12章

 そんなある日、ヨシエママが仕事中、珍しく長電話をしていた。
 幸せに暮らしていたはずのヨネとナナオが大変なことになっているというのは、電話口から所々漏れ聞こえる相手の声と、ママの会話の端々と、その雰囲気で何となくわかった。
「大変だけど、くれぐれもお大事にね」
と締めくくって、ママは電話を切った。
 私達猫は、その後もママとマスターの会話に耳を澄ましながら、状況を様々に憶測していた。
(ナナオ、どうなっちゃうんだろう?)
エリックが、心配そうに言った。
(若い子は、その位大丈夫じゃねぇ?)
カーティスが、無理におどけた感じでそう言った。
「猫風邪、だって?」
マスターがママにきいた。
「ええ」
ママは、眉間に皺を寄せながら何とかそれだけ答えた。
 外猫との接触で罹患していたウイルス性の感染症を、引っ越しのストレスによって発症したヨネによって、ナナオがいわゆる猫風邪に感染したのは、母子が家猫になってから丁度一週間経った時だった。
 それまでも、ヨネとナナオの飼い主のメイちゃんは、二匹の健康に配慮した食事の与え方から匂わないトイレの選び方等、猫の飼い方のいろはを、よくママに相談していた。それに加えて私からの情報もあり、アートスペース猫カフェマリエの猫達は皆、ヨネとナナオの事について、すっかり詳しくなっていた。
(会ったことはなくても、これだけ噂を聞いていれば、もうすっかり仲間みたいな感覚ね)
(何だか、私達皆の子ども、みたいな…)
(ポスターの写真なんて、ホントにアイドルみたいだったしね)
さっきも、オルガとサリナとジャニスと一緒にそんな女子トークをしていたところだった。
(猫風邪って、…確か、こじらせるとすごく質が悪いアレ、だよね…)
ルチアーノが、不安げに耳を伏せながらそう言った。
「一匹が猫風邪にかかったために、多頭飼育の猫舎の猫が全滅したって話を、実はこの前、保護猫ボランティアの仲間から聞いたばかりなの。今、すごく流行ってるみたいで、獣医さんも対応に追われてるらしくて…」
しばらくしてママがマスターにそう言った。
「母猫の方は大したことなかったみたいだけど、子猫の方が日に日に重症化してるみたいで。子猫は体力もないし、食べられないとすぐに体重が激減して、どんどん衰弱していくのよ。ナナオは、今朝から何も食べないし、水も飲んでないって…」
 ママの言葉に、猫達は動揺した。
(ウソ?あの子は、一体どうなっちゃうの?)
ジャニスは我が子を思う母のように取り乱した。
(大丈夫よ。メイちゃんは確か看護師さんだったはず。彼女がついてるんだから、きっと何とかなるわ)
私は、占いの時にメイちゃんが言っていた彼女の個人情報を思い出してそう言った。
「ここのところ、点滴を受けに連日動物病院通いだそうよ」
「二匹同時だと、高くつくだろうな」
「ええ。だけど、もともとペット保険に加入してたから、お金の方は心配ないって」
「さすがだな」
そんな現実的な話をママとマスターはしながら、自分達に出来ることは何かと、一生懸命考えているようだった。
「先ずは何とか食べさせないと…。うちで一番食の細いサリナも必ず完食する、あのスペシャルキャットフード、送っとこうか。サクラなら、彼女の住所分かるよな?」
「ええ、多分、知ってるはずよ。…あっ、それなら、一緒に、この高カロリー食も」
マスターとママは、スマホを見ながら、ヨネとナナオのお見舞いの品を、仕事そっちのけで選んでいた。
 そんな二人の様子を見ながら、私達猫もどうしたものかと皆それぞれに思いあぐねていると、私を迎えに来たカオルが店に入るなりママとマスターにスマホを差し出して
「大変です。ナナオがこんなになっちゃった」
と悲鳴にも似た声をあげた。
 カオルがカウンターに置いたスマホの画面には、痩せこけて目やにと鼻水で顔の毛がガチガチに固まって、やさぐれきったナナオが写っていた。
(これは…)
それぞれの位置からナナオの写真を確認して、皆一瞬絶句した後
(マジでヤバいな)
と、カーティスが低い声で呟いた。

 どうしたら、ナナオを助ける事が出来るのかしら?私は、お家に帰ってリビングで一人考え込んだ。他の猫達も言ってたみたいに、ナナオはもはや、私達のかけがえのない仲間。…いいえ、私にとっては、…うーん、何て言って良いのか分からないけど…、とにかくとっても大切な存在。ショウ君ともマリエの仲間達ともお兄ちゃんともちょっと違う…。
強いて言えば、今日サリナが言ってた「子どもみたいな」感じかしら?私にはヨネみたいな母性はないけど、ナナオを何とかして守りたいという気持ちはとっても強い。これって…。

 モヤモヤした気持ちで一晩過ごし、翌日はサクラのお迎えでマリエに出勤した。その日は、比較的早い時間からキョウヘイも店に来て、昨日に引き続き、皆でナナオの事を話し始めた。
「あれから一度だけウエットフードを食べたらしいけど、相変わらず鼻で呼吸ができなくて、今日もこれから病院で点滴と吸入をしてもらうそうよ」
ママが、スマホのメイちゃんからのメッセージを見ながらそう言った。
「かわいそうに。苦しいでしょうね」
サクラも心配そうだ。
「メイちゃんも、かなりしんどいだろうな」
マスターが、眉毛を八の字にしてそう言った。
「前にうちのモカ君が病気になった時、俺、人生でこれ以上ないくらい祈ったよ。俺の寿命を半分にしても、何なら俺は半年後に死んでも良いから、この子を助けてくださいって」
キョウヘイが昔のことを思い出しながら、険しい表情で腕組みした。
「その半年って、何か意味あるの?」
とサクラ。
「いや、余りにも急だとさ、残しとくと恥ずかしい物とかあるじゃん。身辺整理に、それくらいは時間がほしいかな、と」
「何よ、それ」
「だから…、そこ、突っ込むとこじゃなくて…。それくらい、命懸けで祈ったことがあるってこと」
「命懸けで祈る、か。…確かに、祈るって、『命 宣(の)る』と字を当てることも出来るものね」
サクラが、そう言って、妙に納得したような顔で頷いた。
 命懸け、か。そんな気持ちになれば、願いは叶えられるものなのか。果たして私は、ナナオのために命をかけることができるのかしら?…うーん。それは正直自信がないわ。私はまだ、死にたくはないもの。だけど、ナナオはまだ二ヶ月ちょっとしか生きてない。あんなにかわいい子猫がそんなに早く死んじゃうなんて、絶対に嫌。私もナナオのためなら、寿命の半分くらいあげても良いかも…。
 実の母親のヨネは今、どんな気持ちかしら?ヨネは、ナナオのためなら死んでも良いと思うのかしら?
 そんなことをあれこれ考えているうちにその日は終わり、私はサクラに連れられてお家に帰った。このところ、サクラの占いのお客様はめっきり少なくなってきているが、サクラは前とは違って、今ではそのことを一向に気にしている気配はない。
「必要な時に必要とされればそれで良いのよ」
とサラッと言って、キョウヘイと次のアートスペースの催し物の段取りを相談したりしていた。

 お家に帰ってその日も一通りのルーティーンをこなし、後は4Kを待つばかりという状態で、私は見るともなくリビングでカオルがつけっ放しにしているテレビのニュースを見ていた。
 今や定番となったウクライナ情勢の報道の中で、その日はロシアの女の人達のことが特集されていた。「兵士の母の会」というグループのリーダーの、大きな体の鼻の高い女の人が、泣きながら何かを懸命に訴えていた。その人が何を言っているのかは一言も分からないけど、彼女がどんな気持ちなのか、私には痛いくらいに伝わってきた。この人はきっと、自分の命よりも大事なものを守りきれない苦しさと憤りの渦の中に居るんだろう。理屈は知らないけど、その気持ち、今の私には何だかとても良く分かる。
 
 そして、その夜の私が寝ている所に、若い姿のミスズさんが現れた。この前は夢の中だったけど、今回は、枕元に立った、という感じ。
「コウメちゃん」
この日のミスズさんは、ウエストを細く絞った膝下丈のブルーグレーのワンピースをカッコ良く着こなしていた。
「コウメちゃん。…いいえ、違った。今はケイトちゃんね」
ミスズさんが今の私の名前を知っていたから、私はものすごくビックリした。
「ビックリするのも無理はないわね」
と私の頭を撫でながら、だけどミスズさんは、さらにビックリすることを言った。
「私と離れてからのあなたのこと、私はずっと見てたわよ。…もっとも、始めの7週間は何かと忙しくて、それどころじゃなかったけれど…」
 え?何のことを言ってるの?
 私の心の声はミスズさんには聞こえるらしく
「そうね。あなたにはこの話は少し難しいかもね」
と言って、彼女は優しく微笑んだ。
「だけどね。今日、私がここに来たのは、あなたを助けたいと思ったからよ」
ミスズさんは、急に真剣な面持ちでそう言った。
「愛する者を守るために、今何をしたら良いのか。今のあなたの疑問に答えるために、私はここに来たのよ」
ミスズさんは、私の日常の様子だけでなく、心の中まで見通しているかのようにそう言った。
(どうして、そんなに私のことが分かるの?それに、そもそもどうして今まで私の事を見ていたの?)
私の問いにミスズさんはこう言った。
「それは、私があなたの事を、娘のように思っているからよ」
そう言って、ミスズさんは優しく私を抱き上げて、頬擦りしながらこう言った。
「コウメちゃん、愛しているわ。これまでも、そしてこれからもずっと」

 


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2-11章


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2-11章

「皆さんで捕まえてくださったんですね!ありがとうございます!」
 メイちゃんは、急な坂道の途中の、駐車が困難だと来る人皆に言われている、我が家のガレージにスルリと停めた車の中からそう言った。
「あら、今日はご主人は一緒じゃないのね?」
カオルがそう尋ねると
「それが、急に仕事が入ったとか言って、さっき出掛けて行ってしまったんです。それも、大きい方の車に乗って。あれ程、今日は猫達のお迎えに行くから空けといてね、って言ってたのに…」
メイちゃんは、よくぞ聞いてくれました、とばかりに、カオルに夫の愚痴を言った。
「あの人、いつもこうなんです。上司の命令は絶対だと思ってて、家族の迷惑を省みないから。私の負担なんて考えてないんです!」
メイちゃんの良く通る声は、中二階のお部屋の中にいる私の耳にもしっかり聞こえてきた。
「まったくもう…」
一人でプリプリ怒りながら車を降りたメイちゃんは、駐車スペースを作るためにガレージからお向かいのトヨダさんのお庭に移動させてもらっていたケージの中のヨネと子猫を見て
「わぁ!」
と喜びの声を上げた。
「かわいい!」
「にゃんにゃん、かわいー!」
男の子も、メイちゃんと同じように嬉しそうにそう言った。
 ケージの中のヨネと子猫は、捕獲直後は興奮して鳴き叫んでいたが、この頃にはそれにも疲れて、ケージの中のトイレの砂をベッド代わりに、二匹で寄り添って丸まっていた。
「ホントに捕まったんだ。…これから、夢の猫との生活が、ついに始まるんだわ」
メイちゃんは、まだ信じられないといったふうに目をパチパチさせながら、ケージの中のヨネと子猫を見ていた。
「しばらくお家で飼ってみて、やっぱり息子さんのアレルギーとかの問題が出たら、遠慮せず返しに来てくださいね。母猫は避妊さえしてしまえば地域猫として面倒みれますし、子猫の方も人間に慣れさえすれば、他の貰い手が見つかるだろうから。くれぐれも無理しないでね」
カオルはメイちゃんにそう言った。
「ありがとうございます。でも、きっと大丈夫です。この子も、かなり体が丈夫になってきたから。犬を飼ったことも良かったんだと思います」
メイちゃんは、男の子の頭を優しく撫でながら満面の笑みでそう言った。
 メイちゃんは、一瞬で気分が変わる。特に、私達猫を見ると、日常生活の色々な煩わしいことが一瞬でどうでも良くなって、ただただ幸せで一杯になるらしい。猫カフェマリエのお客様はそういう人が多いけど、特に彼女の猫愛は格別だ。
 私達猫の存在そのものが、誰かの幸せに直結してる。私達がただそこにいるということ自体が、誰かを幸せにしている。きっと、ヨネと子猫はこれからこのメイちゃんの元で、ずっと、彼女に幸福感を与え続ける存在になるのね。
 メイちゃんの小さな車の後部座席にケージを積み込むために、ショウ君パパがメジャーであちこちの長さを計っている間に、カオルが私を連れに来た。
「さあケイト。ヨネや子猫と、お別れしなさい」
 そうカオルに促されて私がお外に出ると、一旦大人しくなっていた子猫が再び騒ぎだした。
「ニャー!ニャー!」(ケイト!助けて!)
「ニャー!ニャー!ニャー!!」
(嫌だ!僕、行かないよ!)
(……)
私は何も答えずに、黙って二匹を見ていた。
「ニャー!ニャー!二ャー!ニャー!!」
(嫌だよ!ケイト!僕、ずっとここでケイトと一緒に遊びたいんだー!)
チビは私に向かってそう叫んだ。
(何言ってるの?あなたは今日からお家猫になるのよ。それに、私、あなたとなんか遊ばない。だって私、子猫になんて、もともとちっとも興味ないんだもの)
私はクールにそう言った。ホントは逆の気持ちだったけど、その時は、そうでも言わなきゃ、私も泣いてしまいそうだったから。
「ニャーー!!!」(ケイトのバカー!!!)
鳴き続ける子猫とヨネの入ったケージは、そこに居合わせた皆の協力によって、メイちゃんの小さな車の中にピッタリと収まった。
 念のため、ショウ君パパが紐で柵をシートに結びつけて揺れないように固定した。
「それでは皆さん、本当にありがとうございました。この子達、きっと大切に育てます!」
 メイちゃんとその息子は、車の窓を開けて皆に手を振って笑顔で挨拶し、水色のかわいい車は、滑るように坂道を下って行った。
「…行っちゃったね…」
カオルが私を抱き上げてそう言った。ショウ君パパとママも、ナガサワさん夫妻も、トヨダさんの奥さんまで家から出てきてメイちゃんの車を見送った後、誰もがチョッピリ無口だった。「良かったね」と「淋しいね」が混じり合ったその時の気持ちは、私も含め、そこにいた皆がきっと同じだったと思う。

 

「まぁ。この子、こんなに大人しくお風呂に入れてもらって…」
それから数日後、スマホの画面を見ながら、マリエのヨシエママが嬉しそうに言った。
 ヨネと子猫の捕獲を機に、メイちゃんとカオルはすっかり意気投合したようで、メイちゃんは、しょっちゅうヨネと子猫の映像をカオルのスマホに送ってくる。メイちゃんの了承を得て、カオルはその映像を、今回の一件に関わった皆にも転送していた。
「この子、ナナオって名前を付けてもらったんですって」
カオルは子猫の動画を見ながらそう言った。
 チビのナナオはそのうちすぐに、ヨネより大きな長毛の雄になるだろう。ナナオはショウ君のようなカッコいい成猫になるのかしら?
 ナナオはお風呂が好きみたい。それは、私の掃除機好きと同じくらい猫としては珍しいみたいで、メイちゃんは、ぬいぐるみのようにされるがままのナナオの動画を、沢山カオルに送ってきた。
「ほら、ケイト。子猫のナナオはお風呂嫌いのケイトとは大違いよ」
カオルは私にスマホを見せ、私は一心にその画面を見つめた。
 入浴シーンが終わると今度はタオルとドライヤーで毛を乾かしてもらっていた。ナナオはドライヤーは苦手らしく、二ャーニャー言いながら水しぶきを撒き散らして家中を走り回っていた。
 こうしてメイちゃんにしっかり手をかけてもらいながら、ナナオは野良から家猫に変わって行くんだろうな。きっとそのうち家の中の快適な生活に慣れて、代わりに外の暮らしの事は忘れて行くの。棗坂のことも私達のことも。ナナオにとってはそれが一番。そうよ、これが一番良かったのよ。
 私が自分に言い聞かせるようにそう考えていると、
(ヤッホー、ケイト。元気~?)
と画像の向こうから、ナナオの声が聴こえてきた。
(え?何?どういうこと?)
驚いた私の反応とは無関係に、画面の向こうのナナオは話し続けた。
(お母さんが、この板に向かってお話ししたら、きっとケイトに届くはずって言うからさ。だから、僕、一方的に喋りまーす)
 これって、いわばビデオメッセージってところかしら?ヨネも良く考えついたものだわ。名前に似合わずハイテクを駆使したヨネの機転に感心しながら、私はナナオのビデオメッセージを凝視した。
(こっちの生活は、意外にすごく楽しいよ。ここのママは僕達のことムチャクチャ好きみたいで、とっても可愛がってくれるの。さっき初めてお風呂に入ったけど、お湯が超気持ち良くって、僕、体洗われながら寝ちゃったよ。だけど、その後のドライヤーっていうヤツにはビックリだった。ガーガー叫びながら生暖かい突風を吹きかけてくるの。まあ、それ以上は何もしてこないから、慣れればどうってことないけどね)

 ナナオは、近況を尚も喋り続けた。
(ここにはゴローって名前の犬もいてね。毛が短くて顔の皮がダブダブしてて見た目は不細工なんだけど、とっても優しい良いヤツなんだ。僕が猫パンチしても全然抵抗しないし、ゴローも、僕達のこと好きみたい。でも、お母さんは、まだゴローのことは、苦手みたいだけど)
更にナナオのメッセージは続く。
(それから、ケイト…。バカって言ってご)
そこで、突然ビデオメッセージは終了した。
 良かった。ナナオは、ホントに幸せそう。ヨネはチラッとしか動画に写ってなかったけど、あのヒトは性格的にお家が合ってるのは言うまでもない。
 嬉しくなってニンマリ笑っていると、カオルが
「メイちゃんが、たまにはケイトちゃんやマリエの他の猫ちゃん達の動画も送ってください、って。おっ、ケイト、その顔すごく良いわよ」
と、私に向かっていきなりスマホを構えてきた。
 よし、それなら、私も…。
(ハーイ、チビのナナオとヨネ。お元気そうで何よりだわ。私もすこぶる順調よ)
 
 こうして、一年で一番気持ちの良い季節は終わろうとしていた。

 


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2-10章


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2-10章

 

「ああ見えて、野良はものすごくすばしっこいですからね。あんなに小さくても、もう二か月近く外で暮らしてますから、警戒心は相当強くなってますよ」

ショウ君パパ…こちらは、ヨシダさんの方ね…は、腕組みしながらそう言った。

「折角の休日に、こんなことお願いしてすみません」

「いえいえ」

 次の日の朝、カオルとショウ君パパは、わが家の裏庭で作戦会議を始めていた。

「目の前で餌は食べるけど、絶対触らせてくれないし、スティックタイプのおやつ以外は、手から直接食べることもないんです」

「一度取り逃がすと、更に警戒して、しばらく来なくなるかもしれないし…」

「そしたら、いよいよ臨界期を過ぎてしまうかも…」

「つまり、これが…」

そこで二人は黙り込み、その後同時にこう言った。

「ラストチャンス、ですね」  

 人が多いと子猫が余計に警戒するから、捕獲に成功するまでメイちゃん一家は猫のトイレや食事の準備をしながら自宅待機、ということで、昨日は一旦解散していた。  

 そして、カオルの気が散るから、ということで、今朝は私もお家の中でお留守番させられることになった。  

 一階だけど地面の傾斜の関係で中二階のような、北東に位置する部屋の窓辺で、ブラインド越しに私は人々と猫達の様子を見物することにした。  

 カオルの判断は正しくて、確かに私はその場に居合わせない方が良かった。だって私、猫の気持ちも人の気持ちもどっちも分かる微妙な立ち位置だもの。  

 

 今朝のパトロールの時、ヨネにはこれから起こるであろうことを、前もって伝えておいた。

(そうですか。私達…、捕獲、されるんですね…)

ヨネは、未知の世界への期待と不安の入り交じった、複雑な表情でそう言った。

(チビのためには、きっとその方が良いのよ。このままここにいたら、また何時カラスに襲われるか分からないし、あの子の毛量は、日本の夏には絶対向かないもの)

(そうですよねぇ…)

ヨネは、心許ない様子で私の意見に一応同意した。

(だけど、あの子を見ていると、ここでこのまま暮らすのも、悪くはないんじゃないかという気もするんです)  

 確かにヨネの言うように、今のこの状況では、カラス以外は、差し迫った危険はないのかもしれない。それだって、子猫の身体能力がカラスの戦闘能力を凌駕するのは時間の問題。そして、今やヨネ親子はカオルからきちんと定期的に食事を与えてもらっているんだし、何だかんだ言っても、やっぱり野良の自由さは家猫にはないものだし…。そう考えると、私も、無理にヨネ親子が家猫になる必要はないんじゃないかという気もしてきた。それに、本音を言うと、あのチビにもう会えなくなるのは、実は私も淋しいし…。わが家の花畑の中を走り回るあの子の姿は、ずーっと見ていたいと思うくらい、本当にステキな光景だもの。

 そんな考えが頭を巡る一方で、私はこの頃しばらく会っていないお兄ちゃんのことも咄嗟に思い出していた。そう言えば、野良の平均寿命は三から四年と前にカオルとナガサワさんが話してたっけ…。大好きな優しいお兄ちゃん…。私達、もう一生会えないのかなぁ…。  

 …ああ、ダメダメ。今はセンチメンタルになっている場合じゃないわ。  

 私は至って冷静に、ヨネに向かってこう言った。

(ヨネ、よく考えてごらんなさい。今は五月。一年中で一番外が気持ちいいこの時期だから、あなたはそんなことを思うのよ)  

 ヨネは、ハッとした顔で私を見た。  

 私は言葉を続けた。

(これから、ジメジメして何にでも黴が生える梅雨や、濃い色の毛が焦げそうなほど暑い夏や、私達猫には一番過酷な凍える冬が、いづれやって来るのよ)

 黙ってうつむくヨネに、かぶせるように、尚も私は持論をぶった。

(それに、チビは男の子だからね。そのうち他の雄と、雌や餌を巡って熾烈な縄張り争いをするようになるわ。噛まれたり引っ掛かれたり、そこから悪い病気をうつされるリスクは、雌の私達とは比べ物にならないはずよ)

(そ、…そうですよね…)

ヨネは、私の淀みない説得に圧倒されながら、何とかそう返事をした。

(もしもあなたに幾らかでも聡明さがあるのなら、この機を逃す手はないわ。それに、あなたも昨日聞いただろうけど、あのメイちゃんって人は、あなたも一緒に引き受けてくれるって言うじゃない?こんなチャンスはまたとないことよ)

(まあ、…確かにそうですよね。私のような平凡な野良猫を、わざわざ捕獲してまで飼おうなんて人は、きっと、この先現れないでしょうね…)

 あら、このヒト、意外と世間ってものが分かってるじゃない。

(それに、あのメイちゃんは、ものすごーく良い人よ。基本的にセンスが良いし、自分本意じゃなく、私達猫の気持ちをとても良く分かってる人だと思うわ。その人の所で暮らせるなら、必ず幸せになれる。それも、親子でずっと一緒に。ね?最高じゃない!)

(たっ、確かに、そうですね)

他に返答の余地がないくらいの圧で、私はヨネにポジティブな未来予想を力説した。  

 それでも、心配性のヨネはこう言った。

(だけど、そこには犬がいるんですよね?)

 あっ、それ。…やっぱり気にしてた?

(犬?あんなの単純よ。すぐに「君たちは僕の友達だ」って尻尾を振ってくるわよ。…嘘じゃないわ。現に私、そういう犬、知ってるもの)  

モカの事を、ちょっと盛って、訝しげな目をして私を見ているヨネに話してみた。本当はジャニスの催眠術のお陰だけど、ここではそれは省略しておこっと。  

 とにかく、そんなこんなで、一応ヨネはメイちゃんの所で家猫になることに同意した。

(だけど、あの子には、どう説明したら良いでしょう?)

ヨネは不安そうに私に聞いた。

(そんなこと話したら、あの子は警戒してどこかに逃げ出しちゃうから、言っちゃダメよ)

根拠はないけど何となく、私はヨネにそう言って口止めした。

 

「それでは、始めましょう。クロズミさんが猫じゃらしで子猫の気を引いているところを、私が網で捕獲します」

ショウ君パパがカオルに段取りを指示する声が、お留守番している私の耳に、家の外から聞こえてくる。

「念のため、ヨネの事に詳しいナガサワさんの奥さんにも来ていただきました」

ショウ君パパは、周到に準備するタイプだった。

 私のいる位置からは子猫の動きは見えない。しばらくは、人間達がそれぞれ好きなことを話している声が聞こえていた。

「は~い、チビちゃん、こっち、こっち~。ほらほら、これこれ。 えいっ!さぁ、どうだ~?」

カオルは猫じゃらしでチビを誘き寄せているようだった。

「ハーイ、ジャンプ~」

「ほら、も一回…。ジャ~ンプ!」

「そうそう、良い感じです。できればそのまま、網の上に誘導してください」

ショウ君パパがカオルにそう言った。

「先ず、子猫を先に捕まえてしまいましょう。そうすればヨネの方はどこにも行かない筈だから」

というショウ君パパの狙いは正しかった。程なくして

「ニャー!!」

という甲高い鳴き声が聞こえてきた。チビが網にかかったのだ。

「ニャー!ニャー!」 (なんだよ?これ!離せー!) チビが叫んだ。

 魚をすくうような、太い糸で編んだ網を携えて、ショウ君パパがわが家のガレージの方に向かって足早に歩く姿が見えた。その網の中には、丸まってより小さくなったチビの姿が、チラッと私の視界に入った。

「ニャー!ニャー!」 (離せよ!離せー!)  

 ショウ君パパは、チビをガレージの中にあるケージに入れようとしたのだろう。だけど、チビも生後二か月足らずとは言え、もはやいっぱしの野良猫だ。ただで捕まる訳はない。

「うわぁ!やられた!」

ガレージの中で、ショウ君パパが叫んだ。

「この子、こんなに小さいのに…うっ、臭いっ!」

 恐らくチビは、ショウ君パパにとびきり臭いオシッコをスプレーしたのだろう。  

 ガチャ、ガッシャン!という音がした後、ショウ君パパがガレージから出てきた。

「フー。何とかケージに子猫を入れる事が出来ました」

ショウ君パパは、着ているシャツの胸元を指先で摘まんで、顔をしかめながらそう言った。

「後は、ヨネの捕獲ね」

「あの子は大人しいけど、そうは言っても野良ですから。気をつけてくださいね」  

 ショウ君パパの声掛けに無言で頷きながら、カオルは、バラの剪定用のゴワゴワした牛革の手袋をはめて、ヨネの方に近づいた。

 人間達にジワジワと追い詰められて、ヨネは野良の習性でその場から逃げ出したいような、けれど母猫の本能として子どもを残しては行けないような、微妙な状態でガレージの前を行ったり来たりして逡巡していた。

 そんなヨネに向かって、ナガサワさんの奥さんは、こんな言葉をかけた。

「ほら、ヨネ。大人しく捕まって、お家猫にしてもらいなさい。あなたみたいな控えめな性格の子は、そもそも野良は向かないんだから」

 そして、優しくヨネを見つめて諭すように言葉を続けた。

「あなたが今まで頑張って子育てしてきたこと、私はとても立派だったと思うわ。だけど、もうこの辺で一人で頑張るのはやめにしてて、誰かに甘えてみるのも悪くないんじゃないかしら?」

 それからしばらくして、皆がガレージの中に入って行って、さっきと同じ金属的な音が二回聞こえた後、拍手と歓声が起こった。

 その後しばらくして、水色の小さくて可愛らしい車に乗って、メイちゃんと男の子がやって来た。

 


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2-9章


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2-9章

 その時、一羽のカラスが黒いハングライダーのように、音もなく地面スレスレまで降りてきて、ウッドデッキの下から駆け出した子猫に後ろから襲いかかろうとした。
「二ャッー!!!」
その姿に一瞬早く気づいた私は、灰色の疾風と化して、猛スピードでカラスに横から跳びかかった。
「グギャッ!!ギャアー!!」
バランスを崩したカラスは、羽をバタつかせながら驚いて向きを変えた。大量の黒い羽毛が宙に舞った。
 幸い私の突撃が功を奏して、子猫は後数センチという所で、カラスの鋭い爪から逃れることができた。
「ギャー!ギェー!グヮー!」
けれどもカラスは、嫌らしい声で叫びながら、まだ子猫への攻撃を諦めていない。
(チビ!早くさっきの所に戻って!)
私は子猫に向かってそう叫んだ。子猫が安全な場所に潜り込むのを確認するまで、私はカラスを穴が空くくらいの目力で睨み付けて
「グゥーー!ニャーーオーーーン」
と、低い声で威嚇を続けた。
「ギェー!グェー!グギャー!」
と、カラスは尚も私に向かって叫び続けた。
 鳥はいつも、こんな風に仲間同士でも声でコミュニケーションを図る。だから、カラスに何か言われたところで、私達猫には通じない…。
(ああ、悔しい!もうちょっとだったのに!)
 って…あれ?何で、通じてるの?
(あんたのおかけで、台無しだ!)
 カラスの言い分なんて聞くつもりはさらさらなかったのに、その日の私のコンディションは、このカラスの心の声をたまたまキャッチしてしまったみたい。
(こっちは、生活がかかってるんだ!うちには子どもが大勢いるのに、皆お腹を空かせて今にも死にそうなんだよ!)
(そんなの、知ったこっちゃないわよ!)
思わず私も、心の声でカラスに応えてしまった。
(あんた達猫は良いよ!人間にすり寄っていけば餌にありつけるんだから。あたしらカラスと同じようにゴミ溜め漁ってても、あんた達は、『かわいそうに』って言われるけど、あたしらには人間は一欠片の慈悲もありゃしないんだ!)
 そんなこと…、私に言われても…。
(だからって、あんたにあの子をわたすわけにはいかないのよ!)
 あの子だって、たった一匹の生き残りなんだから。
(あたしゃ、あの子猫が一匹だけになるのを、ずっと前からうかがってたんだ。だけど、せいぜい気を付けるがいいさ。あいつを狙ってるのはあたしだけじゃないからね!)
カラスはそう捨て台詞を吐いて、飛び去って行った。
 犬のモカだけならいざ知らず、カラスとまで話せちゃうなんて…。後味の悪い思いを引きずりつつも、何とか子猫を守りきれたことへの安心感にホッとして、ふと気付けば、ウッドデッキの下から、子猫がずっと私の方を見ていた。
 子猫の側にゆっくり近づくと、チビはそのモフモフの体を小さく震わせていた。そりゃそうよね。もう少しでカラスに拐われるところだったんだから。
(あっ…、鼻…)
子猫にそう言われて何気なく鼻の頭を舐めてみると、血の味がした。さっきカラスに突撃した時、咄嗟に反撃されたのね。
 私はウッドデッキの下に潜り込んで、子猫の側に寄った。幸い子猫は無傷だった。
(ごめんね、僕のせいで…)
子猫は私の負傷した鼻を見て、シュンとしていた。
(平気よ、これくらい)
何だか、お兄ちゃんと同じ台詞を口にしている自分にちょっぴり笑えちゃう。
(ケイト…)
(なあに?)
(ありがとう)
子猫はそう言って、私の体にピタッと寄り添ってきた。
 こうして、私とチビは仲良くなった。

 

「子猫の貰い手は、まだ見つからないのか?」
 その日も、いつものように夕方店にやって来たキョウヘイが、ニグラの独特の香りに目を細めながら、マスターにそう言った。
「ああ。皆、ものすごく興味を持って食い入るようにポスターを見てるんだけどな」
マスターは腕組みしながら、残念そうにそう答えた。
「まあ、猫も女と一緒かもな。良いなと思うのと、本気で付き合うのとは、また別だからな」
そう言うキョウヘイに
「そんなことばっかり言ってるから、いつまでも一人なのよ」
と、サクラが素早く突っ込んで
「うるせー、お前に言われたくないんだよ」
と、いつものやり取りが交わされる中
「こんばんは」
と、いう声とともに軽やかにドアベルを鳴らして現れたのは、久しぶりのお客様だった。
「あら、メイちゃん!」
「ご無沙汰してます」
「去年の、ミニコンサート以来ね。元気にしてた?」
「ええ。お陰さまで」
そんな会話をしながら、席に着こうとしたメイちゃん。あの日がお誕生日だった彼女がこの店に来るのは、これで三回目だ。

 そしてメイちゃんは、レジ横のポスターの前で固まった。
「…マジ、ですか…」
そのまま五秒間フリーズした後
「嘘?この子、ホントに野良の子どもですか?ちょっと?!かわいい!可愛い過ぎる!!」
と、メイちゃんは初めてお店に来て私が膝の上に乗った時以上の興奮ぶりを示した。
「えー?ホントに?こんな可愛い子猫がいたら、毎日がパラダイスだわ!」
メイちゃんの興奮は止まらない。
「あれ?だけど、あなたのお家は確か…、お子さんが猫アレルギーじゃあ…」
少し前の記憶を手繰り寄せながら、メイちゃんの興奮をたしなめるようにママがそう言うと
「そうだったんですけど…。何だかこの頃、息子も徐々に体質がかわってきたみたいで…。息子も私に似て無類の動物好きで、どうしてもって言うので、半年前から犬を飼い始めたんですが、その子には何ともないんです」
「犬が大丈夫でも、猫だとどうかしら?」
メイちゃんのテーブルにお水を置きながらママが言った。
「うーん、どうでしょう?家は去年新築したばかりで、部屋数も以前よりは増えたから、猫専用の部屋を作って猫と息子との生活圏を分けてしまえば、飼えなくはないのかも…」
「まあ、そんな贅沢なことが可能なの?」
サクラが驚いてメイちゃんに聞いた。
「いえ、今でも手狭ではあるんですけど、いざとなったら家具を移動したりして、何とか対応できるかもしれないし…」
 この人、もう飼う気満々だわ。
「ちょっと夫に相談してみます」
メイちゃんは、バッグからスマホを取り出して電話をかけ始めた。本気の時は皆こう。すぐに誰かに電話して、サクサクと物事を進めていく。私がこの店に来るようになった時も、確かサクラがこんな風にマスターに電話してたっけ。
 メイちゃんは、夫という人に電話してしばらく話して電話を切った後、
「できれば一度、この子に会って、それから決めても良いですか?」
と言った。
「ええ、まあ、出来ればそうするに越したことはないんだけど…」
困ったようにママが言った。
「何せこの子はまだ野良だから、決まった場所に行けば必ず会えるとも限らないのよね。もちろん、飼ってもらうためには、先ずは捕まえなきゃ話にならないんだけど…」
 皆でそんな話をしているところにやって来たカオルに、それまでの流れをサクラがかいつまんで説明すると、
「それなら、近々、ご家族で我が家にお越しください」
と、カオルはメイちゃんに言った。
 
 そして、次の土曜日の午後、本当にメイちゃん一家は、私達のお家にやって来た。ミニコンサートの時に一緒だった、メイちゃんの倍くらいの大きさのおっとりとした夫という人と、ニコニコとよく笑う小さな男の子と一緒に、メイちゃんは我が家のウッドデッキで、ヨネと子猫を待っていた。
「今朝は少ししか餌を与えてないから、きっとお腹を空かせてると思うんです」
カオルはそう言ったけれど、それから1時間以上経っても、ヨネと子猫はやって来なかった。
 もちろん私は、二匹の居場所を知ってはいたけど、あえて呼びには行かなかった。チビがメイちゃんのお家猫になるのは、きっとあの子にとっては良いことだと思う。そうなればもう、カラスに怯える事もなければ、ノミやマダニに悩まされる事もなくなるはず。だけどそれは同時に別れも意味する。だって、メイちゃんが飼いたいのは、子猫だけなんだもの。
 親兄弟と離ればなれになるのは、それはそれは淋しいことだと、前にジャニスは言ってたっけ。
 だけど、そんな私の思いをよそに、遂にヨネと子猫は我が家のウッドデッキにやって来た。
「うわぁ、可愛い!」
メイちゃんは、子猫を見て目を輝かせた。いつものキャットフードをカオルがお皿に注ぐと、ヨネと子猫は無心にそれに食らいついた。
 そしてその後メイちゃんは、自分で持ってきたとっておきのおやつを、子猫とヨネと、そして私にもくれた。メイちゃんはとっても良い人だと、その時私は思った。
「ショウ君、ニャンニャンに触ってもカユカユ出ない?」
そう言ってメイちゃんが気遣う息子のアレルギー体質は、どうやら本当に改善されているらしい。そして、メイちゃんの子どもは、なぜか私の大好きな彼と同じ名前だった。ネーミングセンスも最高ね。メイちゃん、益々気に入ったわ。
「このお母さん猫も、良い顔してますね」
今やすっかり人間に慣れたヨネにおやつをあげながら、メイちゃんは言った。
「母一人子一人なのよね、あなた達…」
ヨネの今までの苦労を思いやるかのように二匹を交互に見ながら、やがてメイちゃんは、きっぱりとした口調でこう言った。
「私、この子達、二匹とも飼います!」
 メイちゃんは、本当にとっても良い人だと、その時私は改めて思った。

「え?大丈夫なの?お家には、他に犬もいるんじゃ…」

驚いてカオルがメイちゃんにそう尋ねた。

「はい。だけど、どうせ飼うなら、親子一緒の方が、この子達も淋しくないかな?と思って。こんな可愛い子どもと引き離されるのは私だったらすごく辛いし。それに、このお母さん猫、大人しくて飼いやすそうですし。…あっ、大丈夫です。私、小さい頃から猫一杯飼ってて、多い時は一度に四匹くらい実家に居たから」

メイちゃんはおおらかにそう言った。

「ねぇ、リョウちゃん、良いよね?」

メイちゃんは、大きな夫に確認した。

「ああ、メイちゃんがそれが良いと思うのなら、僕は良いよ」

リョウちゃんと呼ばれるその夫は、いかにも人が良さそうな笑顔でそう言った。

「ショウ君も、ニャンニャン一杯が良いよね?」

「うん!ニャンニャン一杯が良い!」

小さな男の子も、満面の笑みでそう答えた。

「そうと決まれば…、善は急げね」

カオルが、決意を込めて大きく頷いた。

 

 そうしてここから、棗坂猫捕獲大作戦が始まった。

 




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2-8章


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2-8章
 カオルの視線のその先には、ヨネと小さなモフモフがいた。
「何てかわいい子猫なの?あなた、ホントにヨネの子ども?」
 ヨネが連れていたのは、薄茶色の長毛の、それはそれはかわいい子猫だった。
 野良猫の長毛は、実はとても珍しい。なぜって、この辺りに元々棲息する日本猫は、総じて短毛だということと、そもそも長毛猫の飼い主は、メンテナンスが大変だからあまり猫を外に出さないため繁殖の機会が少ないということと、短毛に対して長毛は劣性遺伝なので両親どちらにも長毛の遺伝子がなければ、長毛の子どもは産まれないという理由から。…これ、前にショウ君から聞いたことなんだけどね。
 とにかくそのたった一匹だけ生き残ったというヨネの子どもは、見事な長毛猫だった。
「ちょっと、可愛過ぎるんですけど…」
そう言いながらカオルは、ジーンズのポケットからスマホを取り出して、何枚も子猫の写真を撮っていた。

 それから私はいつものようにマリエに出勤し、一日を過ごした。そして、夕方私を迎えに来たカオルは、朝撮った子猫の写真をママやマスターに見せて、興奮気味にこう言った。
「今朝、少しだけお話しした…この子なんですけど。ね?どう見ても野良の子どもに見えないでしょ?」
 カオルのスマホを覗き込んで、ママとマスターも驚きの声をあげた。
「あらホント!まるで天使みたいだわ!」
「これは、カレンダーの表紙を飾れそうなレベルだな」
 するとそこに、久しぶりにサクラがやって来て、ほぼ三頭身の、みかん三個分位の大きさのその子猫の可愛らしさに、やっぱり皆と同じように驚きながら
「すっごい可愛い!こんな可愛い子猫なら、いくらでも欲しいという人はいるわね!」
と言った。
すると
「そうよね。だけど、野良の子どもだから…」
と、カオルはいきなり気弱な声を出した。
「今のうちに捕獲してしまえば、飼い猫にすることは可能よ。大体八週間が臨界期で、それを過ぎると人間に警戒心を抱くから飼い慣らすのは難しくなるけど、まだこのくらいの時期なら大丈夫」
と、ママは力強くそう言った。
「この毛量で野良として生きて行くのは大変だ。とにかく長毛は毛玉が出来やすいし、外にいたらノミやマダニの温床になるのは時間の問題だろうな」
マスターは、丁度近くにいたルチアーノを抱き上げて咽の下の毛玉をブラシでとかしながらそう言った。
(あっ、そこそこ。さすがマスターは僕の事よく分かってるよね)
ルチアーノは、気持ち良さそうにマスターの膝の上で目を細めた。
「じゃあ、野良のままこんなに可愛いくいるのは、無理ってこと?」
そう言いながら、サクラは自分の体が痒くなったかのように身を縮めた。
「確か四月上旬に産まれたはずだから…」
カオルは厨房にかけてあるカレンダーを見ながらしばらく考えて
「残された時間は、後二週間ね」
と、いつになく厳しい顔でそう言った。
 
 そして、翌日、お店のレジの横の壁に、こんなポスターが貼られた。
【子猫要りませんか?
野良の子どもですが、今なら飼い猫にできそうです】
この文字の下には、マスターの言う「カレンダーの表紙を飾れそうな」ヨネの子どもの写真が印刷されていた。
 そのポスターを見た人は
「まあ!この子、何てかわいいの!」
と、皆一様に全く同じ反応を示した。
 だけど、そうしてその場に立ち尽くして、しばらくうっとり写真に見とれた後、
「誰か良い飼い主さんが見つかれば良いのにね…」
と、ちょっと申し訳なさそうな、残念そうな笑顔を浮かべて、皆お店を出て行った。
「そりゃそうだろ。だって、ここのお客さんは基本、猫が大好きだけど自宅では飼えないからっていうんで、わざわざこの店に来てるんだろ?」
久しぶりにやって来たキョウヘイが、マスターにそう言った。
「そうなんだよ。それに、よしとんば環境が許されたとしても、一般家庭に野良猫の子どもを招き入れる事は、なかなかハードルが高いんだよな」
マスターは、太い眉毛を八の字にして、何かを思い出したように遠い目をした。
「そうね。この子達も、初めは色々大変だったものね」
ママも苦笑いを浮かべながら、店の隅っこにいるサリナを見てそう言った。
 そんなマスターやママを見ていた私と目が合うと、サリナはちょっと照れ臭そうに
(そう、初めは色々大変なのよ)
と言い残して、いつもの定位置の明かり取りの窓に滑り込んだ。
 カオルは、お店に貼っているのと同じポスターを、家の門扉にも張り付けた。
「ご興味のある方は、当家にご連絡ください」
と、ポスターの下には自分の電話番号まで書き添えたみたい。でも、そのポスターの前で立ち止まる人は大勢いても、直接カオルに電話してくる人はいなかった。
「保護団体の方にも連絡してるんだけど、あそこはあくまでも捕獲済みの猫が保護の対象だから」
というママの言葉を聞いて
「とりあえず、子猫を捕まえて人間に慣らさなきゃね」
と、カオルは通販で小ぶりのケージまで買い込んだ。
 あら?この人、今までは雌猫の避妊のことしか頭になかったはずなのに、いつの間にか子猫の保護に目的がすりかわってきたわ。
「母猫は慣れればいつでも捕獲できるけど、子猫の保護は今しかないからね」
私の疑問に答えるかのように、カオルは通販の箱から取り出したケージのパーツを組み立てながら、そう独り言を言っていた。
 こうして人間達…特にカオルは、ヨネの子どもを飼い猫にすべく、あれこれ手を尽くしているようだった。だけど、一方当事者の子猫は、と言うと…。

(こらこらチビちゃん、なに我が家の家庭菜園でウンチしてるのよ。それ、カオルが見たらすっごく怒るんだから。あなたが今掘りおこしたその細長い茎は多分、カオルが先週植えつけたばかりのサツマイモのツルよ)
ある朝、私が家の前からそう呼びかけると、モフモフの子猫はトイレの後始末もそこそこに、慌てて我が家の裏庭のウッドデッキの下に逃げ込んだ。
(こら、待ちなさい!あなた何よ。人が話かけてるのに返事もしないで!)
私はウッドデッキの下に潜り込んで、子猫をコーナーまで追い詰めてそう言った。
(なっ、なんだよ。お前、誰?)
子猫は、見た目に似合わず生意気な口をきいてきた。
(は?私の事、知らないの?この棗坂界隈で私の名前を知らないのはあなたくらいなもんよ)
私がどんどん迫って行くと、子猫は毛を逆立てて私を威嚇した。
(私はケイト。この家の家猫よ)
(いっ、家猫…)
子猫は、毛を逆立たまま、私の言葉を繰り返した。
(そう。あなたやあなたのお母さんに毎日ご飯をくれている人間…カオルと一緒に、ここのお家で暮らしているのよ)
(カオル?…ああ、あの人間、そういう名前なのか)
子猫は、私の目から目を離さないいまま、そう言った。
(それにしても、あなた、一匹でこんな所で何してるの?)
私は子猫にそう尋ねた。生後五十日足らずのこんな心もとない子どもを残して、ヨネはどこをほっつき歩いているのかしら?
(お母さんはどこ行ったのよ?)
私の質問に
(知らない)
と子猫は不貞腐れたように答えた。
(とにかく、こんな明るい時間に、あんな目立つ場所でチョロチョロしてちゃダメ。あなたみたいなチビは、カラスに捕まったらおしまいよ)
(カラス?)
(黒くて大きい鳥のこと)
(ああ、あのうるさい奴らか)
子猫は吐き捨てるように言った。
(鳥なんか怖くないよ。近くに来たら、僕のこの牙と前足の爪でやっつけてやるんだ!)
子猫はなかなか勝ち気だった。
(バカねぇ。奴らはあなたみたいなチビが太刀打ちできる相手じゃないのよ。カラスは集団で襲いかかってくるし、向こうには羽があるんだから。空から狙いを定めてサッとさらって行くの。私、目の前であなたみたいな子猫がカラスにさらわれるの、何回も見たわ。どこか知らない所に連れて行かれて、鋭いくちばしで八つ裂きにされるのよ)
話をちょっとだけ盛って脅かしたら、子猫は少し弱気な顔になった。
(それから、さっきも言ったけど、あなたがトイレにしてる場所は、カオルが野菜を植えてる所よ。人間にちゃんと餌をもらって可愛がられたければ、人間の大事にしてる物は壊さないこと)
(別に僕、人間に可愛がられなくったって、良いもん)
子猫はあくまでも強気だった。
(それでもごはんはもらいたいんでしょ?)
(ま、まぁ、ね)
(それなら可愛くしときなさい)
(別に可愛くしなくても、皆、僕のこと、かわいい、かわいいって言うよ。さっき言ってたカオルもそうだし、僕の住んでる納屋の持ち主も、通りすがりの人もみんなそう言う)
 そりゃ、あなたはホントにかわいいもの。そのかわいさはちょっと特別よ。そう声に出して言ってやろうかと思ったけど、この子猫をこれ以上いい気にさせちゃいけないから、やめた。
(それにしても、あなたのお母さん、遅いわね)
今日はオフだからそんなに急がないけど、あまり長く外にいると、後でカオルがうるさいのよね。でも、こんな子どもを独りぼっちにしておくわけにもいかないし…。
(何かさぁ…)
不意に子猫が喋り始めた。
(なんか、トラジマのおじさんがしょっちゅうお母さんの後をつけてきて、その度にお母さんは僕を物陰に隠して、遠くに走って行っちゃうんだよね)
子猫はポツリとそう言った。
 なるほど、そういうことか…。
 この辺りには、私やサビコやチャチャといった避妊済みの雌猫は沢山いるけど、避妊してない雌猫はヨネとフネくらいしか思い当たらない。
 猫の雄は、雌の発情を促すために、時に子殺しをすることがある。だから、ヨネはその雄の気をこの子から逸らそうと必死なんだ。
 カオルの言う通り、この子猫は家猫になる方が、確かに安全なのかもしれない。
 その時突然
(なんだか、ここ、虫がいるよ。ああ、痒い痒い!)
と言って、子猫はウッドデッキの下からさっき来た菜園の方に走り出た。すると、そこに大きな黒い影が…。

 


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2-7章


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2-7章 

 それから数日後の朝、私が日々の日課のお庭のパトロールをしていると、ナガサワさんのお庭の片隅で、ヨネが呆然と佇んでいる姿に遭遇した。近づいても私の存在に全く気づいていないみたい。どうしたんだろう?赤ちゃん達を置いて、こんな所に一匹で、このヒト何やってるのかしら?

(おはよう、ヨネ)

かなりの至近距離から私が声をかけると、ヨネはビックリして身を固くしながら

(あっ…、ケ、ケイトさん…。…おはようございます)

と、絞り出すようなか細い声で力なく挨拶を返してきた。このヒト、何だか随分やつれて毛づやも悪いわ。育児に相当お疲れのようね。

(四匹の子育ては大変ね。どう?子猫達は順調に育ってる?)

別に私の身内じゃないことが分かって以来、正直子猫達の事にはすっかり関心をなくしていたけど、行き掛かり上の社交辞令として、私は数日前に見かけた、まだ目も開いていない四匹の子猫達のことを気遣うふりをした。

(そ、…それが…)

ヨネは、ガックリと肩をおとし、

(四匹のうちの三匹は、昨日までに死んでしまいました)

と、猫背の背中をますます猫背にしながら、疲れきった声でそう言った。  

 えっ?そんな…。何か私、まずい事を聞いてしまったわ。…だけど、それにしても、後の一匹は?

(そうなの…。それは大変だったわね。お疲れさま。それじゃあなた、今は随分辛いでしょうね)  

そう労いの声をかけると、ヨネは私の目を泣きそうな目でじっと見てこう言った。

(私が悪いんです。もともと栄養不足でお乳の出が悪くて。それでも、皆に平等にお乳をあげようと、一番力のない子に構っていたら、元気な子が勝手に離れたところに移動して風邪をひいてしまい、それが皆に感染して…)

この世の終わりのように、ヨネは落胆して

(全部、私が悪いんです)

と繰り返しつぶやいた。

(そうだったの…)

私はしばらく返す言葉を失っていたけど

(だけど、あと一匹残ってるんでしょ?その子は今どうしてるの?)

と、さっきからずっと気になっていたことをヨネに尋ねた。

(最後の一匹は無事でした。何故だかこの子だけ長毛なので、体温が下がりにくかったみたいで。今も一匹で小屋の中で寝ています)

と言った。

 あの薄茶色の、一番毛量の多かった毛玉。あの子だけは生き残ったのね。何だか不思議な安心感が、私の中に広がった。

(あなたの辛い気持ちは分かるけど、残ったその子はどうにか無事に育てなきゃね。早く帰ってあげないと)

(そ、それが…)

私の促しに、ヨネはしばらく口ごもった後

(昨日から何も食べてなくて…。だからお乳も出ないんです)

と言った。

 えー、ウソー?この界隈の猫は皆、まとめて面倒見てくれるナガサワさんか、料理上手のトヨダさんか、手厚く最後までお世話してくれるショウ君パパの庇護の元にあるんじゃなかったの?今日日、こんな飢えた野良猫に出会うなんて、しかも、それが子育て中の母猫だなんて、何だか私には衝撃だった。

(あなた、ナガサワさんにお世話になってるんじゃなかったの?)

私は驚きを抑えながらそう言った。

(ええ、一応こちらでご厄介にはなってるんですが、何せここは沢山の野良猫達のコミュニティーなので…。ただでさえ納屋を占領してご迷惑をおかけしているのに、この上、私ばかりに気を使わせるのは、家主さんにも他の猫さんにも申し訳なくて…)

 なんて控えめな野良猫なの?この謙虚さで子猫を外で育てるのは、あまりにも大変過ぎるわ。

(なに言ってるの。あなたは授乳中なんだから、変な遠慮しなくていいのよ)

(そう言われましても…。実は、私が去年産んだ子ども達も、たまたまこちらのお庭でお世話になってまして…。この上私にこれ以上のことをしていただくわけには…)

 ああ、もう、分かった分かった。このヨネも、お兄ちゃんと同じタイプの性格ね。それでもお兄ちゃんは独り身の風来坊だから、怪我をしようが飢えようが、全ては自己責任の範疇だけど、ヨネは母親なんだから、もっと図々しくならなくちゃ…。まあ、性格は早々、変えられるものではないけれど…。

(わかったわ。そういうことなら私に任せておいて)

そう言って、私はヨネに生きるための知恵を授けた。

 

「あら、ヨネちゃん?久しぶりね」

 私は早々とお家に帰ると、リビングの窓辺から、そっとカオルの声に聞き耳をたてた。

「あなた、二週間程前まではあんなにお腹が大きかったのに…」

そう言いながら、 カオルは、以前私にしていたのと同じやり方で、ヨネを庭の隅に呼び寄せてこう言った。

「さあ、しっかり食べなさい。今はお乳を出さなきゃいけないんだから」

お皿に注ぐ音の感じからすると、ほぼ私の倍くらいの量のフードを、カオルはヨネに与えていた。  少しずつゆっくり食事をするヨネに、カオルはこう語りかけ続けた。

「いいこと?ヨネちゃん、よく聞いて。もしも、家猫になりたいなら、子どもも一緒にここに連れていらっしゃい。子どもを安全に育てるなら、断然お家の方が良いわよ」

カオルは、文字通り猫撫で声で、ヨネにそう言った。

 実はこれには裏があった。

「この棗坂は、ただでさえ高齢化が進んで、どんどん空き家が増えてますからね。そこで猫が子どもを産んだら…。猫は、多い時には一年に三回出産するらしいから、一回平均四匹のかける三回…」

「それこそ、ねずみ算式に増えていくんですよ。…この場合、猫算、か…」

カオルがショウ君パパと話してるのを、私、この前こっそり聞いちゃった。

 この二人は、去年サビコの捕獲に成功して以来、すっかり自信をつけている。妊娠可能な雌猫を見つけては、手懐けて避妊しようというのがカオルの魂胆よ。

(あなたにその気がなければ、家猫になる必要も、ましてや避妊される必要もないのよ)

私は、先にヨネにこう言い聞かせておいた。

(だけど、ナガサワさんや他の猫達に遠慮があるのなら、今はうちの家人の、カオルを利用すれば良いのよ)

(り、…利用)

ヨネは、怖じけずいたように半歩後ずさった。

(いいの、いいの。うちのカオルは、それが良いことだと思って勝手にやってるんだから。少なくとも赤ちゃんにお乳をあげてる間は、あなたを無理やり避妊に連れて行くような手荒なことはしないはずだから、子どもが育つまでの間は、うちの庭に来てカオルからエサをもらったら良いわ)

私にとっては当たり前の処世術だけど、ヨネにとってはすごくあざといことに思えるみたい。

(えっ?そっ、そんな…。それって、言うこと聞くように見せかけて、結局だます、みたいな…)

ヨネは、声を震わせながら言った。このヒトは、まるで私がとんでもない悪事を持ちかけているみたいに思っているのかしら。

(だから…、そんなに深刻に考えなくて良いのよ。勿論、カオルの望み通りにあなたが避妊手術を受けても良いのなら、素直にカオルの言う通りにすれば良いんだし)

(しゅ、手術って、何ですか?)

(えっ?それは…、私もよく覚えてないけど、チョコっとお腹を切って、子宮てものを取っちゃうことみたいよ)

私のその言葉を聞くと、ヨネは目を三角にした。

(いっ、嫌です!お腹を切るなんて。そんなの、…死んじゃうかもしれないじゃないですか?)

と言って、今にも逃げ出しそうに身を翻らせた。

(バカねぇ、ヨネ。現代の医学は進んでるの。今時の獣医師は、誰もそんなヘマはしないわ)

私が笑いながらそう言ったので、ヨネは何とか逃げることは思いとどまって

(そっ、そうですかぁ…)

と、いぶかしげに私を見ながらそう言った。

(とにかく、今のあなたは、生き残った一匹の子どもを無事に育て上げることだけに集中すること。それ以外のことは、この際割り切りなさい)

私はきっぱりとヨネにそう言いきかせた。  

 

 それ以来、ヨネは、朝夕我が家のお庭に来てはカオルから食事を与えてもらうようになった。    

 

 それからさらに2週間程たった朝、私は、お庭でカオルの驚く声を聞いた。

「うそっ?あなた…」

そう言うカオルの視線の先には…。

 


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2-6章

 

 

 

2-6 章

 朝になくて、私はいつものようにヨシダさんのお家の二階の窓辺に跳んで行った。 ショウ君は、いつものように優雅な佇まいでそこにいて、私は明け方見た夢のことを一気に話そうと思った。…だけど、結局、なぜかあの夢の話は、ショウ君には出来なかった。所詮、あれば私の見た夢に過ぎなくて、ショウ君にどう伝えて良いのか分からなかった。それに、何だか私はミスズさんの気持ちが分かりすぎて、あの夢の事を思い出すのがだんだん辛くなってきた。だから、その日はショウ君には当たり障りない世間話だけして、私は早々にヨシダさんの屋根から降りた。

(ケイトさん、おはようございます)

我が家のお庭をトボトボ歩いていると、フネがナガサワさんのお庭の塀の上から、私に挨拶してきた。

(あら、フネちゃん。おはよう)

(ケイトさん、どうしたんですか?何だか今日は元気がないみたい…)  

フネ、この子ったら鋭いわね。

(そっ、そう…?そんなことないわ。…今朝は早くから目が覚めちゃって、そのせいでちょっぴりボーッとしてるだけよ)  

猫に寝不足なんてあるのかしら? と思いつつ、苦しい言い訳をしている私に

(それはそうと、あの妊婦さん、後一月程で子どもが産まれますよ)

と、フネは言った。

(へー、そうなの…。…って、何でフネちゃんに、そんなことが分かるの?)

やけに世慣れた口ぶりのまだ子猫のフネに、ちょっと驚きながら私がそう言うと

(サビコさんがそう言ってました。あのくらいのお腹の大きさだと、大体その頃だろうって)

と、フネは丸い目を見開いて、ワクワクしたようにそう言った。  

 沈丁花の香りがふんわりと漂ってきた。

(「それって、ケイトの甥や姪って可能性もあるってこと?」) という、一昨々日のカーティスの言葉が、それから何日も私の頭のなかでリフレインしていた。  

 

 そして、トヨダさんのお庭の八重桜が咲き始めた日の朝、ヨネが

(ケイトさん。赤ちゃん、そろそろ生まれるみたいです)

と、ソワソワしながら私のところにやって来た。

(じゃあ、どんな子どもが産まれるか、見に行きましょうよ。どこにいるの?あの妊婦さん)

私は、逸る気持ちを悟られまいと、努めて冷静にフネにそう尋ねた。  

 すると背後から

(やめときな)

と、かすれた声が聞こえ、振り向くと、すぐ側の生け垣の下からサビコが現れた。

(産前産後の雌猫は気が立ってるからさ。子どもを誰にも見せたくないんだよ。下手に刺激すると、子どもを取られると思って、襲いかかって来たり、興奮して自分で子どもを殺しちまうこともあるからさ)

(そっ、…そうなの?)

サビコの忠告を聞いて、私は一旦登りかけた両家の境界線の塀の上から降りた。

(だけど、一匹だけで子どもを生むのは不安じゃないかしら?)

私だったら、絶対嫌。

(あたいが時々こっそり覗いてるから大丈夫。あんた達が見舞っても良い時期が来たら、声かけてあげるわ)

サビコは、そう言って、ナガサワさんの裏庭の方に消えて行った。

 さすが、出産経験豊富なサビコ。こういうことは、経験者じゃなきゃ分からないものね。厳しい環境下で、今まで何匹もの子猫の子育てを繰り返してきたサビコの事を、私は初めて、ちょっぴり頼もしく感じた。

 一方、あれからも猫カフェマリエでは、いつもと変わらない日常が続いていた。最初の頃は、お客さん達は集まればウクライナの惨禍のことを話していたけれど、その話題も日に日に少なくなってきた。それに連動して、猫達の間でもその事を話題にすることはめったになくなっていた。

 その日も、お店のレジの横に置いてある水色と黄色の小さな箱に

「私にはこんなことくらいしかできませんからね」

と、ノザワさんは小さなため息をつきながらコインを入れていた。  

 民族衣裳を着たあの可愛い猫ちゃんは、今頃どうしているのかしら?私はノザワさんのコインが箱の中にポトリと落ちる音を聞きながら、彼女のことを思い出していた。

 

 それからまた何日が経って、そろそろ桜の花は散りきってしまう頃になっても、サビコから子猫の話は何ら聞かされなかった。 もしかしたら、無事に生まれなかったとか?それとも、生まれることは生まれたけど上手く育たなかったのかしら?私は、無性に子猫のことが気になった。

 フネも、その後、あの妊婦猫がどうなったかは知らない、と言う。ただ

(ナガサワさん夫妻から、ヨネって名前で呼ばれてるようです)

と、フネは彼女のことを教えてくれた。朝しか外に出ない私はともかく、一日中外にいるフネもとんと姿を見かけないと言うくらい、産後のヨネは、ひっそりとどこかに身を潜めているようだった。

 何で私が、ろくに話もしたこともない雌猫の子どものことを、こんなに心配しなきゃいけないわけ?そう考えると、ヨネに対して時に腹立たしくなったりもした。それに、心なしかサビコにも、私もフネもその後パッタリ出会わなくなっていた。サビコはサビコで、さりげなく子猫のことを気遣いながら暮らしているのだろうと、仕方ないから私はそう思うことにした。  

 そうこうしていたある日の朝、ひよっこりサビコが私とフネのもとにやって来て

(ナガサワさんの裏庭の小屋の中を覗いてごらん)

と言った。  

 私とフネは、サビコに言われた通り、いつも以上に足音に気をつけて、そーっとその小屋の入り口を覗いてみた。中には、春先に出会った頃よりも幾分毛の短くなったヨネが横たわっていて、その周辺にモソモソ動く小さな毛の塊が四つあった。

(どうもー、おじゃましまーす)

フネは、小声でヨネに挨拶した。

(ど、…どうも…)

ヨネは、ビックリしたようにこっちを見ながら、怯えた目で返事をした。ホントだわ。サビコの言った通り、子育て中の雌はかなり気が立ってるみたい。初対面の時よりも随分尖った目をしてこっちを見ているヨネに

(突然押しかけてごめんなさい。私はケイト、よろしくね)

と、私は努めて友好的に挨拶をした。

(あっ、…わっ、私は…、ここではヨネと呼ばれている者です。ご挨拶が遅れて、すみません)

この古風な呼び名がまだしっくりきていないらしいヨネは、おどおどしながらそう言った。

(赤ちゃん、生まれたのね)

私はそう言いながら、ヨネのお腹周りの四つの毛玉の毛色をさりげなく確認した。子猫はみんな茶トラやキジトラ、中には長毛もいたけど、どこにも私やお兄ちゃんのような白い部分のある子猫は見当たらなかった。なーんだ、ガッカリ。思わず声に出そうなくらい、私は拍子抜けしてしまった。

 カーティスの下らない勘ぐりに振り回されて、ここ一月ほど無駄な心配したりして、なんだかすごく損しちゃった。…だけど、私、どうしてこんな気持ちになるのかしら?別にもともと子猫になんてちっとも興味なかったのに…。「血の繋がり」という言葉に、やけにこだわってしまっていた自分に、私は改めて不思議な気がした。

(あら、可愛いじゃない。元気に育つといいわね)

私はそう言って、すんなりその場から離れようとしたけど、

(わ~、かっわい~!子猫ちゃん達、まだ目が開いてないのね。あっ、こっち向いた!あら、あなた男の子ね!きゃ~、かわい~!)

と、フネは大興奮して、なかなかその場を離れようとしない。

(フネちゃん、そんなに騒いだら子猫達がビックリするわよ。また、もう少し経ってから、改めてお邪魔しましょ)

私は、名残惜しそうなフネを無理やり引きずるようにして、その場を立ち去った。

 その日一日、何となく複雑な気持ちを私は引きずっていた。だけど、ヨネの周りの濃淡の違う四つの茶色い毛玉のモコモコした動きが、不思議と私の心の中に残っていた。それは、その時はまだよく分からなかったけど、何か温かいものが私の心の中にも生まれた瞬間だった。

 ツバメが地面スレスレに飛んで行った。明日のお天気はどうなるのかしら。    


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